ラベル 作者のお気に入り の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 作者のお気に入り の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年4月8日月曜日

サイゼリヤの反対

Twitterを眺めていると、しばしば「サイゼリヤはデートに適しているか否か」と議論になっているのを見かける。ファミレスにも色々あるが、最も議論を呼ぶのはどういうわけだかサイゼリヤのようだ。では、反対に、議論の対象から最も遠いファミレスはどこだろうか?

おそらくそれは「びっくりドンキー」だ。語感が間抜けだからである。

考えてもみてほしい。びっくりドンキーの是非について真剣に討論していたら、確実に阿呆だと思われる。全く締まらない。「サイゼリヤ」の語感がまとう洗練された雰囲気は、「びっくりドンキー」の中に一切ない。びっくりドンキーを褒めても阿呆、貶しても阿呆だ。どちらも阿呆なので、二項対立になり得ない。びっくりドンキーについて真面目な話をしている人がいるとすれば、その人はおそらくびっくりドンキーの経営者だろう。

そもそも「ビ」がよくない気がする。「サイ」から始まる言葉をいくつか挙げてみよう。
  • サイエンス
  • サイキック
  • サイバーセキュリティ
  • 才気煥発
  • 裁判官
どれも賢そうだ。対して「ビ」はどうか。
  • ビール
  • ビッグマック
  • 鼻炎
  • ビギナーズラック
  • 備前
この並びである。「ビール」も「ビッグマック」も不健康だ。「鼻炎」でくしゃみをする姿や「ビギナーズラック」を喜ぶ姿は間抜けである。「備前」は特段阿呆ではないだろうが、それはそれとして、岡山県にはなんとなく住みたくない。

ところで、私は「びっくりドンキーの是非について真剣に討論していたら、確実に阿呆だと思われる」と述べた。こうなると、サイゼリヤの是非なら阿呆でないのかと疑問に思うかもしれない。
それに関しては答えたくない。

2023年10月30日月曜日

お風呂について、とりとめのない話

秋になった。涼しくて過ごしやすい日が続いているが、夜は冷え込むこともある。そこで、数日に一度はしっかりと湯船に浸かるようにしている。

以前は、冬場になると表参道の清水湯に足繁く通っていた。目当ては人工炭酸泉だ。炭酸泉は水温こそぬるいものの、炭酸の血行促進効果により独特の温感を得ることができる。学部3年生の頃は、午前の授業を受けた後、駒場キャンパスから自転車に乗って表参道へ行って、3限の空きコマで清水湯の炭酸泉に入っていた。そして、入浴後はまた大学に戻って18時半まで4限と5限の授業を受けるのである(こうすると午後の授業でよく眠れる)。
しかし、毎回毎回表参道まで行っていては時間もお金もかかってしまう。今年の私は月に5000円分くらいキノコを食べていて、キノコ代も馬鹿にならない。ここから更に銭湯代まで計上していては家計の危機だ。
そこで、家のお風呂でもよく温まるための入浴剤を探してみることにした。自分で重曹とクエン酸をお風呂に入れてみるのも含めて試してみたが、家庭用の入浴剤等では人工炭酸泉レベルの炭酸濃度を作れないようで、どれも今ひとつ物足りない。考え方を変えてバスロマン プレミアム 発汗保温浴を試してみたところ、これが当たりだった。炭酸の勢いこそバブに劣るものの、ハーブの効能で入浴後も温感が長続きする。今日もこの入浴剤のお風呂に入り、「まさに欣快の至りだ」と思いながら風呂から上がってきたところだ。

私はリングフィットアドベンチャーというフィットネスゲームをやりこんでいるが、寒いと筋肉がこわばって体の可動域が狭まってしまう。こういうときも、運動前に一旦湯船に入っておく。運動すると汗をかく。汗をかくとシャワーを浴びたくなる。そういうときはまたシャワーを浴びる。かくして、しばしば一日に何回も風呂場に行くことになる。
この話を以前誰かにしたところ、「しずかちゃんじゃん」と言われた。しかし、私はしずかちゃんではない。しずかちゃんは架空の人物なのに対し、私は実在の人物だからである。

家で湯船に入るとなると、面倒なのが風呂掃除だ。何を隠そう、私は掃除が非常に嫌いである。掃除は疲れるからである。同様に、研究も疲れるから嫌いである。車の運転も疲れるから嫌いである。勉強、漫画の執筆、くしゃみ、鼻詰まり、蚊、汚職、格差社会、地球温暖化、全て嫌いである。風呂は疲れが取れるから好きである。
そもそも、風呂に関する行為のうち、入浴という最も気持ちの良い部分を取り除いた残りカスの集合体こそが風呂掃除である。残りカスの集合体なんて好きになれるはずがない。私が風呂掃除を嫌っているのは、風呂掃除の定義からして当然の帰結だ。風呂掃除が好きな人がいたとしたら、その人は異常であると言わざるを得ない。
それにしても、疲れを取るために風呂に入りたいのに、そのためには掃除をしないといけないとはなんとパラドキシカルなことだろうか。掃除が嫌いな私ではあるが、パラドックスは好きである。風呂掃除もパラドックスの一種だと思うと、掃除の中でも風呂掃除だけは好きになれるかもしれない。風呂掃除にも好きになれる余地はある。私は風呂掃除が好きになれる。だんだん風呂掃除が好きになってくる。私は風呂掃除が好きだ。私は異常であると言わざるを得ない。

助けてください。

2022年11月25日金曜日

福岡県福岡市

学会に出席するため、福岡市に出張に行ってきた。出張中は、主に西部の大濠公園〜西新地域に滞在していた。少しだけだが観光もできたので、今回は福岡市で見つけた色々なものをレポートしていこうと思う。


まずは九州北部に展開するローカルなスーパー「マミーズ」に行ってきた。ローカルなスーパーには地域性が現れやすく、面白い。この他にもスーパーを数店巡った。気が付いた点を総合すると、以下の通りである。
  • 鮮魚コーナーに占める明太子コーナーの割合が大きい。東京の同規模スーパーの3倍くらい種類がある。
  • 「さらしくじら」という見たことのない商品があった。九州北部は鯨肉の消費量が多いそうだ。
  • 長崎産「ヒラス」の刺身がある。
  • 精肉コーナーにもつ鍋用のホルモンがたくさん並んでいる。
  • 醤油コーナーで最も目立っているのは、「濃口」でも「薄口」でもない、謎の「旨口」である。醤油は大体旨い気がするが、これは一体何なのだろう。メーカーは「マルヱ」「ニビシ」が多い。
  • 鍋用の出汁に久原の製品が多い。特にとんこつスープが最も目立つ位置にある。
  • 大豆製品のコーナーでは、東京での「栃尾のあぶらげ」のポジションに「南関あげ」が鎮座している。
  • 11月でも豆腐の隣に冷や汁の出汁が置いてある。
  • 牛乳の産地は熊本県が多い。

商店街には鯨肉の専門店まであった。東京でも京都でも見たことがない。


福岡は個人商店でもPayPayの普及率が高い印象を受けた。商店街としてもPayPayが使える店をアピールしているようだ。


商店街に「油屋」という店があった。千と千尋の神隠しと関係があるのかと思ったが、よく見るとsince 1890とある。違っていそうだ。


「ゴッドハンド大濠」もあった。見えない手で施術されるのかもしれない。濁点がピンク色になっているが、「濠」のさんずいもピンクになっている点が良い。氵ってそういう扱いだったのか。


「千鳥饅頭」が「チロリアン」になるのは興味深い。洋風に発音するとdがrになるのだろうか。「アン」が付くのは数学者ヤコビに対するヤコビアンのようなものとも考えられる。


「うどん」の文字が中途半端に残っている。濁点なんて簡単に剥がれそうなのに、意外としぶといものだ。


居酒屋にいきなり小言を言われた。しかも「笑売中」と書いてある。笑顔で商売されているようで何よりである。


一文目と二文目の文体が違いすぎる。


「不正駐車」ではなく「不正脱出」なのがデスゲームっぽくていい。逃すものかという気迫を感じる。


面白雑貨地区というからには、当然面白いに違いない。


「特別日開催スケジュール」なんて言われるとラッキーイベントなのかと思ってしまうが、その実態は料金が高い日である。しかも4倍高い。これに「開催」という単語を使える言語感覚は見習っていきたい。

福岡といえば食事が美味しいことでも有名である。私も色々なものを食べたが、確かに美味しかった:

博多ラーメンももつ鍋も食べていないのかよ、という指摘はあると思う。

その点は今後の検討課題とさせていただきます。

2022年3月23日水曜日

春が来る!新しい恋......を妄想しよう!

昨年の春、友達がサントリーに入社した。サントリー志望の就活生は、みんなサントリーとエントリーで韻を踏んでふふっと笑うのだろうか。サントリー エントリー、ヤクルト デカルト。
そんなことはどうでもいい。重要なのは私は飲料メーカーで一番サントリーを応援しているという事実だ。ここ一年ほど、私は常にサントリーを意識して毎日サントリーの烏龍茶をがぶ飲みしている。そんなサントリー漬けの生活を送っていたある日、Twitterにこのようなツイートが流れてきた。

ジョイマンとムーディ勝山!夢のコラボの開幕に私は狂喜乱舞した。 動画も期待に背かない素晴らしい内容だった。頭の中に笑いの花が咲き乱れる。今は3月23日。まだ少し寒いけれど、春はもう目の前にいる。春だ。春が来る。恋の予感!

私には彼女がいない。しかし、人生万事塞翁が馬だ。運命の出会いというものはいつ起こるのかわからない。「Chance favors the prepared mind」という諺がある。チャンスが降りかかってきたときに、ちゃんと掴み取れる心を持っておかなければならない。だから今から想定しておこう。理想の出会いを。

***

街中。歩いていると、前の女性のカバンから何か落ちた。女性は気付いていないようだ。慌てて拾い上げてみると、ハンカチのようだった。女性のもとへ駆け寄る。

私「あの、すみません」

女性が振り向く。あまりの美貌に息を飲む。緊張が一気に高まる。カミカミになりながらも、話しかける。

私「こ.......これ、落としませんでしたか」
女性「あ!私のです!拾ってくださったんですね。ありがとう オリゴ糖」

澄んだ声。今、確かに「ありがとう オリゴ糖」と発せられた。想定外の言葉に、思わず息を飲む。わずかな沈黙ののち、意を決して返事をする。

私「なななな〜なななな〜」
女性「仲良く なりたいです」
私「当然のことを〜しただけ〜 当然 心不全。礼には〜及ばぬ〜 及ばない 真駒内。いきなり出てきてごっめーん 誠にすいまめーん」
女性「なんだこいつー!」

私「LINEの〜連絡先〜tell me show me」
女性「いいですよ!」(LINE交換をする)
私「どうですか〜お茶でも〜 喫茶店 韋駄天」
女性「行きましょう行きましょう!どこがいいでしょう?」
私(スッとジョイマンの真似をやめる)
私「少し歩いたところに純喫茶があるみたいですね。ここにしましょう」

高鳴る胸の鼓動を抑えながら、私は女性の隣に並んで歩き始めた。

***

2020年11月22日日曜日

K. 如才が答える!恋のお悩み相談室

初めまして、K. 如才です。普段は大学院生をしています。

みなさん、「恋」してますか?恋をすると、普段よりも楽しい気持ちになりますね。ですが、楽しいばかりが恋ではありません。恋をすると、しばしば不安や悲しみまでが何倍にも増幅されるものです。

そうです。要するに、恋とはオペアンプなのです。

さて、そんな交流回路のように揺らぐ心をお持ちの皆さんの悩みに寄り添うべく、恋愛経験豊富なモテ男子であるこの私・K. 如才が、恋愛マスターとして恋愛相談に答えていこうと思います。
今、私の手元には0件の相談のお手紙が届いています。記事にするにはちょっと数が足りないようでしたので、私が架空の相談を10件でっちあげて、相談を10件に水増ししました。今からこの10件(そのうち10件は架空)について回答していくことにします。皆さんも架空請求には気を付けてくださいね。

さて、用意はいいですか?それでは恋愛相談、スタートです。

2020年11月2日月曜日

歯医者

虫歯予防のため、年に数回は歯医者に行って歯を診てもらうようにしている。普段であればキャンパス併設の保健センターに行くのだが、今年はコロナ禍の関係で実家にいる。そこで、実家近くのとある歯医者に行くことにした。

自転車に乗って家を出て、10分ほどで歯医者に着いた。最近リニューアルしたらしく、院内は真新しくて清潔感がある。受付で保険証を出し、問診票を書いていると、受付の女性に声を掛けられた。私のことを知っているという。
私は彼女の顔に見覚えがなかった。聞けば、彼女は私の高校同期ということである。専門学校を卒業して歯科衛生士になり、ここで働いているそうだ。
私は高校を首席で出ている。高2から卒業まで不動の学年1位の座にあった私の名前は、高校の中で多くの人が知るところだった。それゆえに、私が彼女を知らなくても、彼女は私を知っていたのだ。

私は彼女にレントゲン室へと案内された。
「それじゃあ、レントゲン撮るから。ここに顎のせて、この出っ張りをかんどいてな」
彼女と話すのはこれが初めてだったが、診察中も彼女は私にタメ語で話した。レントゲン写真が現像されるまでの合間で、彼女と少し雑談した。
「この前、Aちゃんの結婚式に行ってきたわ。あの、高校のときB君と付き合っとったA。卒業してからBとは別れたんやけど、大学の先輩と結婚したんやって」
Aが結婚したという話を聞いて、そうなのか、ついにAは結婚したのか、と思った。私はAとBが付き合っていた事実を知らなかった。そもそもAのこともBのことも誰のことだか分からなかった。今こうしてAやらBやら仮名を使って書いているが、プライバシーへの配慮以前に、どんな名前だったのか全くもって思い出せないのだ。
Aが果たして誰であるのかはおいておいて、とりあえずめでたい話には違いなかった。結婚式には行けなかったが、私もこの場を借りてAに祝福を送りたい。

「奥歯のところ、歯肉の溝がちょっと深くなっとるわ。これ放っておいたら歯周病になるかもしれへんから、磨いていくな」
彼女に歯石を取ってもらっていると、何かの手伝いということで、彼女の他に2人歯科衛生士の女性が来た。
「知り合いなん?」
「そう。同じ高校やったねん。めっちゃ頭良くて、今東大」
「私本物の東大生初めて見たわ!」
「私も!」
私だって歯医者でそんなこと言われるのは初めてである。とはいえ、女性達に頭が良いとチヤホヤされて悪い気はしない。こんな体験、なかなかできるものではないだろう。
こうして一通りの処置が終わった後、私は口内の爽快感を味わった。やはり新しいだけあって設備がいいのか、汚れがすっきり取れている感じがする。私は歯石が取れた満足感とともにお金を払い、病院を出て、自転車にまたがりながら、

次からは別の歯医者に行こうと思った。

2020年4月24日金曜日

性格診断

この前、Webで性格診断をやってみた。質問に答えていくと自分の性格傾向を教えてくれるというサービスである。一人でやっても面白いが、ちょっと気になっている相手と一緒にやって相性を診断してもらうのも面白いだろう。全然気になっていない相手と相性を診断するのはつまらないだろう。

しかし、この診断結果であるが、どうも納得いかないところがある。例えば私は優柔不断で熟考しがちだとされているが、私の思考時間など宇宙の年齢と比べれば無視できるほど短い。また、合理性を重視するあまりやや無機質なところがあるとも言われたが、私は非常に感情豊かな感情人間であると自負している。実際試しに今日一日で自分の顔に出た感情の種類を数えてみたところ、「眠い」「右脇腹が痛い」「左脇腹が痛い」の三種類もあった。向いている職業の欄もいい加減そのものであって、「ITエンジニア」「図書館司書」「芸術家」などは言われるのに、いかにも適性がありそうな「ファッションモデル」や「チアガール」、「サンタクロース」になることを勧められたことは一度もない。

これらの問題点が示しているのは、現在ある性格診断が不十分なものだということである。こうした不満を解消すべく、私は数学書[1]、英単語帳[2]、梶井基次郎の小説[3]、医師国家試験の過去問[4]など様々な書物を参照し、独自の性格診断を編み出すことに成功した。以下に示すので、読者の皆様にも是非試してもらいたい。


(スタート)親しい友達と喧嘩した。どうする?
・自分から謝る。 →(1)へ
・向こうから謝ってくるのを待つ。 →(2)へ

(1) どんな旅行が好き?
・事前にしっかりと計画を立てた、効率的な旅。 →(3)へ
・その日の気分に任せた、気ままな旅。 →(4)へ

(2) 大勢でいるよりは一人でいる方がいい。
・はい →(3)へ
・いいえ →(5)へ

(3) 心配性だ。
・はい →(9)へ
・いいえ →(6)へ

(4) 休日の過ごし方は?
・インドア派 →(5)へ
・アウトドア派 →(8)へ

(5) 夏休みの宿題はどうしていた?
・余裕をもって終わらせた。 →(10)へ
・ギリギリになって慌ててやった。 →(7)へ

(6) ファミレスでスープを頼んだら小さな虫が入っていた。どうする?
・お金を払わずに退店する。 →(15)へ
・虫ごと飲み干す。 →(19)へ
・その場で逆立ちする。 →(12)へ

(7) 道端で知らない人が倒れている。どうする?
・隣で一緒に倒れてあげる。 →(14)へ
・止めを刺す。 →(16)へ

(8) パンはパンでも食べられないパンはな〜んだ?
・フライパン →(9)へ
・皇室典範 →(14)へ

(9) 自由と平等、どちらを重視する?
・自由 →(11)へ
・平等 →(16)へ

(10) எப்படி இருக்கிறீங்க?
・நல்லா இருக்கிறேன். →(22)へ
・எனக்கு அது புரியல. →(17)へ

(11) Which word is similar to rescind ?
・squint →(12)へ
・annul →(13)へ
・satirize →(21)へ

(12) 痩せ薬だよ。みんなやってるよ。お金はいらないから、 試してみなよ。
・一回だけなら....... →[タイプE]へ
・いらない! →(20)へ

(13) えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
・焦躁と言おう →(17)へ
・嫌悪と言おう →(19)へ

(14) クリスマスデート当日!さて、どこへ行こう?
・山梨県南巨摩郡早川町 →(22)へ
・左下 →(15)へ

(15) EGFR遺伝子変異陽性、遠隔転移を有する進行肺腺癌に対する初回治療で、分子標的薬 (チロシンキナーゼ阻害薬)の副作用として頻度が高いものを述べよ。
・皮膚障害 →(20)へ
・1型糖尿病 →(18)へ
・ハイドロプレーニング現象 →(24)へ

(16) (x^2 +1)^(-2)をxについて0から∞まで積分したときの値を求めよ。
・π/4 →(23)へ
・π/√2 →(22)へ

(17) 人生の目的とは何か?
・愛 →(22)へ
・死 →(25)へ
・その他 →(18)へ

(18) 時間は守る方だ。
・はい →(21)へ
・いいえ →(24)へ

(19) 弊社は第一志望ですか?
・御社が第一志望です。 →(23)へ
・第一志望群です。 →[タイプF]へ

(20) 赤ちゃんはどこから来るの?
・サンタさんにお願いするともらえる →[タイプC]へ
・墓地 →[タイプD]へ

(21) 電光掲示板のどこが好き?
・光るところ →[タイプC]へ
・電光掲示板は別に好きではない →[タイプB]へ

(22) ホトトギスが鳴かない。どうする?
・鳴かぬなら 脳に電極 ホトトギス →[タイプA]へ
・鳴かぬなら 私が鳴こう ホトトギス →[タイプB]へ

(23) 子供に対してどう感じる?
・可愛い。微笑ましい。→[タイプC]へ
・苦手だ。小便を垂れ流すしか能が無いのに分を弁えない愚鈍なサル。 →[タイプD]へ

(24) ニューヨークと洗濯板、どっちが好き?
・ニューヨーク →[タイプB]へ
・洗濯板 →[タイプA]へ

(25) 自分がプロジェクトリーダーになるとすれば、どんな雰囲気のチームにする?
・管理主義 →[タイプA]へ
・放任主義 →[タイプD]へ


[タイプA]: 「サッカー選手」タイプ
あなたは瞬発力と大局観を兼ね備えたサッカー選手タイプです。フットワークがとても軽く、頑張ればフットワークを宙に浮かせることも可能なほどです。少なくとも水には浮くはずです。得意な職業として、サッカー選手、サッカーボール、作家、サッカリン製造業者などが挙げられます。
恋愛や結婚はどうにもうまくいきそうにありません。諦めた方が賢明でしょう。

[タイプB]: 「おから」タイプ
あなたはしっとりとした情緒を持ったおからタイプです。計画性がなくいつもふわふわしていますが、天然の魅力があって癒し効果は抜群です。得意な職業として、大豆農家、おから製造業者、ヒトカラの天才、アル中カラカラ、バカラ賭博の経営者などが挙げられます。
恋愛や結婚はどうにもうまくいきそうにありません。諦めた方が賢明でしょう。

[タイプC]: 「水玉模様」タイプ
あなたはポップで元気に溢れた水玉模様タイプです。体から溢れた元気で溺死しないよう気をつけてください。みずタイプなので、でんきはちょっと苦手です。雷に打たれたら高確率で死ぬでしょう。得意な職業として、壁紙、スクリーンセーバー、衣類、じゅうたんなどが挙げられます。
恋愛や結婚はどうにもうまくいきそうにありません。諦めた方が賢明でしょう。

[タイプD]:「連続性」タイプ
あなたはひとつながりであることを意味する連続性タイプです。今現にここにいる「わたし」が、自分の思っている「わたし」と同じであることを保証してくれるものは記憶の連続性くらいしかありません。また、実数の連続性は数学体系においてしばしば公理として採用されます。連続性はすべての土台であり、いわば縁の下の力持ちのような存在と言えるでしょう。ですが、得意な職業はこれといってありません。
恋愛や結婚はどうにもうまくいきそうにありません。諦めた方が賢明でしょう。

[タイプE]:「薬物依存症」タイプ
あなたには薬物をキッパリと断るための強い意志が欠けています。これでは真っ当な道を歩むなんて全くもって困難な話で、摘発されて逮捕されるのが関の山です。薬物は一回使っただけでも乱用です。あなたの心と体、大切な人生を守るためにも、きちんと断ることができるようになりましょう。
恋愛や結婚はどうにもうまくいきそうにありません。それについては諦めた方が賢明でしょうが、依存症の治療は諦めることなく根気よく続けていきましょう。

[タイプF]:「面接で馬鹿正直に答えて今後の活躍を祈られる人」タイプ
あなたは嘘がつけないタイプです。嘘の一つもつけないようではこの虚飾にまみれた現代社会を生き抜くことはできません。従ってどこにも就職できず、得意な職業を考えるという意味では論外と言っていいでしょう。これは嘘なのですが、嘘をつくと脳が活性化して若返るという研究成果も出ています。手始めに、嘘だらけのこのブログから嘘に慣れていくのはいかがでしょうか。私は嘘のつきすぎで何が嘘で何が現実なのかわからなくなってしまいました。ちなみにこれも嘘です。
とはいえ、あなたの愚直なまでの誠実さも恋愛や結婚においては案外美徳になるかもしれませんね。これが嘘になるか真になるかは、ひとえにあなた次第でしょう。

参考文献
[1]千葉逸人「これならわかる 工学部で学ぶ数学」. プレアデス出版, 2009.
[2]「英検1級 でる順パス単」. 旺文社, 2012.
[3]梶井基次郎「檸檬」(青空文庫).
[4]厚生労働省「第113回医師国家試験問題 A問題」(https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/topics/dl/tp190415-01a_01.pdf).

2019年11月4日月曜日

短編小説: 椅子とピアノのある小部屋

「ただいま。あー、今日も疲れた」
玄関のドアを開けながら、私は無人の部屋に向かってそう言った。東京の会社に就職したことをきっかけに、数年前から一人暮らしを続けている。気楽なのは確かだが、寂しくないと言ったら嘘になる。実際、返事をくれる人なんていないことはとうに分かりきっているのに、未だに「ただいま」と言い続けているのだ。
それにしてもくたびれた。自宅と職場を往復する単調な毎日には飽き飽きする。今は大体午後10時。残業をして、家に着いたらこんな時間である。早く風呂に入って寝なければ。そう考えた途端、職場に残してきた仕事のことを思い出して少し憂鬱になった。はあ、と深いため息を付きながら、スイッチを押して部屋の明かりを付けた。パッと部屋が明るくなる。その瞬間、私はある異変に気が付いた。

壁に一本のちくわが生えていた。

ちくわというのは、あの練り物のちくわである。両端は白いが、中央部はこんがりと焼かれて茶色い。一方の端は、重力に従ってだらりとやる気なさげに垂れている。これは一体どういうことなのだろう。どうしてちくわが生えているのだろう。ただただ困惑することしかできない。
恐る恐る触れてみた。私からの接触に対して、ちくわはぶよんとしたあの弾力をもって応答した。今度は強く引っ張ってみる。引っ張れば引っ張るほど、ちくわはゴムのように伸びていく。そして、手を離すと瞬く間に元のだらりとした形状に戻った。ちくわはちぎれない。次は包丁を使ってみる。一方の端を左手で持って、包丁をノコギリのようにゴシゴシと前後に動かす。だが、それでもちくわには傷一つ付かない。このちくわ、どうやら只者ではないらしい。いや、突然壁から生えてきた時点で只者ではないことくらい分かっていたのだが。
この壁からは、このままちくわが生えっぱなしなのだろうか。それは嫌だ。何が悲しくて、ちくわと同居しなければならないのか。生えるにしても、一体どうしてちくわなのか。ニンジンだとか、トナカイだとか、もっと他にあっただろう。ちくわというのは、なんだか馬鹿にされている感じがする。無駄にふにゃふにゃしやがって。悔しかったら、もっとシャンとしてみてはどうだ。そう悪態をつきながら、私はちくわが水平になるように端を手に持って軽く引っ張り、ちくわの形をシャンとさせた。まっすぐなちくわ。まっすぐな筒。まっすぐな穴。そう、まっすぐ。......そういえば、この穴の向こうはどうなっているのだろうか。私はしゃがみこんで、穴を目に当てて覗き込んでみることにした。

ちくわの中は望遠鏡のようになっていた。奥には白い小部屋が見えた。小部屋には、黒い椅子と一台のピアノが置いてあった。椅子は便利な道具なので好きである。裁ちバサミと同じくらい好きである。ピアノも美しい音色を出してくれるので好きである。ピアノは糸切りバサミと同じくらい好きである。裁ちバサミも糸切りバサミも、裁縫をする上であったら便利な道具なのは同じである。
そんなことを考えていると、次第に小部屋の壁が泡立ってきた。どうやら壁がぐつぐつと沸騰しているらしい。泡はむくむくと膨らんでいく。吹きこぼれだ。吹きこぼれた泡はどんどん集まり、次第に人の形になっていった。刹那、泡がパチパチと弾けていったかと思うと、泡の中から白いワンピースを着た少女が現れた。少女は立ったままスーッと水平移動して、部屋を3周ほどした後に、黒い椅子の前までやって来た。椅子は、少女にとっては少々高すぎるように見えた。だが、少女が椅子に足を掛けようとしたその途端、椅子がズブズブと沈んだかと思うと、あっという間に少女にとって丁度いい高さにまで調整された。そして、少女はピアノに向かってぺたんと座った。ピアノも、椅子に合わせて少女の手に届く高さまでズブズブと沈んだ。
少女は、ピアノを楽しげに弾き始めた。どんな曲なのか気になるが、目の代わりに耳をちくわに押し当てても全く何も聞こえない。どうやら、目で感じ取るしかないようだ。目を凝らしてみると、小部屋にゆらゆらと陽炎が立っているのが見て取れた。陽炎はピアノの音に呼応するかのように振動している。あるいは、この陽炎はピアノの音色そのものなのかもしれない。陽炎を通して、ピアノの音が部屋に響き、壁を震わしている様子が見える。陽炎を見れば音が見える。ピアノの音が目から聞こえる。少女の演奏に聞き入っていると、いつの間にやら部屋全体がピアノの音に覆い尽くされていた。揺れる陽炎に少女の姿の輪郭は溶け、ワンピースの白色は椅子やピアノの黒色と混ざり合って灰色をなした。灰色は、部屋全体を揺蕩いつつも、ピアノの音が鳴るたびに共鳴して膨張した。灰色は膨れ、膨れ、ただひたすらに膨れ上がり、視界はすっかり灰色に染まった。もう、音の姿も見えてこない。一面の灰色だけがそこにあった。

ふと、頭の中に一つの英単語が思い浮かんだ。
「equilibrium、か」
独り言を言いながら、私は手に持っていたちくわから目を離した。覗き込んでいたちくわを、まじまじと見つめる。さっきまで、私は何にイライラしていたのだろう。別にちくわが壁にくっ付いていてもいいじゃないか。むしろ、それはそれで趣があっていいかもしれない。そう思ってちくわから手を離すと、ちくわはポトリと壁から剥がれ落ちた。
ああ、世の中思い通りにならないものである。でも、何だか嫌な気はしない。それどころか、今まで自分にのしかかっていた重い倦怠感が取れて、明日への活力が湧いてきたような感じがする。
そうだ、明日は飼っている馬を連れて行って、会社の前で流鏑馬をしよう。高速で動く侍から高速の矢が飛んでくるなんて、流鏑馬はなんとエキサイティングな競技なのだろう。想像するだけでわくわくする。そうと決まれば、早速押入れから弓矢を取り出してこなくては。それにしても、こんなに明日が楽しみな気持ちになるなんて、一体いつぶりのことだろうか。まるで童心に返ったようだ。

高揚感に包まれながら、私は床に落ちたちくわを摘み上げ、口に放り込んでもしゃもしゃと食べた。ちくわは、私の歯で簡単に噛み切ることができた。スケトウダラの芳醇な香りが、口の中にふわっと広がり、鼻からスッと抜けていった。(終わり)

2018年10月2日火曜日

つい洗剤を出しすぎてしまい困る

ここ数日、つい食器用洗剤を出しすぎてしまう傾向にある。洗剤の出しすぎは、水質汚染、水資源の過剰利用、皮膚への悪影響、生活コストの増大、赤潮、漁業の衰退、QOLの低下、経済の低迷、人心の荒廃、そして最終的には死を招くとされる由々しき問題であり、私はこの問題の対処に手を焼いている。一体どうしてこんな事態になってしまったのか、その経緯を振り返ってみたい。

私はここ一年間、食器用洗剤としてキュキュットを使用している。洗剤の選択に関して特に信念があるわけではなく、キュキュットなのはたまたまである。食器用洗剤はおよそ二年に一本のペースで消費しており、これは大学入学してから二本目の食器用洗剤だ。以前は別のものを使用していたが、何を使っていたのかはもう覚えていない。重要視していることさえ容易に忘れてしまうのだから、洗剤の種類のように重要視していないことは尚更容易に忘れてしまうのだ。
さて、一年強ほどこのキュキュットを使ってきたわけだが、その結果、洗剤の出口の周囲で以前洗剤だったものがまるで怨念のようにこびりついて固まり、洗剤のスポンジへの滴下を妨げるようになってきた。そう、かつては同じ洗剤の同胞であったのに、スポンジへの着地に失敗してしまったたがために、社会の不要物としての謗りを免れることができず、日に日に怨念を募らせ、同胞の活躍を妨害するようにまでなってしまったのだ。私は同情と憐れみを含んだ視線で洗剤だった塊を一瞥した。人で例えるなら......仕事に就くことができず、日々の鬱屈した生活に不満を募らせ、ついに通り魔に走った犯罪者、といったところだろうか。人に例えない方が同情できそうだ。
あるいはこう言っても良い。洗剤塊はまるで凝り固まった古い考えのようにこびりついていた。人で例えるなら、自らの不要性を自覚できず、凝り固まった古い考えに支配され、同胞の活躍を無意識のうちに妨げてしまう老害である。洗剤塊を眺めながら、こうはなりたくないものだと私は自戒した。

話を戻そう。結局何が言いたかったかというと、洗剤の塊が洗剤の出口を塞いでいたということだ。通り魔にせよ老害にせよ、これを排除しなければならない、私はそう決意した。そして、ボトルの蓋を取り外し、お湯に付け、固まった洗剤塊を爪楊枝で何度も掻き出すことにより、洗剤塊を取り除くことに成功した。これがそのボトルだ。一番上の突起のようになっている部分の中と外で洗剤だったものが大量にこびりついていた訳である。

洗剤塊を除去された後のボトル

ちなみに、このボトルにはクリア除菌と書いてあるが、私が持っているボトルの底面は見たところ全く除菌されていなかった。意外だろうが、洗剤に除菌機能があっても、ボトルには除菌機能がないと推測するしかない。もしあなたがキュキュットの購入を検討しているならば、このことは気に留めておくべきだ。底面を自動的に除菌する機能がついた洗剤ボトルの速やかな開発が待たれる。それにしても、あの底面は思わず地球上の生物の多様性について思いを馳せてしまうような有様であった。もしかしたら、皿から除かれた菌たちが、まるで反政府ゲリラが拠点に集まるように、ここに集結しているのかもしれない。

話を戻そう。この処置の結果、相当な圧力をボトルに加えてようやく一滴が落ちるという具合だったのが、軽く握れば適量が出るようになった。これを受けて私は満足して就床したが、翌日洗剤を使おうとして驚いた。出すぎるのだ。あまりにも出るので、一時は洗剤だけでなく幽霊まで出たのかと思ったほどだ。幽霊が出たのかと思ったのだから驚くのも当たり前である。私はホラーが苦手なのだ。
話を戻そう。洗剤が過剰に出てしまったのは、洗剤の使用にかなりの圧力を要求されることに慣れてしまって、ついボトルを押しすぎてしまうからである。この洗剤の出しすぎは、それから数日経った今でも続いている。洗剤の過剰な使用は最初に述べた通り重要視すべき問題なのだが、それでも前回の教訓をすぐに忘れてしまうのだ。このように、外力を受けない限り、人は現在の習慣をそのまま続けようとする性質を持っている。人は急激な環境の変化についていけないのだ。これは慣性の法則と呼ばれている。
話を逸らそう。洗剤と言って思い出されるのは、「洗剤」という掌編小説である(*1)。掌編小説「洗剤」は、中学生の頃、私のある友人によって国語の授業の課題として提出されたものだ。 与えられた課題は、「ジーンズを洗って干した」の冒頭部分で知られる高橋順子の詩「ジーンズ」を小説へと翻案せよ、という内容だった。それを彼は、「ジーンズを洗って干した。洗剤はもちろんトップだ」と書き始め、ジーンズの洗い方に並々ならぬ信念を持った主人公を描く、洗剤の選択がテーマの奇天烈な小説にしてしまった。これが傑作で(*2)、 何度読んでも大笑いできる代物だったのだが、 詳しい内容は忘れてしまった。私の笑いの価値観に影響を与えた重要な作品だっただけに残念である。それはそうと、一体どんな頭の構造をしていたらあんな文章がかけるのだろうか。世界は不思議で満ちている。

話を戻そう。結局何が言いたかったかというと、人は急激な環境の変化についていけないということだ(*3)。最近は暑かった夏が終わり気温が急激に下がるだけでは飽き足らず、台風や新学期まで到来する始末である。体調を崩したり怪我を負ったりすることのないよう、どうか健康に気をつけてほしい。

(*1)他に洗剤から思い出されるのは、また別の友達の部屋で皿洗いをしたときに、「そんなにしっかり洗わなくていいよ。洗ったという事実を重視しているから」と言われた出来事である。
(*2)その後しばらくして、学校がまとめた海外交流体験事業の感想文集が配布されたのだが、彼のページにはなぜか感想文ではなく「洗剤」が掲載されていた。彼はきちんと感想文を提出したにも関わらず、である。傑作のオーラが編集者の目をくらませたのだろうか。脈絡のない奇襲を受けた私は再び笑い転げてしまった。
(*3)付け加えれば、重要視していても忘れてしまうことは頻繁にあるので、私が何かを忘れていてもあまり強く非難しないであげてほしいということだ。

2018年6月29日金曜日

続かぬ家計簿

一時期、出納を把握するため家計簿をつけていた(下図)。

2017年6月の家計簿
ところが、家計簿をつけることは面倒で長続きしなかった。しかし、一つ分かったことがある。家計簿をやめた翌月は私の財政が放漫になるということだ。
家計簿をつけている間は、支出を意識するため緊縮的になる。これは、上の図では、例えば一ヶ月で牛乳を1L分しか買っていないことに顕著に表れている(*1)。そうして緊縮した翌月に家計簿をやめると、反動で支出が増加するのだ。つまり、家計簿をつけることそれ自体が家計にバイアスをかけるという構造がある。家計簿をつけることで知りたいのは私の平均的な支出であるのに、家計簿をつけるせいで支出が抑制され本来の支出を見ることができない。ちょうど、pHを調べるためにpH指示薬を加えるとそれによって水素イオン濃度が変化してしまう(*2)のと同じである。あるいは、細胞を観察するために細胞に入れた蛍光標識が細胞自身に影響してしまうのとも同じである。昔から科学者を悩ませてきた測定問題だ。
ともかく、現在の技術的限界を考えれば、これを克服するためには家計簿をつけ続けるしかない。それは分かっているのだが、家計簿をつけるのはとにかく面倒である。つけるべきだという理念と、つけるという実践の間には大きな隔たりがあるのだ。ちょうど、人類は世界平和を実現すべきであるのに、なかなか世界平和を実現できないのと同じである。
細胞の場合、蛍光観察をし続けるとそのダメージで死んでしまうこともあるという。今まで述べてきたように、家計簿はpH指示薬であって、かつ、細胞を光らせる標識でもあり、更には世界平和でもあった。その類推でいくと、私の場合も、家計簿をつけ続けるとそのダメージで死んでしまうかもしれない(少なくとも、100年くらいつけ続ければ死ぬだろう)。人類も、世界平和が実現されればそのショックで滅亡してしまうかもしれない。
こう考えれば、私が家計簿をつけないことは人類の滅亡を防いでいるといえるのではなかろうか。こうなってはやむをえない。大変不本意ではあるが、家計簿をつけるのは諦めるより他にない。

(*1) 緊縮というわりに娯楽費がかさんでいるが、教科書以外の本は全て娯楽扱いになっていることが大きい。その意味で、この月は"娯楽"が"必要"になったのだ。
(*2) pH指示薬は、ふつう、水素イオンと結合したり水素イオンを放出したりするpH依存的な構造変化によって色を変化させている。

2017年3月18日土曜日

砂漠で砂を売る23の方法

3月になり、「就活」という単語を目にする機会が増えた。説明会が解禁されたのだ。ここまで就活就活と言われると、どこにも就職せず高等遊民として暮らしていくことを第一希望としている私としても、どうしても就活のことを考えてしまう。
聞くところによると、面接では敢えて突飛なことを聞いて受験者の対応を見る、ということもあるそうだ。突飛なことというのは、例えば「砂漠(*1)で砂を売る方法を考えて下さい」といった問題である(*2)。
以下、この問題を(A)とおこう。本稿では、面接でいかに突飛なことを聞かれても動じないよう、採用試験の面接で(A)と言われた状況を想定して、多角的な視点から25通りの解答を提案してみたい(*3)。

さて、よく模範解答として挙げられるのは、1.砂時計にする ことである。砂漠の砂を砂時計として詰めればお土産として喜ばれるだろう、ということだ。なるほど面白い発想である。まずはこの方向で考えてみることにしよう。
身の回りで何か砂が役に立っているものはないかと考えて思いついたのが、2.土嚢 だった。砂漠といえども川はあるし、雨季になれば増水もする。ナイル川には洪水が多かった(*4)という話をさりげなく混ぜ込めば、面接官も教養の深さに感心してくれるはずだ。Wikipediaによると、土嚢は防弾にも使われているとのことだ(*5)。防弾用途まで思いついたなら、昨今の中東情勢と絡めて土嚢の有用性を主張することで、グローバルな視点を持っていることもアピールできそうだ。
砂の用途として、他に 3.公園の砂場4.コンクリートの材料5.埋め立て地6.砂風呂 7.浄水場のろ過装置 を思いつくことができた。どれもB to Bを想定している。砂漠にある都市が発展する際には、きっと需要が見込めるだろう。ただし、砂漠にある浄水場がどういう仕組みなのか、私は知らない。

考えてみれば、何も砂漠で広がっているようなありふれた砂を売れとは言われていない。砂の種類を変えて売ることも検討してみよう。まず珍しくて売れそうな砂といえば、8.星の砂 である。しかし砂漠にいる人が他の土地のお土産物(*6)を欲しがるかと言われればイマイチかもしれない。
そこで提案したいのが  9.ペットのトイレ用の砂、 10.砂鉄実験キット、及び 11.砂金 を売ることだ。小学生の頃、砂鉄をスライムに混ぜて、磁石でスライムを遠隔操作する遊び(*7)をやったものだ。これは全世界の子供の心に訴求すると思う。
美しい砂があれば 12.枯山水 を作ることができる。砂漠ではきっと物珍らしがられるだろう。まずは石油王を龍安寺などに連れて行く。そこで駄々をこねて自宅にも欲しいと言い出せばしめたものだ。砂漠に戻って枯山水用の砂を売りつければ任務完了である。
珍しい砂で言えば、もっと珍しい砂を持ってきて 13.月の砂 を手に入れることができれば、コレクターが高値で買ってくれそうだ。いや、どうせならもっと大規模にいこう。探査機を飛ばし、採取した 14.小惑星の砂のサンプルを研究所に売る、というのはどうだろう。砂を売ると同時に、科学も発展させることができて一石二鳥だ。赤字になるだろうが、これは商売というよりフィランソロピーなので仕方がない。
ここまでで様々な砂を挙げてきたが、少し毛色の違う砂として 15.「一握の砂」 というものも考えられる。短歌の翻訳は難しいだろうから、砂漠に住んでいて日本語が恋しくなった日本人に売ってあげよう。それか、鳥取砂丘で売ってもよい(*8)。そういえば、東大法学部も砂漠の一種だと聞いたことがある。もし「一握の砂」が認められれば、16.セスナ でもいけるかもしれない。

ところで、(A)が問うているのは、砂を売る「方法」である。もっと(A)に忠実になって考えてみよう。砂を加工するのでもなく、特殊な砂を用意するのでもない。砂の「売り方」を変えて買わせるのだ。
最も単純かつ効果的なのは 17.脅迫 だろう。脅迫はモロに犯罪だが、犯罪スレスレでよければ 18.催眠商法 がある。悪徳商法にも色々あるが、砂を水とセットにして売るのは 19.抱き合わせ商法 と呼ばれる。あるいは、20.認知症の人に売る という手もある。これらは、意図的にやっているという証拠を掴みにくく立件が難しいと思われる。行政指導を受けるだけで済みそうな印象だ。
犯罪スレスレの手段の中では、21.健康効果を期待させる のが最近の流行りである。健康効果を標榜すれば薬事法違反(*9)であるが、消費者が勝手に健康効果を期待してしまっただけなら摘発されようがない。まずは、砂と触れ合うことによるリラックス効果を謳い、インテリアという名目で砂を売る。この際、パッケージを一目見て「この商品は健康に良さそうだ」と感じさせるようデザインすることが重要である。この商品名を、仮に「硅素砂」としよう。次に適当な第三者(*10)が噂を流すのを待つ。噂は「部屋に硅素砂を置く硅素健康法が流行中!天然ミネラルの力で波動が充満!」といったものがよい。噂が科学的事実に基づいている必要はない。噂が十分広まれば、信じ込みやすい人たちが硅素砂を購入してくれるだろう。
犯罪スレスレがNGになっても、22.同情を誘う という方法なら問題ない。ただ、商品がただの砂ではいくら可哀想でも家族くらいしか買わないだろうから、家族も砂漠に呼びつける必要がある。「砂漠で拘束されている。誰かが砂を買ってくれるまで砂漠から出ることができないのだ」と家族に伝えれば買いに来てくれるだろう。それは嘘かもしれないが、合法なのは確かである。

それにしても、砂を売るためには本当に砂を買ってもらう必要があるのだろうか?日本語の「売る」という言葉の用法を考えてみてほしい。あなたが、「あの店では野菜を売っている」と言うとき、何もあなたはその店で野菜を買う必要はない。その店が、商品として野菜を扱っていさえすればよいのだ。そう、砂を売るには、23.商品として店に砂を陳列する だけでよい。
もっと固定観念を疑ってみよう。そもそも、我々はどういう状況で(A)と言われたのだったのか。面接である。我々は、「サバクデスナヲウルホウホウヲカンガエテクダサイ」(これを(A')とおこう)という面接官の発音を聞いて、「砂漠で砂を売る方法を考えてください」のことだと解釈した。実は(A)は我々が作り上げた幻にすぎないのかもしれないのだ。こう考えれば、信頼に足るのは(A)よりむしろ(A')であると言える。そこで虚心に(A')を眺めていると、(A')は「砂漠で砂を得る方法を考えて下さい。」とも解釈できる(*11)ことがわかるだろう。かくして、24.砂を拾う という解答が出てくる。
我々が揺るぎないと信じ、議論の出発点としてきた(A)さえ信じられないとなると、もう何も信用できない気がしてくる。答えるべきは、砂を売る方法だったのか、得る方法だったのか?いや、どちらでもよい。面接官が我々に求めているのは、ただ 25.考える ことだけだったのだ。面接官は砂漠で砂を売る方法を挙げよとは言っていない(*12)。考えさえすればよかったのだ。
そもそも、本当に(A')に答えはあるのだろうか? 問題に必ず答えがあるという保証はどこにもないのだ。では、本当に問題は存在していたのだろうか? 考えるだけでよいということは、実は(A')は問題ではなかったのでは?もしかして、すべては幻だったのか?
私は考える。面接官に「考えて下さい」と言われたから。考えれば考えるほど、確かなことなど何もないと思えてくる。答えの存在も、問題の存在も、試験を受けている自分の存在すら疑わしい......ここまで考えて、私は気付く。それでも確かに言えることは、「自分の存在すら疑わしい」と自分は考えているということ。つまり、そう考えている自分が存在しているということ。
これは、(A')に代わる第一原理。人から与えられたのではない、自分で確かめた出発点。今となっては存在するかもわからない面接官に向かって、私は叫んだ。

0.「我思う、ゆえに我あり。」
一見突飛な問題を通して、面接官はこんなメッセージを伝えたかったのかもしれない。


(*1) 本稿では、ケッペンの気候区分で砂漠気候に分類される地域なら、全て砂漠とみなしている(逆は必ずしも真ならず)。例えば、ラスベガスの中心部も砂漠とする。
(*2)「砂漠で砂を売る方法を考えて下さい」で検索するとD通社に関連するWebページが出てくる。
(*3)何か別解が思いついたなら、是非コメント等で教えて欲しい。
(*4)アスワンハイダムの建設により、現在は洪水が減少しているそうだ。
(*5)https://ja.wikipedia.org/wiki/土嚢
(*6)海岸砂漠なら星の砂がある......のか?
(*7)何かを遠隔操作する遊びは幅広い世代に人気があり、模型自動車、ドローン、他人のコンピューターなど様々なものが遠隔操作されている。
(*8)鳥取砂丘は砂漠ではないため、よくない。
(*9)薬事法が砂漠の国にもあるのかはよく知らない。
(*10)ライターを大量に雇い低品質な記事を量産しているサイトが有力候補だ。
(*11)(文脈上明らかだとは思うが)この「得る」は「うる」と読んでほしい。
(*12)にもかかわらず「砂漠で砂を売る方法」を23通りも挙げるような人間には、決してなってはならない。

2016年8月25日木曜日

読解力の重要性を示す1つの事例

確か、私が高校生2年生か3年生の頃の話(*1)だったと思う。
私が母と夕食を取っていたときの出来事であった。当時の私は「彼女いない歴=年齢」だった(*2)が、母はそれを常々問題視していた。そしてその日、母は私にもっと恋愛に取り組むよう要求してきたのだった。私ははぐらかしながら会話に応じていたが、私の女性に淡白な態度を前にして、母は私をゲイではないかと思い始めたようだ。そしてついには、「もしかして、あんたこっち(=オカマ)なんけ。それだけはやめてよ」と発言するに至った。
私は、この発言には複数の問題があると思った。第一に、同性愛者に対し差別的である。次に、私は自分を異性愛者として認識している。更に、この発言にはもう一点の問題があった。私はこの「もう一点の問題」に焦点を当て(*3)、だいたい次のような内容のことを言って(*4)返答した。

「ちょっと待ってほしい。今、「それだけはやめてよ」と言ったが、その命令は意味を為さない。なぜなら、「好き」という感情は第三者に「やめろ」と言われて「やめる」ことができるものではないからである。もし「やめる」ことができたならば、それはもはや「好き」とは言わないのではないか。それでも「やめる」ことができず、どうしてもその人のことを考えてしまう、そんな状態のことを「好き」と表現するのである。もちろん、求愛や結婚といった具体的行為ならば「やめる」ことができる。しかし、ゲイであることはそういった行為ではなく、その人の「好き」という感情によって定義されるものであろう。従って、もし私がゲイであると仮定しても、「ゲイである」ことは「やめる」ことができないのである。以上の議論により、「それだけはやめてよ」という今の発言は意味を為さないことが明らかとなった。」
以上の議論を聞いた母は、私をしばらくゲイだと誤解してしまった。なにぶん彼女がいない(*5)以上証拠を提出しようがない(*6)ので、この誤解を解くことは大変な苦労であった(*7)。

わざわざ言うまでもないことだと思うが、私の弁論のどの点をとっても私がゲイであるという結論は引き出されない。私は異性に対する恋愛感情から類推することによって論を組み立てているのである。センター試験か何かで私の発言が出題されたとして、「この主張の発言者はゲイだと考えられる」といった内容の選択肢があれば間違いなく誤答であろう。しかし母は誤答を選んでしまった。この事件は、「読解力の不足は、息子をゲイだと誤解する危険性を高める」という教訓をもたらしたのである。

(*1)「ある年のクリスマスプレゼントとして私がハタハタを求めたところ、クリスマスツリーの下に魚の入った発泡スチロールの箱が置かれていた。祖父がしばしば魚介類を注文していた業者と箱に記された業者が同じであったことから、私はサンタさんの正体が家族だったことに気づいた」というエピソードに並ぶものとして、ある友人はこの話を高く評価している。曰く、これらは私の人となりをよく表しているそうだ。
(*2)2016年8月25日0時現在においても「彼女いない歴=年齢」である。
(*3)私が「もう一点の問題」に焦点を当てたのは、それが論理上の問題であるからだ。「同性愛者に対し差別的である」はジェンダー学上の論点であり、また、「私は自分を異性愛者として認識している」は私個人がどういう人であるかに関する論点である。一方、第三の問題は純粋に論理上の問題であり、より普遍的で、より根源的な問題であると思われたのだ。
(*4)書き言葉として再構成する上で訛りを取り除いた結果、堅苦しい印象を与えるものとなってしまった。
(*5) 彼女がいないどころか、彼女という概念(=「彼女」とはどういう意味の言葉なのか)がよく分からない。いや、それどころか、「いない」という概念の意味もよく分からない。「いない」がわからないどころか、「いる」も分からない。なぜ自分はここにいるのか。何かが「ある」とはどういうことをいうのか。そもそもなぜこの世界には何かが「ある」のか。私は一体何を認識しているのか。彼女がいないどころか、私がいない可能性もあると思う。
(*6)尤も、彼女がいたところでバイセクシャルである可能性は残る。
(*7)「大変な苦労」になってしまったことには、私の将来の夢が科学者であることも災いしている。というのも、科学者を志す者として、私は物事を控えめに記述する傾向があるのである。例えば、断定は極力避け、分からないことはきちんと分からないと言う、といった具合である。この性質がある以上、「えっ、男の子を好きになるんけ?」と聞かれても、私は「少なくとも、過去に女性以外を好きになったことはない。しかし未来のことは分からない」と答えるより他にないのだ。私のこの返答は母の混乱を長引かせることとなった。