2017年6月17日土曜日

なぜこの世はかくも生きにくいのか?

私は現在、生物物理に興味がある。生物を物理学の視点から考察して何か述べようという学問だ。その理由の一端を今から述べよう。


この世界で生きるのは非常に大変である。やらなければいけないことが多くあり、我々は多忙な日々を送らなければならない。もっとのんびりと生きたいのに、どうしてこれほどせわしなく生きなければならないのだろう。ある日、私はそう疑問に思った。
のんびりゆったりと生きる上で、まず直面する問題は金銭である。金銭を得るためには労働が必要であり、労働すると時間を失うため、私の欲望の実現の上での直接的な障害は金銭的問題ということになる。
この金銭的問題の正体についてより分析を深めてみよう。金銭が必要なのは、第一には食べるためである。金銭が尽きると飢えて苦しみを覚えてしまうため、苦しみの少ないゆったりした生活を送る上で、食べることは絶対に必要である。

なぜ私は食べなければならないのだろうか。それはエネルギーを補給するためである。我々は生命活動の維持のために絶えずエネルギーを消費しており、その補給無しには生命活動が維持できず死亡してしまうのだ。しかし考えてみれば、この世界にはエネルギー保存の法則というものがあり、エネルギーを消費すると言っても実のところエネルギーは形を変えるだけである。なぜエネルギーの補給は必要なのだろうか。
ここで重要なのは、エネルギーそのものよりも「自由エネルギー」である。自由エネルギーは熱力学で登場する概念で、仕事として取り出すことのできるエネルギー量を表す。ヘルムホルツの自由エネルギーFは、内部エネルギーUと温度T、エントロピーSを用いて F=U-TSで表される。ギブスの自由エネルギーGならG=U-TS+pVである。ともかくも、エネルギーを補給せずにいると、自由エネルギーは熱力学第二法則にしたがって減少していき、生命活動の維持が困難になっていくという次第である。
従って、この世がかくも生きにくいのはエントロピーの増大が原因ということになる。この世界で乱雑さが増えていき、機械でもなんでも、次第に壊れていくのもエントロピー増大が原因と見做すことができそうであるから、金銭的問題のほとんどは熱力学第二法則に帰することができるだろう。

しかし、果たして本当に熱力学第二法則が諸悪の根源なのだろうか。エントロピー増大は、統計力学的視点で見直せば確率の問題と捉えることができる。すなわち、モノが秩序立つ確率よりもモノの秩序が乱れる確率の方が圧倒的に高い、そしてこれがエントロピーの増大である、と。こう考えれば、エントロピーの増大自体は仕方ないことのように思われる。
問題は時間である。エントロピー増大が速すぎるのだ。逆にエントロピー増大を基準にして考えれば、エントロピーが1増えるのにかかる時間が概して短すぎる。だから自由エネルギーは猛烈に減ってゆき、食べても食べても私は毎日空腹になり、人間は働くことを強いられるのだ。であるから、生命がもし時間をもっとゆっくりに感じることができれば、相対的にエントロピー増大も緩やかに感じられ、我々の生活ももっとゆったりするはずである。なぜ時間は、私の感覚に比べ、そして私の体におけるエントロピーの増大スピードに比べ、これほどまでに早く進んでしまうのだろうか。

生命と時間といえば、その総量を規定するものとして思い浮かぶのが寿命である。我々生命はエントロピー増大に必死に抗って複雑な構造を維持し続けている。それでも我々が生きていくうちに次第にいろいろな臓器が悪くなっていくことを思えば、エントロピー増大に抗い続け、それでも維持しきれなくなった地点として寿命が決まってくると捉えられるのではなかろうか。
そこで思い出すのが、「ゾウの時間 ネズミの時間」という絵本だ(*)。小学生の頃この本を読んで、(今の私の語彙を用いて表現すれば)生命観が揺らぐ衝撃を受けたことを今でも印象深く覚えている。私の記憶によれば、この絵本は次のような内容であった: 「ゾウは長命で、ネズミは短命である。しかし一生のうちに鳴る心臓の回数を調べてみたところ、ほぼ同じであった。ゾウは体が大きい分体積の割に表面積が小さいため、熱を保持しやすくゆっくり動く。対してネズミは体が小さい分体積の割に表面積が大きいため、熱を失いやすく常に走り回って餌を求める必要がある。寿命は違えど、彼らが生きているうちに感じる時間は同じなのである」。
熱を失いやすいということは、エントロピーがより増大しやすいということだ。ということは、エントロピー増大速度に対する時間の感じ方は生物の種類によらずほぼ一定であると考えることはできないだろうか。

生命はエントロピー増大に抵抗し秩序を長時間維持し続ける特異な存在である。思うに、生命システムはエントロピー増大に抵抗することからしか生まれないのではなかろうか。そしてそのシステムの時間スケールは、そのシステムが抵抗しているエントロピー増大速度に依存しているのではなかろうか。
もしそうならば、「生命がもし時間をもっとゆっくりに感じることができれば、相対的にエントロピー増大も緩やかに感じられ、我々の生活ももっとゆったりするはず」なんてことはそもそも物理法則の帰結として不可能だということになる。あるいは、もし生命が時間をゆっくり感じることが可能だったとしても、それはナマケモノのように恐ろしく低出力なシステムとなり、現在のヒトのように様々な活動をして遊びを楽しむ余地はなくなってしまいそうである。
エントロピーの増大は不可逆過程であり、その中身は非平衡の統計力学で扱わねばならない。現在、平衡の統計力学の理論に関しては多くのことがわかっているが、非平衡に関してはまだほとんど何もわかっていないそうだ。私は、生命と時間の普遍的な関係を、非平衡系の時間発展を統計力学的に考えることによって探っていければきっと面白いだろうと思っている。


私は自分が忙しい理由を知るために物理学を学んでいる。そして私は物理学を学んでいるがために、忙しい日々を送っている。

(*)元は新書であることを今知った。読んでみたい。