2018年10月27日土曜日

政府が仕組んだ死のゲーム

今月の初め、本庶先生のノーベル賞受賞決定のニュースがあった。その会見で、本庶先生は「もっと予算をばらまくべき」と述べ[1]、基礎研究への支援、若手への支援を訴えられた。本庶先生は、若手を支援するための基金を設立される予定だそうだ[2]。[2]にあるように、近年ノーベル賞を受賞された他の先生方も同様の主張をされており、その背景には日本の基礎研究の今後への危機感があるとされる。
ここ15年ほどの日本の科学技術政策を語る上でのキーワードの一つが、「選択と集中」である。これは、芽が出そうな研究を審査で選んで、そこに資金を集中投下することで画期的な成果を生み出そうという考えのことだ。国公立大学の法人化以後、運営費交付金は削減され続けた[3]が、その一方で、特定の研究を指定して大型の予算枠で重点的に支援する政策[4][5][6][7]や、文科省のお眼鏡に叶った大学の運営費交付金を重点的に支援する政策[8][9]が多く実行された。文部科学省は、このような重点化政策は「効果的・効率的な科学技術政策」を推進する上で重要だとの見解を示している[10]。
これらの政策により、研究において競争的資金を獲得することの重要性が増加した。これは一見好ましいことのようだが、ポストの不安定化や資金使途の自由度の低下をもたらし、研究者を疲弊させているとの批判がある[11][12]。2016年にノーベル賞を受賞された大隅先生も、「新しい未知の課題に挑戦することが難しいという雰囲気をますます助長している」と指摘されている[13]。
しかし、ノーベル賞を受賞されるような先生方がいくら懸念を表明し、実際に論文数が減少し[14]、大学院生の博士課程進学率が低下し[15]ても、こうした大学政策が転換される気配はない。これは少々不自然なのではなかろうか。こうした政策は研究者のためになっているというのが文科省の考えだろうが、本当に研究者のためを思っているのであれば、実際に研究をされている偉い先生方の意見をもう少し聞き入れるはずだろう。一連の政策には、何か裏の意味があると考える方が妥当である。では、裏の意味とは一体なんだろうか?私の考えによれば、それはデスゲームである。政府はこのデスゲームの黒幕であり、科学技術政策を通じて大学をデスゲームのプレイヤーにしようとしているのだ。

2018年10月22日月曜日

「私の院試体験」目次

第1回 ~6月上旬: 北大への出願を決定
第2回 6月上旬~7月上旬: TOEFL ITP受験
第3回 7月中旬~7月下旬: 北大にレポートを送付、京大への出願を決定
第4回 7月下旬~8月初頭: 実家へ
第5回 8月上旬: 実家
第6回 8月中旬、8月17日: 東京へ
第7回 8月17,18日: 東京へ
第8回 8月19日: 北大口頭試問
第9回 8月19日: 北大口頭試問
第10回 8月20日: 京都へ
第11回 8月21日: 京大筆頭試問
第12回 8月21日: 京大筆頭試問
第13回 8月21,22日: 京大筆頭試問、 京大口頭試問
第14回 8月22日~: 京大口頭試問、 合格発表

2018年10月7日日曜日

歩きバナナ

先日、4限の授業に遅刻した。その教室にバナナを食べながら入ったところ、授業終了後に友人から指摘を受けた。
友「なんで教室入るときバナナ食べてたの」
私「え、お腹が空いていたから。お腹が空いている状況で授業を受けても勉強にならないと思って」
友「食べてから来ればいいじゃん」
私「お腹が空いていたから早くバナナを食べたかったし、遅刻していたから早く教室に入りたかった。その結果自然とこうなった」
友「いやー、入ってくるときなんでこいつバナナみたいなもの持ってんだ?ってなったよ」
私「うーん、食べてから来れば良い、か。言われてみればその手もあったか。その発想はなかったな」

考えてみれば尤もな指摘で、歩きバナナは行儀が良くない。
それに、私は物事を同時進行で行うのが人より相当下手であるのに、教室に入ることとバナナを食べることを同時にやろうとしてしまったのも褒められたことではなかった。バナナだからまだよかったものの、もうすぐみかんの季節である。これがみかんだったら、教室のドアを開けたり教室の前方で先生からレジュメを受け取ったりするタイミングでもうしっちゃかめっちゃかになっていたであろうことは想像に難くない。

今度から、果物を食べる必要があるときは着席してから食べるようにしようと思う。それ以前の問題として、4限の授業に遅刻しないようにしようと思う。

2018年10月5日金曜日

撮影禁止を撮影したい

ある店に、次のような張り紙がしてあった。
Shooting Ban!? 一体どうしてこうなった。これを目にした私は、この張り紙を撮影してSNSにアップロードしたい衝動に駆られた。しかし、これを撮影してはならないことは、他ならぬこの張り紙自体が伝えている。禁止されているからこそ逆にやりたくなるという状況はしばしばあるが、これはちょっと毛色が違う。「撮影禁止それ自体を撮影したい」「ついつい撮影したくなるような撮影禁止が目の前にある」という状況なのだ。いわば、「この法律に反対することを禁じる」という条文を含んだ法律が制定された、みたいな話だ。撮影禁止にも色々あるが、こんなディストピア的撮影禁止は初めて見た。

やむを得ないので、こうして撮影禁止を模して作ったpseudo-撮影禁止(上図)を撮影し、撮影禁止撮影欲求を満たしている次第である。

2018年10月2日火曜日

つい洗剤を出しすぎてしまい困る

ここ数日、つい食器用洗剤を出しすぎてしまう傾向にある。洗剤の出しすぎは、水質汚染、水資源の過剰利用、皮膚への悪影響、生活コストの増大、赤潮、漁業の衰退、QOLの低下、経済の低迷、人心の荒廃、そして最終的には死を招くとされる由々しき問題であり、私はこの問題の対処に手を焼いている。一体どうしてこんな事態になってしまったのか、その経緯を振り返ってみたい。

私はここ一年間、食器用洗剤としてキュキュットを使用している。洗剤の選択に関して特に信念があるわけではなく、キュキュットなのはたまたまである。食器用洗剤はおよそ二年に一本のペースで消費しており、これは大学入学してから二本目の食器用洗剤だ。以前は別のものを使用していたが、何を使っていたのかはもう覚えていない。重要視していることさえ容易に忘れてしまうのだから、洗剤の種類のように重要視していないことは尚更容易に忘れてしまうのだ。
さて、一年強ほどこのキュキュットを使ってきたわけだが、その結果、洗剤の出口の周囲で以前洗剤だったものがまるで怨念のようにこびりついて固まり、洗剤のスポンジへの滴下を妨げるようになってきた。そう、かつては同じ洗剤の同胞であったのに、スポンジへの着地に失敗してしまったたがために、社会の不要物としての謗りを免れることができず、日に日に怨念を募らせ、同胞の活躍を妨害するようにまでなってしまったのだ。私は同情と憐れみを含んだ視線で洗剤だった塊を一瞥した。人で例えるなら......仕事に就くことができず、日々の鬱屈した生活に不満を募らせ、ついに通り魔に走った犯罪者、といったところだろうか。人に例えない方が同情できそうだ。
あるいはこう言っても良い。洗剤塊はまるで凝り固まった古い考えのようにこびりついていた。人で例えるなら、自らの不要性を自覚できず、凝り固まった古い考えに支配され、同胞の活躍を無意識のうちに妨げてしまう老害である。洗剤塊を眺めながら、こうはなりたくないものだと私は自戒した。

話を戻そう。結局何が言いたかったかというと、洗剤の塊が洗剤の出口を塞いでいたということだ。通り魔にせよ老害にせよ、これを排除しなければならない、私はそう決意した。そして、ボトルの蓋を取り外し、お湯に付け、固まった洗剤塊を爪楊枝で何度も掻き出すことにより、洗剤塊を取り除くことに成功した。これがそのボトルだ。一番上の突起のようになっている部分の中と外で洗剤だったものが大量にこびりついていた訳である。

洗剤塊を除去された後のボトル

ちなみに、このボトルにはクリア除菌と書いてあるが、私が持っているボトルの底面は見たところ全く除菌されていなかった。意外だろうが、洗剤に除菌機能があっても、ボトルには除菌機能がないと推測するしかない。もしあなたがキュキュットの購入を検討しているならば、このことは気に留めておくべきだ。底面を自動的に除菌する機能がついた洗剤ボトルの速やかな開発が待たれる。それにしても、あの底面は思わず地球上の生物の多様性について思いを馳せてしまうような有様であった。もしかしたら、皿から除かれた菌たちが、まるで反政府ゲリラが拠点に集まるように、ここに集結しているのかもしれない。

話を戻そう。この処置の結果、相当な圧力をボトルに加えてようやく一滴が落ちるという具合だったのが、軽く握れば適量が出るようになった。これを受けて私は満足して就床したが、翌日洗剤を使おうとして驚いた。出すぎるのだ。あまりにも出るので、一時は洗剤だけでなく幽霊まで出たのかと思ったほどだ。幽霊が出たのかと思ったのだから驚くのも当たり前である。私はホラーが苦手なのだ。
話を戻そう。洗剤が過剰に出てしまったのは、洗剤の使用にかなりの圧力を要求されることに慣れてしまって、ついボトルを押しすぎてしまうからである。この洗剤の出しすぎは、それから数日経った今でも続いている。洗剤の過剰な使用は最初に述べた通り重要視すべき問題なのだが、それでも前回の教訓をすぐに忘れてしまうのだ。このように、外力を受けない限り、人は現在の習慣をそのまま続けようとする性質を持っている。人は急激な環境の変化についていけないのだ。これは慣性の法則と呼ばれている。
話を逸らそう。洗剤と言って思い出されるのは、「洗剤」という掌編小説である(*1)。掌編小説「洗剤」は、中学生の頃、私のある友人によって国語の授業の課題として提出されたものだ。 与えられた課題は、「ジーンズを洗って干した」の冒頭部分で知られる高橋順子の詩「ジーンズ」を小説へと翻案せよ、という内容だった。それを彼は、「ジーンズを洗って干した。洗剤はもちろんトップだ」と書き始め、ジーンズの洗い方に並々ならぬ信念を持った主人公を描く、洗剤の選択がテーマの奇天烈な小説にしてしまった。これが傑作で(*2)、 何度読んでも大笑いできる代物だったのだが、 詳しい内容は忘れてしまった。私の笑いの価値観に影響を与えた重要な作品だっただけに残念である。それはそうと、一体どんな頭の構造をしていたらあんな文章がかけるのだろうか。世界は不思議で満ちている。

話を戻そう。結局何が言いたかったかというと、人は急激な環境の変化についていけないということだ(*3)。最近は暑かった夏が終わり気温が急激に下がるだけでは飽き足らず、台風や新学期まで到来する始末である。体調を崩したり怪我を負ったりすることのないよう、どうか健康に気をつけてほしい。

(*1)他に洗剤から思い出されるのは、また別の友達の部屋で皿洗いをしたときに、「そんなにしっかり洗わなくていいよ。洗ったという事実を重視しているから」と言われた出来事である。
(*2)その後しばらくして、学校がまとめた海外交流体験事業の感想文集が配布されたのだが、彼のページにはなぜか感想文ではなく「洗剤」が掲載されていた。彼はきちんと感想文を提出したにも関わらず、である。傑作のオーラが編集者の目をくらませたのだろうか。脈絡のない奇襲を受けた私は再び笑い転げてしまった。
(*3)付け加えれば、重要視していても忘れてしまうことは頻繁にあるので、私が何かを忘れていてもあまり強く非難しないであげてほしいということだ。