10月は簗和生の話題がホットだった。
2026年9月、簗氏は内閣改造に伴い農林水産大臣として初入閣を果たした。しかし、その直後から道路予算配分に関する発言が報じられ、簗氏は厳しい批判にさらされた。発言の趣旨は、「首長が簗氏を応援せず、簗氏の得票が伸びなかった自治体の道路予算を大幅にカットした」というものだ。簗氏は農水大臣を辞任したが、それで十分とは思えない。簗氏がどこまで予算減額に関与したのかは不明であるが、国会議員が「私の権力をもってすれば、政治的な支持に応じて自治体の予算を増減させることも可能だ」と誇示すること自体が、民主主義の基盤を揺るがすものだ。議員辞職が妥当と考える。
せっかくの機会なので、国会議員の問題発言を振り返ってみよう。
2000年6月 森喜朗「(選挙に無関心な人は)寝ていてくれればいい」
当時首相を務めていた森喜朗が、衆院選の投開票日だった6月25日の直前に放ったとされる発言。
早速だが、めちゃくちゃ好きな失言だ。私も、多くの有権者に投票に行ってほしいと思う一方で、排外主義や財政ポピュリズムに乗せられるくらいなら寝ていてくれればと常々思っている。この発言を非難する資格は私にはない。
森喜朗は「寝てしまってくれればそれでいいんでしょうけど、そうもいかないでしょうね」と続けている。「そうもいかない」のは本人もわかっているのだ。
この発言を聞いて投票に行こうと思った人も少なくなかったことだろう。「選挙権行使は大切だ」とストレートに語るより心に響く。民主主義の不都合な真実を明瞭に示した金言である。
2003年6月26日 森喜朗「子どもを一人もつくらない女性が、年とって税金で面倒みなさいというのはおかしい」
鹿児島市で開かれた、少子化問題の討論会での発言。多くの子どもを育てた女性を国が老後に支えることが本来の福祉だという旨を述べた。同じ森喜朗の発言だが、この発言は非難に値するだろう。女性に対する人権感覚がまともでない上に、福祉への理解も根本的に欠如している。
森喜朗の後期代表作に、2021年の「女性が多い会議は時間がかかる」がある。私は2003年の発言の方が悪質だと感じる。「女性が多い会議は時間がかかる」は、森喜朗が18年かけて丸くなったことで生み出された発言だったのかもしれない。
2003年6月26日:太田誠一「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」
何と同じ鹿児島市の少子化問題の討論会での発言だそうだ。男性が女性にプロポーズする勇気を失っているという話題の中で、こう述べたという。こんな無茶苦茶な討論会の司会はやりたくない。
性差別に関わる失言は世にたくさんあるが、これは凡百の女性軽視発言とは一線を画している。何せ蔑視度合いが抜きん出ている。プロポーズしない男性は性犯罪者より異常という意味だから、もはや女性を蔑視しているのか男性を蔑視しているのかわからない。人間蔑視だ。
2007年1月27日 柳沢伯夫 「女性の数、産む機械の数は決まっている」
私はこの頃小学校の高学年であり、公民を習っていた。「女性は産む機械」は私が政治に関心を向け始めた頃の有名な失言であり、私にとって失言といえばこれ、失言の中の失言、失言の覇者である。「10代で口ずさんだ歌を、人は一生、口ずさむ」の最悪バージョンだ。
発言としては論外である。
2007年7月 麻生太郎 「7万8000円と1万6000円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」
森喜朗と双璧をなす失言議員、麻生太郎の初期の代表作だ。「小学生でもわかる」と言えばいいものを、わざわざ「アルツハイマー」という辺り性格が悪い。
2008年8月 太田誠一 「いまでも日本は安心だけれども、消費者や国民がやかましいから、さらに徹底していこう」
農林水産大臣として、日本の食品安全対策について説明する中での発言。内心、対策を面倒くさがっているのだろうか。それが本音だとしたらちょっと面白い。
農林水産大臣には相応しくない。「集団レイプする人は元気があるからいい」と同一人物だ。よく政治家を続けていたな。
2010年11月 柳田稔 「国会答弁は二つの定型句を覚えておけばよい」
広島市で開かれた「法相就任を祝う会」で発言。二つの定型句とは、「個別の事案への回答を差し控える」「法と証拠に基づいて適切に対応している」だそうだ。
この失言は大好きだ。法務大臣の職責をナメくさっていて面白い。
当然、有権者はこのような定型句が安易に使われることがないよう国会を監視する必要がある。柳田氏はこの発言が批判され、法務大臣を辞任した。自身を犠牲に有権者への警句を発してくれる国会議員の鑑である。
2011年7月3日 松本龍「知恵を出さないところは助けない」
東日本大震災からの復興を進めるため、岩手県や宮城県の知事と面会した際の発言。松本龍はとにかく高圧的な大臣だったらしい。民主党政権の「悪夢」要素は1割くらいコイツ一人で担われているのではと思っている。
恫喝に基づく彼の政治手法は、後の簗和生を先取りしているとの噂だ。
2013年7月29日 麻生太郎 「ナチスの手口に学んだらどうかね」
講演で憲法改正について論じた際の発言。多作で知られる麻生太郎だが、その中でも最高傑作の失言だと思う。面白い。護憲勢力が改憲勢力をナチ的となじるのならともかく、改憲勢力側がそれを言うのかとツッコミたい。
衆議院のWebサイト上の
質問主意書では、もう少し詳しく麻生氏の発言が確認できる。どうやら、「憲法の議論は騒がず静かに行うべきだ。ナチスが誰にも気づかれずに憲法体制を変えたように、あの手口を学んだらどうかね」という話の流れのようだ。麻生氏は後に、ナチスを悪しき例として挙げたのだと釈明したが、私には何度読んでも悪しき例として挙げたようには読み取れない。
特に、「騒がず静かに」という発想は不穏である。麻生氏は、平和的に反対意見を述べることまで「騒ぐ」と思っているのではないか。ナチスの手口で改憲したら、騒ぐ人は市井からいなくなるだろう。ナチスの手口は民主主義を破壊する上で非常に参考になるに決まっている。
我々は、人権の尊重を図るためにこそナチスの手口を学ばねばならない。一度犯した過ちである。「再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という憲法前文の決意は極めて重い。
2014年6月16日 石原伸晃 「最後は金目でしょ」
福島第一原発の事故で発生した汚染土壌を保管する中間貯蔵施設の建設について、用地取得などの交渉が難航する中での発言。
素直でよろしい。
2016年4月 足立康史 「アホ」「バカ」
国会審議の中で、民進党を非難しての発言。
小細工一切なしのストレートな暴言にあっぱれだ。
2017年4月25日 今村雅弘「東北でよかった」
政治資金パーティーで、復興大臣として東日本大震災の被害額について説明した際に、「まだ東北、あっちの方で良かった。首都圏あたりだと莫大、甚大だったと思う」と述べた。
その場にいた安倍首相が即座に「極めて不適切な発言があった。おわび申し上げる」と謝ったそうだ。いきなり部下がこんなこと言い始めたら青ざめてしまう。総理大臣は大変だ。
それはそれとして、言いたいことはわからないでもないのが苦しい。「もっと被害が大きくなる可能性もあった」という考え方自体は合理性がある。私の心の中にも、どこかに今村氏がいるというのか。
2017年6月に報道 豊田真由子「このハゲー!違うだろ!」
自身の政策秘書に対して怒鳴り、暴言を浴びせていた音声が週刊誌によって報道された。
パワハラの被害者がいるため笑い話ではないのだが、いかんせん「違うだろ」という普通の言葉が豊田真由子に結びついてしまった。今でも「違うだろ」と思うたびに「このハゲー!」が脳裏をよぎってしまう。「スカスカといえばおせち」「草彅剛といえば前転」と同様で、治療の見込みがない。
2018年11月 桜田義孝「自分でパソコンを打つことはない」
サイバーセキュリティ戦略担当大臣として、パソコンの使用経験について質問された際の答弁。
そんな正直に言わんでも。
2019年10月 萩生田光一「身の丈に合わせて頑張って」
文部科学大臣としてテレビ番組に出演し、「大学入試への英語民間試験の活用を進めると、家庭の経済状況や居住地域による格差が生じるのでは」と質問された際の返答。
発言当時はなんだコイツと思ったものだが、そもそも萩生田氏は9月に文科相に就任したばかりで、民間試験活用は前任者から引き継いだ政策だった。そして、萩生田氏が制度について問われた際の「失言」こそが、制度の問題点を凝縮した言葉になっていた。その後、萩生田氏は発言を謝罪し、民間試験の活用方針を転換した。結果だけ見れば、失言のおかげで改悪が防がれた形になった。
民間試験導入が強行されかけていたことは、萩生田氏以前の文科相の責任が大きいだろう。萩生田氏は、最終的には無理な方針の尻拭いまでしてくれた。あまり萩生田氏をけなすわけにもいかない。
教員による猥褻行為対策など、萩生田氏の文科相としての実績は本物だったと思っている。一方で、萩生田氏には、統一教会・加計学園・裏金と3つの疑惑を抱えたまま説明責任を十分に果たしていないという側面もある。いつか心から萩生田氏を褒められる日が来てほしいものだ。
2020年1月28日 安倍晋三「幅広く募っているという認識」「募集しているという認識ではなかった」
「桜を見る会」への参加を募る文書が有権者に送られていた問題で、質問を受けた際の国会答弁。
安倍氏の屁理屈の集大成だ。首相にこんなことを言われると議論が成り立たない。長期政権の弊害を象徴する発言である。
2022年11月9日 葉梨康弘「法相は死刑のはんこを押すときだけニュースになる地味な役職」
外務副大臣だった武井俊輔氏の政治資金パーティーに出席した際の発言。「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない」と続く。
この失言、大好きである。
第一に、ほぼ愚痴である。夜に居酒屋で言えばいいものを、どうして昼間に政治資金パーティーで言ってしまったのか。柳田稔といい葉梨康弘といい、法務大臣はどうしてこうも本音を漏らしてしまうのか。せっかく大臣になったのに注目されず、ヤケクソになって失言でニュースになってやろうと考えたのでないことを祈る。
第二に、ブラックジョークとして強烈である。これは死刑の話だ。人の命をなんだと思っているのか。死刑制度を問題視し、廃止した国も数多い。国家権力によって命を奪うというのは、考えてみたらとてつもなく重い話だ。それなのに、責任者からとてつもなく軽い愚痴が出る。落差が激しく、印象に残る。
法相の地味さは実際否定できない。法務省が何をする省なのか私もよくわからない。言われてみたら一番地味な気がしてくる。他の省どころか、デジ庁、復興庁、(2022年当時は設置前だが)こども家庭庁と比べても地味だ。葉梨氏が死刑のはんこを押したとて、私が気付くか怪しいものだ。
「法相の仕事を軽視している」と葉梨氏に批判を浴びせるわりには、我々は法務省に目を向けていない。葉梨氏はそのギャップを浮き彫りにした。法治国家としての根幹を考える上で、語り継ぐ価値のある失言である。
2025年5月18日 江藤拓「米は買ったことがない」
政治資金パーティーで、「支持者らから米をもらうため、自分では米を買わずに済んでいる。米は売るほどある」という趣旨の発言をした。当時、江藤氏は農水大臣として米価の高騰に対処する立場にあったため強く批判され、5月21日、農水相を辞任するに至った。
しかし、そこまで悪辣さがない可愛い失言だと思う。自慢に聞こえるので、嫌なやつではある。その後、江藤氏は定期的に米を買っていると釈明した。「売るほどある」は相当な誇張である。
2025年7月8日 鶴保庸介「運のいいことに能登で地震があった」
参議院選挙に出馬した二階伸康氏の応援演説での発言。鶴保氏は謝罪し、災害を契機に制度上の対応が進んだという趣旨だと釈明した。
政治家なら、災害が起こる前から制度を整備していくという考えを持つべきだ。釈明が釈明になっていない。今村雅弘から何も学んでおらず、こういう発言は本当に良くない。
もともと石破内閣は低支持率だったが、この発言が報じられ、「もう選挙で自民党が大敗することは決定的だ。選挙後、石破氏が辞任するより他にない」と思ったものだった。
ちなみに、二階伸康氏は落選した。応援に来るな。
2026年10月に報道 簗和生「那須烏山市と那珂川町の道路予算は大幅にカットした」
簗和生は一切擁護の余地がない。本当に予算が減っているのだから、ただの失言では済まされない。
国交省が簗氏の問い合わせに応じたはずだが、その記録が残っておらず、予算減額の経緯の検証が困難な状況だという。もし様々な省庁で文書の軽視が進んでいるとなれば、簗氏個人の資質を疑っているどころではない。省庁をどのように統括するのか、政権の姿勢が問われる。
好きな問題発言TOP3を選ぶと以下のようになる。
1「(選挙に無関心な人は)寝ていてくれればいい」
2「法相は死刑のはんこを押すときだけニュースになる地味な役職」
3「国会答弁は二つの定型句を覚えておけばよい」
私は自分を失言する側の人間だと思っている。思わず本音が出てしまった失言や、冗談を言おうとしてスベってしまった失言は、どうもひとごととは思えない。
政治家も一人の人間である。どうしても許せない失言もあるが、どこか人間臭さが垣間見える失言は憎めない。政治家が漏らす人間臭さには、ときとして民主主義や国家権力に関する重要な警句が含まれているように思う。こうした失言に、私は惹かれてならないのだ。