2026年11月1日日曜日

【簗和生】国会議員の問題発言を大特集!【森喜朗】

10月は簗和生の話題がホットだった。 
2026年9月、簗氏は内閣改造に伴い農林水産大臣として初入閣を果たした。しかし、その直後から道路予算配分に関する発言が報じられ、簗氏は厳しい批判にさらされた。発言の趣旨は、「首長が簗氏を応援せず、簗氏の得票が伸びなかった自治体の道路予算を大幅にカットした」というものだ。簗氏は農水大臣を辞任したが、それで十分とは思えない。簗氏がどこまで予算減額に関与したのかは不明であるが、国会議員が「私の権力をもってすれば、政治的な支持に応じて自治体の予算を増減させることも可能だ」と誇示すること自体が、民主主義の基盤を揺るがすものだ。議員辞職が妥当と考える。 

せっかくの機会なので、国会議員の問題発言を振り返ってみよう。 

2000年6月 森喜朗「(選挙に無関心な人は)寝ていてくれればいい」 
当時首相を務めていた森喜朗が、衆院選の投開票日だった6月25日の直前に放ったとされる発言。
早速だが、めちゃくちゃ好きな失言だ。私も、多くの有権者に投票に行ってほしいと思う一方で、排外主義や財政ポピュリズムに乗せられるくらいなら寝ていてくれればと常々思っている。この発言を非難する資格は私にはない。
森喜朗は「寝てしまってくれればそれでいいんでしょうけど、そうもいかないでしょうね」と続けている。「そうもいかない」のは本人もわかっているのだ。 
この発言を聞いて投票に行こうと思った人も少なくなかったことだろう。「選挙権行使は大切だ」とストレートに語るより心に響く。民主主義の不都合な真実を明瞭に示した金言である。

2003年6月26日 森喜朗「子どもを一人もつくらない女性が、年とって税金で面倒みなさいというのはおかしい」
鹿児島市で開かれた、少子化問題の討論会での発言。多くの子どもを育てた女性を国が老後に支えることが本来の福祉だという旨を述べた。同じ森喜朗の発言だが、この発言は非難に値するだろう。女性に対する人権感覚がまともでない上に、福祉への理解も根本的に欠如している。
森喜朗の後期代表作に、2021年の「女性が多い会議は時間がかかる」がある。私は2003年の発言の方が悪質だと感じる。「女性が多い会議は時間がかかる」は、森喜朗が18年かけて丸くなったことで生み出された発言だったのかもしれない。

2003年6月26日:太田誠一「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」
何と同じ鹿児島市の少子化問題の討論会での発言だそうだ。男性が女性にプロポーズする勇気を失っているという話題の中で、こう述べたという。こんな無茶苦茶な討論会の司会はやりたくない。 
性差別に関わる失言は世にたくさんあるが、これは凡百の女性軽視発言とは一線を画している。何せ蔑視度合いが抜きん出ている。プロポーズしない男性は性犯罪者より異常という意味だから、もはや女性を蔑視しているのか男性を蔑視しているのかわからない。人間蔑視だ。

2007年1月27日 柳沢伯夫 「女性の数、産む機械の数は決まっている」
私はこの頃小学校の高学年であり、公民を習っていた。「女性は産む機械」は私が政治に関心を向け始めた頃の有名な失言であり、私にとって失言といえばこれ、失言の中の失言、失言の覇者である。「10代で口ずさんだ歌を、人は一生、口ずさむ」の最悪バージョンだ。
発言としては論外である。 

2007年7月 麻生太郎 「7万8000円と1万6000円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」
森喜朗と双璧をなす失言議員、麻生太郎の初期の代表作だ。「小学生でもわかる」と言えばいいものを、わざわざ「アルツハイマー」という辺り性格が悪い。 

2008年8月 太田誠一 「いまでも日本は安心だけれども、消費者や国民がやかましいから、さらに徹底していこう」
農林水産大臣として、日本の食品安全対策について説明する中での発言。内心、対策を面倒くさがっているのだろうか。それが本音だとしたらちょっと面白い。
農林水産大臣には相応しくない。「集団レイプする人は元気があるからいい」と同一人物だ。よく政治家を続けていたな。

2010年11月 柳田稔 「国会答弁は二つの定型句を覚えておけばよい」
広島市で開かれた「法相就任を祝う会」で発言。二つの定型句とは、「個別の事案への回答を差し控える」「法と証拠に基づいて適切に対応している」だそうだ。
この失言は大好きだ。法務大臣の職責をナメくさっていて面白い。
当然、有権者はこのような定型句が安易に使われることがないよう国会を監視する必要がある。柳田氏はこの発言が批判され、法務大臣を辞任した。自身を犠牲に有権者への警句を発してくれる国会議員の鑑である。

2011年7月3日 松本龍「知恵を出さないところは助けない」
東日本大震災からの復興を進めるため、岩手県や宮城県の知事と面会した際の発言。松本龍はとにかく高圧的な大臣だったらしい。民主党政権の「悪夢」要素は1割くらいコイツ一人で担われているのではと思っている。
恫喝に基づく彼の政治手法は、後の簗和生を先取りしているとの噂だ。

2013年7月29日 麻生太郎 「ナチスの手口に学んだらどうかね」
講演で憲法改正について論じた際の発言。多作で知られる麻生太郎だが、その中でも最高傑作の失言だと思う。面白い。護憲勢力が改憲勢力をナチ的となじるのならともかく、改憲勢力側がそれを言うのかとツッコミたい。
衆議院のWebサイト上の質問主意書では、もう少し詳しく麻生氏の発言が確認できる。どうやら、「憲法の議論は騒がず静かに行うべきだ。ナチスが誰にも気づかれずに憲法体制を変えたように、あの手口を学んだらどうかね」という話の流れのようだ。麻生氏は後に、ナチスを悪しき例として挙げたのだと釈明したが、私には何度読んでも悪しき例として挙げたようには読み取れない。
特に、「騒がず静かに」という発想は不穏である。麻生氏は、平和的に反対意見を述べることまで「騒ぐ」と思っているのではないか。ナチスの手口で改憲したら、騒ぐ人は市井からいなくなるだろう。ナチスの手口は民主主義を破壊する上で非常に参考になるに決まっている。
我々は、人権の尊重を図るためにこそナチスの手口を学ばねばならない。一度犯した過ちである。「再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という憲法前文の決意は極めて重い。

2014年6月16日 石原伸晃 「最後は金目でしょ」
福島第一原発の事故で発生した汚染土壌を保管する中間貯蔵施設の建設について、用地取得などの交渉が難航する中での発言。
素直でよろしい。 

2016年4月 足立康史 「アホ」「バカ」
国会審議の中で、民進党を非難しての発言。 
小細工一切なしのストレートな暴言にあっぱれだ。 

2017年4月25日 今村雅弘「東北でよかった」
政治資金パーティーで、復興大臣として東日本大震災の被害額について説明した際に、「まだ東北、あっちの方で良かった。首都圏あたりだと莫大、甚大だったと思う」と述べた。 
その場にいた安倍首相が即座に「極めて不適切な発言があった。おわび申し上げる」と謝ったそうだ。いきなり部下がこんなこと言い始めたら青ざめてしまう。総理大臣は大変だ。 
それはそれとして、言いたいことはわからないでもないのが苦しい。「もっと被害が大きくなる可能性もあった」という考え方自体は合理性がある。私の心の中にも、どこかに今村氏がいるというのか。 

2017年6月に報道 豊田真由子「このハゲー!違うだろ!」
自身の政策秘書に対して怒鳴り、暴言を浴びせていた音声が週刊誌によって報道された。 
パワハラの被害者がいるため笑い話ではないのだが、いかんせん「違うだろ」という普通の言葉が豊田真由子に結びついてしまった。今でも「違うだろ」と思うたびに「このハゲー!」が脳裏をよぎってしまう。「スカスカといえばおせち」「草彅剛といえば前転」と同様で、治療の見込みがない。 

2018年11月 桜田義孝「自分でパソコンを打つことはない」
サイバーセキュリティ戦略担当大臣として、パソコンの使用経験について質問された際の答弁。
そんな正直に言わんでも。 

2019年10月 萩生田光一「身の丈に合わせて頑張って」
文部科学大臣としてテレビ番組に出演し、「大学入試への英語民間試験の活用を進めると、家庭の経済状況や居住地域による格差が生じるのでは」と質問された際の返答。 
発言当時はなんだコイツと思ったものだが、そもそも萩生田氏は9月に文科相に就任したばかりで、民間試験活用は前任者から引き継いだ政策だった。そして、萩生田氏が制度について問われた際の「失言」こそが、制度の問題点を凝縮した言葉になっていた。その後、萩生田氏は発言を謝罪し、民間試験の活用方針を転換した。結果だけ見れば、失言のおかげで改悪が防がれた形になった。 
民間試験導入が強行されかけていたことは、萩生田氏以前の文科相の責任が大きいだろう。萩生田氏は、最終的には無理な方針の尻拭いまでしてくれた。あまり萩生田氏をけなすわけにもいかない。 
教員による猥褻行為対策など、萩生田氏の文科相としての実績は本物だったと思っている。一方で、萩生田氏には、統一教会・加計学園・裏金と3つの疑惑を抱えたまま説明責任を十分に果たしていないという側面もある。いつか心から萩生田氏を褒められる日が来てほしいものだ。 

2020年1月28日 安倍晋三「幅広く募っているという認識」「募集しているという認識ではなかった」
「桜を見る会」への参加を募る文書が有権者に送られていた問題で、質問を受けた際の国会答弁。
安倍氏の屁理屈の集大成だ。首相にこんなことを言われると議論が成り立たない。長期政権の弊害を象徴する発言である。 

2022年11月9日 葉梨康弘「法相は死刑のはんこを押すときだけニュースになる地味な役職」
外務副大臣だった武井俊輔氏の政治資金パーティーに出席した際の発言。「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない」と続く。
この失言、大好きである。 
第一に、ほぼ愚痴である。夜に居酒屋で言えばいいものを、どうして昼間に政治資金パーティーで言ってしまったのか。柳田稔といい葉梨康弘といい、法務大臣はどうしてこうも本音を漏らしてしまうのか。せっかく大臣になったのに注目されず、ヤケクソになって失言でニュースになってやろうと考えたのでないことを祈る。 
第二に、ブラックジョークとして強烈である。これは死刑の話だ。人の命をなんだと思っているのか。死刑制度を問題視し、廃止した国も数多い。国家権力によって命を奪うというのは、考えてみたらとてつもなく重い話だ。それなのに、責任者からとてつもなく軽い愚痴が出る。落差が激しく、印象に残る。 
法相の地味さは実際否定できない。法務省が何をする省なのか私もよくわからない。言われてみたら一番地味な気がしてくる。他の省どころか、デジ庁、復興庁、(2022年当時は設置前だが)こども家庭庁と比べても地味だ。葉梨氏が死刑のはんこを押したとて、私が気付くか怪しいものだ。 
「法相の仕事を軽視している」と葉梨氏に批判を浴びせるわりには、我々は法務省に目を向けていない。葉梨氏はそのギャップを浮き彫りにした。法治国家としての根幹を考える上で、語り継ぐ価値のある失言である。 

2025年5月18日 江藤拓「米は買ったことがない」
政治資金パーティーで、「支持者らから米をもらうため、自分では米を買わずに済んでいる。米は売るほどある」という趣旨の発言をした。当時、江藤氏は農水大臣として米価の高騰に対処する立場にあったため強く批判され、5月21日、農水相を辞任するに至った。
しかし、そこまで悪辣さがない可愛い失言だと思う。自慢に聞こえるので、嫌なやつではある。その後、江藤氏は定期的に米を買っていると釈明した。「売るほどある」は相当な誇張である。 

2025年7月8日 鶴保庸介「運のいいことに能登で地震があった」
参議院選挙に出馬した二階伸康氏の応援演説での発言。鶴保氏は謝罪し、災害を契機に制度上の対応が進んだという趣旨だと釈明した。
政治家なら、災害が起こる前から制度を整備していくという考えを持つべきだ。釈明が釈明になっていない。今村雅弘から何も学んでおらず、こういう発言は本当に良くない。
もともと石破内閣は低支持率だったが、この発言が報じられ、「もう選挙で自民党が大敗することは決定的だ。選挙後、石破氏が辞任するより他にない」と思ったものだった。
ちなみに、二階伸康氏は落選した。応援に来るな。

2026年10月に報道 簗和生「那須烏山市と那珂川町の道路予算は大幅にカットした」
簗和生は一切擁護の余地がない。本当に予算が減っているのだから、ただの失言では済まされない。
国交省が簗氏の問い合わせに応じたはずだが、その記録が残っておらず、予算減額の経緯の検証が困難な状況だという。もし様々な省庁で文書の軽視が進んでいるとなれば、簗氏個人の資質を疑っているどころではない。省庁をどのように統括するのか、政権の姿勢が問われる。

好きな問題発言TOP3を選ぶと以下のようになる。
1「(選挙に無関心な人は)寝ていてくれればいい」 
2「法相は死刑のはんこを押すときだけニュースになる地味な役職」 
3「国会答弁は二つの定型句を覚えておけばよい」 

私は自分を失言する側の人間だと思っている。思わず本音が出てしまった失言や、冗談を言おうとしてスベってしまった失言は、どうもひとごととは思えない。
政治家も一人の人間である。どうしても許せない失言もあるが、どこか人間臭さが垣間見える失言は憎めない。政治家が漏らす人間臭さには、ときとして民主主義や国家権力に関する重要な警句が含まれているように思う。こうした失言に、私は惹かれてならないのだ。

2026年7月9日木曜日

【考察】池袋ヨドバシでなぜ脱糞が相次ぐのか?

6月30日、池袋にヨドバシカメラがオープンした。私も早速行ってみたのだが、フロア案内(図1)にあるように、B1から5Fまでの全ての階で電池を扱っていることが特徴的だと感じた。せっかくなので、単4のマンガン電池4本を購入してきた。現在はBluetoothキーボードに使用している(図2)。

図1 ヨドバシカメラ マルチメディア池袋のフロア案内。


図2 池袋のヨドバシカメラで購入した電池。

さて、電池といえばウンチであるが、池袋のヨドバシカメラでは店内に何度か排泄物が落ちているとの報告があり、Twitterで騒ぎとなっている。Twitterでは、近隣の家電量販店の店員による仕業なのではと推測する投稿も散見された。しかし、ライバル店舗で脱糞することは重大なコンプライアンス違反である。近くに競合する店舗ができたならば、価格・サービス・商品知識によって対抗すればよいのであって、わざわざ当該の店舗で排泄を行う合理性がない。この説は妥当でないだろう。

それでは、一体なぜ池袋のヨドバシカメラに排泄物が何度も落ちていたのだろうか?私なりに四つの仮説を考えてみた。

[仮説1] 
連続で起こる犯行といえば、殺人である。そして、連続で殺人をするのは、猟奇殺人鬼である。このことから類推すると、連続脱糞の犯人は猟奇脱糞鬼となるだろう。
大便を見かけたという人はいても、脱糞行為そのものを見かけたという人は目下確認されていない。これは、猟奇脱糞鬼が脱糞のスリルを楽しんでいることを示唆している。犯人は人が多いであろう場所 ——開店直後のヨドバシカメラマルチメディア池袋—— を狙った。そして、商品を探すふりをしながら、自分が誰の視界にも入らなくなる瞬間を狙った。
今だ!
刹那、犯人はズボンを下ろした。

プリュ

犯人はズボンを上げ、何事もなかったかのように去っていった。その間わずか0.01秒、防犯カメラにも映らない速度であった。

これが猟奇脱糞鬼説である。

[仮説2] 
池袋のヨドバシカメラは、西武池袋本店のビルに入居している。西武百貨店の売り場が大幅に改装され、新たに巨大な家電量販店が導入された形である。

Aさんは西武百貨店の従業員だった。4階で紳士服を売る自らの仕事に誇りを持っていた。Aさんは職務に忠実で、誠実な人柄は顧客にも同僚にも高く評価されていた。しかし、Aさんが人事考課で言い渡されたのは、昇進ではなく、解雇であった。聞けば、ヨドバシカメラ進出に伴う売り場縮小のため、人員整理をするのだという。Aさんはその対象になってしまった。
2026年6月30日、Aさんは「西武百貨店」の5階にいた。ああ、何もかも変わってしまった。栄光の日々は思い出になってしまった。でも、こここそが私の居場所だった。職場であり、人生であり、縄張りなのだ。
「この場所を他人に渡してたまるか!」
Aさんは放尿し、脱糞した。今では日課になっているという。

これがマーキング説である。

[仮説3] 
ヨドバシカメラ側が人に脱糞させているという考え方もある。
例えば、ヨドバシカメラがマリオパーティのマップだったとしよう。マリオパーティの基本はスゴロクだ。サイコロを振って、青いマスに止まるとコインが増えて、赤いマスに止まるとコインが減る。コインを集めて、スターと交換する。スターを集めた人が勝ちである。

「ヨドバシカメラ」は上級者向けのマップであるから、青赤以外のマスも登場する。それが茶色いマスである。茶色いマスに止まると、脱糞してしまうのだ。
プレイヤーのうち1人だけが茶色いマスに止まった場合、そのターンでは 糞vs3ミニゲームが始まる。これは一般に糞側の難易度が高く、糞側不利というのが定説である。アイテムを駆使して、なるべく脱糞マスに止まらないよう戦略を練った方がよい。

これがマリオパーティの新要素「脱糞マス」説である。

[仮説4] 
マリオパーティではなく、マリオカートの可能性もある。
マリオカートはアイテムで対戦相手を妨害できることが特徴のレースゲームであり、代表的なアイテムとしてバナナがある。バナナは道に設置することができ、踏んだプレイヤーはスリップして減速してしまう。また、作品によっては、ゲッソーというイカのキャラクターがアイテムとして登場する。ゲッソーを使用すると、相手の画面は黒い墨で覆われて、画面がほとんど見えなくなる。

そこで、これら二つを組み合わせたアイテム、「ウンコ」というのはどうだろうか?
「ウンコ」を踏んだプレイヤーは滑って減速した上、画面が茶色くなってほとんど見えなくなってしまうのだ。そして、どういうわけだか、コース「ヨドバシカメラ」では「ウンコ」の出現率が高く設定されていたわけである。
ちなみに、マリオカートでは 50cc / 100cc / 150cc で難易度を選択するが、「ヨドバシカメラ」のみ排気量ではなく尿量を表している。

これがマリオカートの新アイテム「ウンコ」説である。

-----

本記事では、ヨドバシカメラマルチメディア池袋における一連の脱糞事案について、四つの仮説を提示した。いずれの仮説も十分な検証を経たものではないが、本件の議論に一石を投じることができたのではないかと思う。
ちなみに、店内での排泄は迷惑行為であり、やめた方がよい。マリオパーティをしていただけならともかく、もしあなたが猟奇脱糞鬼であるならば速やかに出頭することをおすすめする。

2026年2月11日水曜日

鼻の奥にやる気スイッチを設ける手術、いくらまで払えるか?

以前、交際していた彼女とこんな会話をした。

彼女「無くて七癖といいますね。汝水さんにも癖ってありますか?」
私「貧乏揺すりかな」
「貧乏揺すりするんですか?見たことないですけど」
「僕は縦じゃなくて、横に足を揺らす」
「それは貧乏揺すりなのでしょうか......?」
「あとは、鼻をかく」
「そういえば、高校の同級生に、鼻くそをほじるのが癖の男子がいました」
「ほう」
「試験前とかも思いっきり鼻をほじってるんですよ」
「ふむ」
「でも頭のいい人で。成績はすごいよかったんです」
「なるほど......」
「どうかしましたか?」
「そうか。これらの事実を総合して推理すると、彼は鼻に指を入れることによって、集中力を高めていたのかもしれない」
「どういうことですか?」
「これは一つの仮説なんやけど、彼のやる気スイッチは鼻の奥に位置していたのではないだろうか」
「え?」
「彼は鼻の奥にやる気スイッチを持っていたのでは」
「聞こえてはいます」
「鼻に指を入れている様子が見られるのは、間違いなくリスク。つまり、リスクと天秤にかけられるほどのリターンがあったということや。それがやる気スイッチ。彼は自らのやる気スイッチを試験前にオンにすることで、集中力を高め、高得点を手にしていた」
「はあ」
「でも実際、鼻の奥にやる気スイッチを設ける手術があったとして、君なら受ける?」
「受けません」
「いくらまで払える?」
「受けません」
「でも手軽にやる気スイッチをオンにできて便利やで」
「受けません」
「僕は8万円くらいかなあ」
「そうなんですね」
「いかんせん、鼻の奥では」

結婚しました。今の妻です。

2025年2月2日日曜日

節分の日に具がキュウリだけの太巻きが出てきたら嫌だ

節分の日に具がキュウリだけの太巻きが出てきたら嫌だ。節分の日に具がキュウリだけの太巻きが出てきたらどうしよう。もしそうなったら、恵方巻きなんてのんきなことを言っている場合ではない。具がキュウリだけの太巻きを前にした私に、もはや恵方を向いている余裕はない。恵方がどこかなんて知るよしもない。具がキュウリだけの太巻きは全く縁起物ではない。具がキュウリだけの太巻きは恐ろしい。

具がキュウリだけの太巻きを一度想像してみてほしい。具がキュウリだけの太巻きは、ご飯だけの太巻きよりも貧しい。食卓に寿司がなく、ただご飯と海苔とキュウリが並んでいる様子よりも更に貧しい。具がキュウリだけの太巻きから漂う「貧」のオーラはすごい。
なぜ素材の状態よりも「貧」のオーラが増しているのだろうか。節分の日に具がキュウリだけの太巻きを見せられると、どうしても我々の脳裏には「本来用意したかったもの」が浮かんでしまう。つまり、キュウリに、卵に、カンピョウに、何かの魚介が入った、具沢山の太巻きである。しかし、その夢は叶わなかったのだ。当たり前だと思っていた日常は、決して当たり前のものではない。何せ、ここにはキュウリしかない。「欠如」である。具がキュウリだけの太巻きは、欠如の象徴なのだ。

問題はそれだけではない。具がキュウリだけの太巻きを食べてみるといい。

—— ボリッ

キュウリが太すぎる。具がキュウリだけの細巻きは既に普及しており、それはかっぱ巻きと呼ばれている。かっぱ巻きがなぜ美味しいのかというと、食感が小気味いいからだ。かっぱ巻きと具がキュウリだけの太巻きを食べ比べると、その差は歴然としている。

—— シャクッ

—— ボリッ

ボリッは違う。ボリッは別に食べたくない。ボリッを求めているならボリビアにでも行けばいいのであって、具がキュウリだけの太巻きなんて食べなくていい。しかもキュウリがやたらに太いと醤油に合う気もしない。これだから具がキュウリだけの太巻きは嫌だ。節分の日に具がキュウリだけの太巻きが出てきたら、もうどうしようもない。

ともかくそういうわけで、私は一回ボリビアに行ってウユニ塩湖やフラミンゴを見てみたいなと思っているのである。

2025年1月19日日曜日

モルディヴはどんな場所なのだろう

先日、知人と話した。彼は今度モルディヴに旅行に行くそうだ。

モルディヴというのはどんな場所なのだろう。「モル」で「ディヴ」だから、筋骨隆々、攻撃的で強そうな雰囲気がある。犬でいえば「チワワ」ではなく「ドーベルマン」、ファミレスでいえば「サイゼリヤ」ではなく「びっくりドンキー」、化粧品メーカーでいえば「資生堂」ではなく「マンダム」である。おそらく、立派な髭を蓄えた大男が巨大な熊などを倒しながら生活している集落なのだろう。
「モル」は「盛る」に通じるから、モルディヴの住民はガツガツと大量のご飯を食べていると推測できる。日本でも、「盛岡」の住民は胃袋が満タンになるまでわんこそばを食べ続けており、非常に強い。盛岡くらいのモルディブさでも大量のわんこそばを平らげているのだから、モルディヴくらいモルディヴになってくると、生の熊肉一頭分を平らげていてもおかしくない。

このように、モルディヴは「モル」で「ディヴ」なわけである。では、その対極は何になるだろうか。チワワだろうか、サイゼリヤだろうか。私見だが、おそらくそれは菊川怜だ。菊川怜は、日本で最も非モルディヴ的な人物だと思う。菊川怜は「キクカワ」で「レイ」である。どうにも食が細そうだ。「ビビンバ」や「カツ丼」などは一切食べずに、「アクエリアス」「氷」「霧」だけを食べて生きていそうなイメージがある。

従って、菊川怜がモルディヴに行くとは到底考えられない。私の推理によれば、私が話した知人は、菊川怜とは異なる人物に違いない。

2024年9月4日水曜日

体毛Tier List

今年の春に就活を開始し、色々な会社の選考に落ちてきたが、ようやく来年入社する会社が決まった。ありがたいことだ。今後はこのブログももう少し更新できればいいなと考えている。

というわけで、早速体毛のTier Listを作っていこう。

SSSランク
  • まつ毛
まつ毛はSSSランクだ。まつ毛は、「目を異物から守る」という非常に重要な役割を担っている。特段手入れをしなかったとしても汚らしくならないが、一方で細かく手を加えて楽しむこともできる。
人体で最も良い体毛だと断言できる。

Sランク
  • 髪
  • 眉毛
髪と眉毛はSランクに置いた。どちらも美容面での重要度は高く、全くなくなってしまうと寂しい。一方で、まつ毛よりは手入れを要求される頻度が高いという側面がある。実利にも欠ける。
とはいえ、十分良い体毛である。これからも生えてきてほしい。

Aランク
  • 鼻毛
  • ヒゲ
1つ目のAランク体毛は、鼻毛だ。鼻毛は、鼻に入った異物を絡め取って排出するはたらきを持つ。口呼吸より鼻呼吸が推奨される理由の一部は鼻毛にある。鼻毛の功績は大きい。一方で、外から見えていると汚らしいという重大な欠点は見過ごせない。鼻毛の先にハナクソがついていた日には目も当てられない。ただし、"ハナゲ"の汚らしさは少々ユーモラスである。男子小学生からの人気は高く、ただの不潔なだけの毛とは一線を画す魅力がある。
2つ目のAランク体毛はヒゲである。ヒゲに利便性はない。更に、放置すると汚らしくなる。しかし、うまく手入れすればダンディさを演出することができる。ヒゲがあることによってカッコよさが増している俳優は多い。
使いこなすのは難しい一方でハマれば強さを発揮するような、ピーキーな体毛がこのランクにいるといえるだろう。

Bランク
  • 陰毛
陰毛は、要るか要らないかでいえば要らない。シラミを媒介するという欠点もある。
ただし、ほぼ常に下着で隠れているため、処理の優先度も低い。男性の場合、陰毛を処理して無くしている人は少数派だと思われる。
FANZAを見る限り、この体毛が好きな人も一定数いるようだ。
私としては、中の下という印象の体毛である。

Cランク
  • 脚毛
  • 腕毛
  • 胸毛
これらの毛は、良くない。ボーボーになっていると清潔感がない。脚や腕に生える毛は、半袖や半ズボンの着用をためらわせる。
胸毛がもじゃもじゃの人にAEDを使うときは、胸毛をテープで剥がさないといけないと教わった。街中で人が倒れるのが日常茶飯事の世界になったら、胸毛はDランクに降格である。

Dランク
  • 脇毛
脇毛は、悪い。Cランク帯の毛よりも汚らしく、処理の優先度が高い。半袖で吊り革につかまったときに見えるおそれがあるのも困る。
脇は脚などより皮膚が弱く、処理のときにカミソリ負けが生じやすい。この点も脇毛の評価を下げた。

Zランク
  • 尻毛
尻毛は毛界の恥さらしだ。鼻毛は鼻に異物が入らないよう頑張ってくれているというのに、こいつは大便の拭き取りを邪魔することしかしない。そんなに大便が好きなら、私の尻ではなく大便に生えろ。そうしたら大便毛としてFランクにおいてやってもいい。
体の背面に生えるため、処理するのも大変である。毛は尻に生えるべきではない。

体毛Tier Listは以上である。もし体毛が多く登場するゲームの開発者の方がこの記事を読んでくれているならば、各体毛の内部パラメータ設定の参考にしていただければ幸いである。

2024年4月8日月曜日

サイゼリヤの反対

Twitterを眺めていると、しばしば「サイゼリヤはデートに適しているか否か」と議論になっているのを見かける。ファミレスにも色々あるが、最も議論を呼ぶのはどういうわけだかサイゼリヤのようだ。では、反対に、議論の対象から最も遠いファミレスはどこだろうか?

おそらくそれは「びっくりドンキー」だ。語感が間抜けだからである。

考えてもみてほしい。びっくりドンキーの是非について真剣に討論していたら、確実に阿呆だと思われる。全く締まらない。「サイゼリヤ」の語感がまとう洗練された雰囲気は、「びっくりドンキー」の中に一切ない。びっくりドンキーを褒めても阿呆、貶しても阿呆だ。どちらも阿呆なので、二項対立になり得ない。びっくりドンキーについて真面目な話をしている人がいるとすれば、その人はおそらくびっくりドンキーの経営者だろう。

そもそも「ビ」がよくない気がする。「サイ」から始まる言葉をいくつか挙げてみよう。
  • サイエンス
  • サイキック
  • サイバーセキュリティ
  • 才気煥発
  • 裁判官
どれも賢そうだ。対して「ビ」はどうか。
  • ビール
  • ビッグマック
  • 鼻炎
  • ビギナーズラック
  • 備前
この並びである。「ビール」も「ビッグマック」も不健康だ。「鼻炎」でくしゃみをする姿や「ビギナーズラック」を喜ぶ姿は間抜けである。「備前」は特段阿呆ではないだろうが、それはそれとして、岡山県にはなんとなく住みたくない。

ところで、私は「びっくりドンキーの是非について真剣に討論していたら、確実に阿呆だと思われる」と述べた。こうなると、サイゼリヤの是非なら阿呆でないのかと疑問に思うかもしれない。
それに関しては答えたくない。