2017年1月20日金曜日

本日の日記

本日2017年1月20日の午後7時過ぎ、買い物を終え帰宅した私の胸に突然激痛が走った。
私はそのとき呼吸もうまくできず、また動悸もするようになり、とっさに「永眠するかもしれない(*1)」と考えた。
なんとか激痛のパルスは過ぎ去ったが、息を吸うと胸が痛むようになった。その場で永眠することはなかったものの、これを放置すると苦痛とともに永眠してしまう可能性もあると思った。私はまだ空いている循環器内科の病院を探し、タクシーを呼んで連れて行ってもらうことにした。
「入院するかもしれない」と思ったため、息が絶え絶えになりながらも、カバンに量子力学の教科書と常微分方程式の教科書とルーズリーフと筆箱を詰め込み、病院で勉強ができるようにした。暇になることがないように、ノートパソコンも荷物に足した。万全を期すため、用も足しておいた(*2)。

そうこうしているうちにタクシーが来て、病院まで着いた。
息を吸うと胸が痛いので、声はできるだけ出さず、持ってきたルーズリーフを使って筆談で問診してもらった。私は肺と心臓を検査されることになった。
まずは胸部レントゲンを撮った。息を大きく吸うように求められたので指示通り息を吸ったのだが、案の定胸が痛くなった。まさに胸が痛くなっている瞬間を撮られたというわけで、これはバッチリ異状が写っているに違いない。そう考えながらレントゲン室を後にした。
診察室に戻ると、すでにパソコンの画面に私のレントゲン写真が映っていた。見ると、白く映る心臓の影の中に何か黒い点があるではないか。私は、これは異状に違いないと確信し、先生の話を聞くため覚悟とともに着席した。すると、先生はその点を動かしながら説明を始めた。どうやら、ここではカーソルは黒い点として表示されているらしい。結局、レントゲンでは異状は見つからなかった(*3)。
しかし現に異常なのであるから、必ずやどこか異状が見つかるに違いないと思った。次は心電図検査である。私は横になり、胸に吸盤を貼ってもらって測定が終わるのを待った。ところが、寝そべっているうちに呼吸は少し楽になってしまい、痛みもほとんど感じられなくなっているのに気づいた。検査が始まるまでの強気な考えとは打って変わって、これでは異状が出なかったかもしれないな、と思いつつ診察室へ戻った。
先生によると、どうも電位が高く出ているらしい。これは異状かもしれないが、痩せ型の体型が原因かもしれないという。そこで、エコーで異状かどうか調べることになった。
私は、「もう痛みも治まってしまって、異常値を出せるかどうか自信がないなあ」と弱気になりながら再び横になった。先生はしばらく私の心臓を調べていたが、予感した通り異常値は出なかったとのことだった。心電図の異常値は、私の体型が原因(*4)ということで落ち着いた。
こうしていろいろ調べたものの、特に異常なところは見当たらず、その上痛みも治まってしまったため、消去法的に「肋間神経痛(*5)」とされた。一応薬も出たが、処方されたのは漢方薬であった。タクシー、検査、処方で合計6500円ほどかかってしまったが、私が入院まで覚悟したこととは裏腹に特に何もせず治ってしまったため、何となく損をしたような気持ちになった。

私は、「我が肉体よ、不要なシグナルはできるだけ出さないようにして、主であるこの私をむやみに驚かさないでくれたまえ」と思いながら、己の不運なのか幸運なのかよく分からない運を呪って帰途に就いた。病院から家までは結構近かったので、歩きで十分間に合った。まったく、検査することなく異状の有無を検査できる時代が早く来てほしいものである。

(*1) 例えば、死のノートに名前を書かれたなどの原因が考えられる。
(*2) 一見落ち着いているように見えるが、内心極めて動揺していた。その証拠に、私は充電器を忘れてしまったのである。タクシーに乗った後でそのことに気づいた私は、病院で充電が切れて外界と連絡が取れなくなることを憂慮し、深い後悔の念とともにタクシーを降りることとなった。
(*3) 突然の胸の痛みということで、私は気胸を疑っていたが、この検査によりその可能性は低いことが判明した。
(*4) 循環器科に来て体型が異常だと言われる身にもなってほしい。
(*5) Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/肋間神経痛

2017年1月7日土曜日

私の進学選択(3)

ついに問題の金曜日になった。金曜日の朝までに、卒業証明書は届いていなかった。
夕刻16時ごろに空きコマで一度自宅に帰ってみたが、まだ届いていなかった。やはり卒業証明書は間に合わないのか。この日の授業後、私はキムワイプ卓球会の仕事を抱えていた(*1)。それが終わって帰宅したのが20時半頃である。ポストを開けると、そこには証明書があった。
私は卒業証明書が届けばセンターに入金し出願を完了する算段(*2)であり、それには入金完了の証として郵便局のハンコが必要であった。20時台において、最寄りの郵便局は閉まっているものの渋谷の郵便局は開いている。私は楽観視していたが、このときあることが判明した。確かに、金曜日の消印をつけて出願書類を出すのは金曜日の夜24時までに行えばよい。しかし入金するための窓口は21時で閉まるのだった(*3)。そして私はこれに微妙に間に合わなかった。誠に、何事もギリギリに済ませようとするのは良くない癖である。
こういった事情で、仮面浪人もやめることとなった(*4)。受験校選択のときもそうであったように、私は自力では自分の進路を決めることができない優柔不断な人間である(*5)。なるほど、これは仮面浪人をやめておくべきだということか、と素直に受け取った。

そして冬になった。
12月、キムワイプ卓球会の駒場祭企画の打ち上げがあった。そこで、サークルの先輩と進路について少し話すことができた。私が興味を持っていること(*6)について話すと、その先輩は自身の所属していた統合自然科学科を私に勧めた。
私がこれまで検討してきた選択肢は、もっぱら理学部の方を向いていて、教養学部の統合自然科学科はあまり真剣に考えていなかった。教養学部前期課程に対する悪印象から、教養のお題目の下に広く浅く様々な分野を学ぶよう強いられ、自分の興味のあることも興味のないこともやらされるような、そんなイメージがあったためである。
しかし実際の統合自然科学科はイメージと大きく異なっており、履修の自由度も高く、私のように境界領域に興味のある者にとって非常に適した学科となっていた。特に、必修が少なく、もはや「東大の中の京大」とまで言えそうな様相を呈していたのは京大が大好きな私にとって誠に嬉しいことであった。
東大生は本郷キャンパスに憧れる人が多く、統合自然科学科は駒場にあることから敬遠されがちなところがある。実際、本郷で入試を受けた時は、私も「合格したら2年後にはこの赤門をくぐって通うのか」と思いながら赤門を通り抜けたし、本郷に通ってみたい気持ちはあった。
しかしこうなってくると話は別である。駒場キャンパスはもはや東京大学ではない。京都大学の駒場キャンパスなのだ。その証拠を今からご覧にいれよう。

・1号館前に木が植わっている。
    →京都大学時計台前のクスノキを表している。
・統合自然科学科はカリキュラムの自由度が高い。
 →京大の自由の学風を表している。
・駒場では時錯や左翼団体が盛んに活動している。
 →時錯は京大に多いとされる変人を、左翼団体は京大名物の同学会を表している。
・駒場(前期教養)には講義中もうるさい学生がいる(*7)。
 →京大総長山極寿一先生の、自分がゴリラであるかのように振る舞う研究手法を表している。
・小島先生という方が教養学部長を務めていたことがある。
 →小島先生は京大出身であり、京大のDNAを駒場にも注ぎ込んだにちがいない。
・統合自然科学科は近接する16号館と3号館にまとまっている。
 →京大理学部も北部構内にまとまっている。
・私は駒場キャンパスに自転車で通学している。本郷に通うならこうはいかない。
 →京大生のほとんどは自転車通学していることから、私が京大生も同然であることがわかる。

京都大学に通えて、1留もしなくてよいとは。まさに一挙両得である。それに、「駒場」も「京都」と同じでローマ字にするとKから始まる(*8)。これは駒場に残り続けるより他にないだろう。かくして私は統合自然科学科への進学を決めた(*9)。進学選択をめぐる私の心の変遷は、これにて終着点を迎えた。(終わり)

(*1)駒場祭でキム卓を特集してもらうため、駒場祭委員会からの取材があった。キム卓は、(少なくとも仮面浪人と天秤にかけるほどには)私にとって重要な意味を持つ活動であった。
(*2)実は、こういった場合証明書が届くのを待たずに入金してしまうのがよい。なぜなら、入金しても出願はしなかった人に対し返金制度があるためである。このことに気づいたのは翌週であった。
(*3) 参照: 渋谷郵便局。ゆうゆう窓口が前者、郵便窓口が後者。
(*4)この後、私はセンター試験のモニターバイトという、大学入試センターが実施するセンター試験の難易度調査のバイトに参加した。この時私は830点を取り、上出来だと考えTwitterで自慢した。するとそれが高校の後輩の目に留まったのだろう、私が京大を受けようとしているとして噂になった。私は高校を首席で卒業し、高校ではそれなりに有名人であったこともあって、その噂は広まっていき、ついには高校の先生までもが与り知るところとなった。私が2016年3月に高校を訪問したところ、多くの先生に東大を辞め京大に行くのかどうか尋ねられた。京大を実際に受けるには高校の先生に頼んで調査書を作成してもらわなければならないため、勝手に京大を受けるなどほぼ考えられない話ではあるのだが、それでも混乱が広がっていたようである。確かに私は京大を受けたい、センター試験を解いた、とは言ったが、実際に京大を受けるとは一言も言っていない。勝手に話に尾ひれをつける後輩たちには困ったものである。
(*5)選択の局面において、上手な選択をするために私はできるかぎりの情報収集に努める。しかしそれでも決められない場合は確実に存在し、その場合での合理的選択というのは人間に可能な範囲を超えていると思うのである。であるならば、なるべく(自分を含む)人間以外のものに頼りたい。それがトランプであったり、証明書であったりしたわけだ。確かに不合理かもしれないが、決められないものを前に迷い続ける方がよほど不合理であろう。
(*6)「私の進学選択(1)」の注2を参照のこと。物理の原理(ミクロ)から物性や生命らしさ(マクロ)を考える上で、境界領域を学ぶことができ、かつそれに関する研究室を擁している学科であることが重要であり、統合自然科学科はその条件と完全に合致していた。特に、私は「マクロ-ミクロ」の関係について最も成功した学問である統計力学を学ぶことが重要だと考えており、生物情報科学科と比べても、その点で統合自然科学科は有利だった。
(*7)イマ東ことHRM君が講義中に音楽をかけていたことは有名である。
(*8)ブログタイトル「無KのK」からも察せられるように、私はアルファベットのKが大好きである。
(*9)数理コースが一番自由度が高いと先輩から聞き、数理コースにした。数理でも物質でもさほど違いはないようである。

リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(2)

私の進学選択(2)

私は京大と東大で受験先を迷って東大に来た人である(*1)ため、もともと「東大に来るという選択で本当に正しかったのだろうか」という迷いを持っていた。更に、1年の前期では東大が嫌になるような出来事が起こった。さらに、7月末には前期試験を受けたが、自分の答案は散々な出来であり、何個か必修で不可を取ってしまった、留年に片足を突っ込んでいるかもしれないとも感じていた。
そこに来て進路の問題が重なり、心は次第に仮面浪人へと傾いていった。京都大学理学部も、専門を決めるのは2回生から3回生になる時であるため、進路選択の先送りという意味では東大とほぼ同等であった。
私は8月に京都大学理学部のオープンキャンパスへと赴き、情報を収集した。そこでの情報と合わせて、いくつかの理由で京大に行った方がよいと判断した。

1.必修が少ない。
京大理学部は自由を特に重んじ、縛りが非常に少ない。私は物理-化学-生物の境界領域に強く興味を覚えていたので、この点は魅力的であった。

2.私でも物理系・化学系に進学できそうである。
東京大学の化学科の必修の多いキツキツのカリキュラムは合わないと思っていたが、京大理学部の化学系は実験も週3、かつ英語授業ということもなく、自分にもやっていけそうだと感じた。物理系においても、東大のように高い成績が要求されるわけではなく、ほどほどの成績を取っていれば良いと聞いた。したがって、京大に行けば東大理学部に行くのと違って物理・化学の世界を捨てなくて済むことになる。

3.理学部の建物が密集している。
理学部の建物は全て北部構内にあり、建物同士の距離が近い。このため他の分野の講義も聴きに行きやすそうだと感じた。東大の本郷・浅野キャンパスでは生物学科、物理学科や化学科、生物化学科や生物情報科学科の建物はそれぞれ離れている。これは分野の境界に関心を寄せる私にとって不都合なことであった。

4.一年生でも二年生の講義を履修してよい。
京大理学部では、2回生以降向けの講義を1回生が履修しても単位が認められる。まさに仮面浪人にはうってつけではないか。この1年で分かったところは先へ進み、わからなかったところはやり直すことができる。

5.父も応援してくれそうである。
京都大学出身で京都大学が大好きな父なら、東大を退学して京大に行くと言っても反対しないだろうと思われた。

と、こういう次第で、京都大学への進学を志すこととなった。

夏が過ぎ、季節は秋になった。再び東大へ通う日々が始まった。ある日、私は東大の受付に行き、センター試験の願書を入手した。
問題は、いざ出願しようとすると踏ん切りがつかないことだった。大学に落ちて不本意ながら一年浪人する、というのは自分にも可能な選択だった。しかし私はこれでも第一志望に受かった身であった。不可抗力ならまだしも、自分から1年 "留年" をするという選択をすることに対し、急に不安がよぎってきた。
私は現役生であるから、1年 "留年" しても社会的に許容されそうだとは考えた。しかし "1留" のカードを今ここで切ってしまってよいものなのだろうか? 院試浪人、就職浪人を余儀なくされたら?ここで1留した上で、博士号を取るために博士課程を延長したら30歳手前...?退学するのは、今までストレートでやって来た道をわざわざ踏み外すようなものに思えて、私は怖気付いた(*2)。
その上、私はキムワイプ卓球会のノウハウを最も継承していた一年生だった。私がいなくなれば、この会も、先輩がこの会を立ち上げ発展させていく上で込めた思いも、来年以降に伝わることなく消えてしまいそうだと感じた。
私はどうすればよいのかわからなくなり、センター試験の願書はしばらく放置された。
そうこうしているうちに、センターの出願の締め切りが近づいてきた。京都大学を目指し浪人していた友人に相談したところ、「とりあえず出願するべき」と助言を受けた。私は出願することにした。
出願には卒業証明書が必要だった。これを手に入れるためには高校に申請書類を郵送し、証明書を返送してもらわなければならない。私が書類を郵送したのが月曜日の朝で、締め切りが金曜日だった。かくして、私がセンター試験を受けることができるか否かは、この一枚の卒業証明書に委ねられることとなった。(続く)


(*1)参照: 「志望理由 (1)」 「(2)」
(*2)私は悪いだろうと予測していたが、前期の成績は実はそれほど悪くなかった。不可は一つもなく、平均的な東大生といった点数を取っていた。このことを根拠に、私は「案外、東大をやめなくてもなんとかなるかもしれない」とも思った。この、自己評価と実際の成績の乖離は私にとって迷いとなった。

リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(3)

私の進学選択(1)

昨年(2016年)夏、私は進学選択で教養学部統合自然科学科数理自然科学コースに内定した。しかし、この決断に至るまでには様々な変遷を経なければならなかった。ここでは、私の進学選択について振り返ってみることとする。


私が東京大学理科I類へ入学したのは2015年の春である。当時は志望先のことはほとんど考えていなかったが、多くの理一生が入学当初においてそうであるように、漠然と理学部物理学科(理物)への進学を考えていた。
ところがこの志望は入学後三週間もすると捨てることとなった。大学の授業がわからなくなっていったためである。まず真っ先にわからなくなったのが熱力学で、その後線形代数、力学と続いていった。試験で高得点を取ることは素早く諦め、単位を取ることを目標に設定し、それと同時に理物もやめることにした。多くの理一生の憧れの的である理物に入るには、たいていの年で高い点数が要求される(*1)ためである。

それと同時に私が進学先へと設定したのが理学部化学科である。化学科はかつての人気学部であったが、ブラック学部との評判が立ち人気が下落していた。私は「マクロはミクロからどのように構成されているか」(*2)という問題に興味があり、理論化学からのアプローチで物性を考えることができそうな化学科はお買い得だろうと考えたのだった。
ところが、化学科への進学も最初の期末試験の頃にはやめておこうという気になってきた。化学科がブラック呼ばわりされている (*3)所以は、英語授業と週5で実験があることによる過密なカリキュラムである。1年前期(Sセメ)では一度英語授業を受けたが、これがさっぱり理解できない。その上、1年次には週15コマを履修していたが、私は授業のペースについていくことができず、これでもなかなか大変だと感じてしまった。私の持ち前の怠惰さでは過密なカリキュラムの中でやっていくことができないだろう。そう考えたことが決定的となって、私は化学科への進学をやめた。

こうなってくると問題となるのは代替となる進学先である。私は応用にはあまり興味がなかったため、工学部よりも(*4)理学部を中心に進学先を考えていくことにした。物理・化学・生物系で(*5)、どこか他に理学部の学科はないだろうか。生物学科はマクロな生物を対象としているところがどうにも違う感じだった。分子生物学や生化学はあまり好きではなかったため生物化学科も除外した。工学部の中でも基礎研究を重視している物理工学科というところは検討したが、点数が足りなさそうだと考えた。
生物情報科学科というところが残った。ある生命現象全体を情報科学の知識で包括的に扱う手法を研究する、という生物情報科学のアプローチには惹かれるところがあった。しかし物理をあまり学べなさそうである点がひっかかった。実は、このときの私の脳裏にはもう一つ別の選択肢が浮かんでいた。生物情報科学科は確かに魅力的ではあったが、その「別の選択肢」と比べたとき、私の目には「別の選択肢」の方がより魅力的に見えた。

その別の選択肢とは、京都大学理学部理学科だった。1年のSセメスター終了時、私は京都大学への仮面浪人を考えていたのであった。(続く)


(*1)しかし、結果的に言えば私が進学選択する年は例外であった。理物では志望者数が定員を下回り、事実上点数にかかわらず進学できるという事態が発生した。とはいえ、統合自然科学科は私に非常に適した学科であると考えられるため、この結果を知っていたとしても理物に進学しなかったであろう。
(*2)分子をたくさん集めると我々の目に見える物質となるが、その物性はどこから立ち現れてくるのだろうか?また、生物を分解すると様々な構成要素が出てくるが、それらの集合体から「生命らしさ」はどのようにして立ち現れてくるのだろうか? 私はこうした問題に興味がある。
(*3)理学部ガイダンスに出席した時は、化学科の人は「実際にはブラックではない」と主張していた。公平のためここに両論を併記しておく。
(*4)私の興味の対象である(*2)のような問題は、あまり工学部で扱われていないらしい。
(*5)「地球全体というシステムの行く末は、個々のミクロな要因から予言できるのだろうか?」という地球科学的な「マクロ-ミクロ」の問題にも興味があるため、その意味では地球惑星物理学科も選択肢の一つになるはずである。しかし、地球というシステムは私の肉体と比べあまりにも巨大にして複雑であり、「マクロ-ミクロ」の問題を考える第一歩としては不適当だろうということで、この人生では地球科学的問題には目をつむって生きていくことにした。

2017年1月1日日曜日

2017年賀状(問題編)



年賀状のWeb版をアップロードします。是非ともダウンロードして頂き、印刷してお解き頂ければ幸いです。これは言い訳なのですが、紙の年賀状に手書きコメントを書かなかったのは、"ヨコ20"が狭すぎたからです。
それはともかくとして、本年もよろしくお願いします。

*検索前提のバランスとなっております。より少ない検索回数での完成を目指しましょう。