2017年12月30日土曜日

没年賀状

試しに年賀状を作ってみたものの、良いものに仕上がらなかったので没にした(画像)。

2017年8月23日水曜日

東京に来て良かったことランキングtop10

私が東京に住み始めてからもう二年が経った。私は田舎者で、かつ人混みが苦手で、その上吝嗇のきらいがあり、さらには非活動的でよく家に引きこもっている。したがって、都会向きの人間だとは全くもって言えそうもない。ところが、それでも住めば都と言うもので(*)、住んでいるうちに東京のメリットが見えてきた。そこで本記事では、都会嫌いの私なりに感じられた、「東京に来て良かったことランキング」を述べていきたいと思う。

第10位: 文化施設が多い
東京には博物館や美術館が多い。その上、その多くが大きく、たくさんの展示資料があって見飽きることがない。学生のうちから東京に住むことにより、長期休みや全休の日等を利用して、人混みを嫌う私も平日から文化施設に行くことができた。

第9位: 庭園が多い
新宿御苑、六義園、後楽園など、東京には庭園が多い。四季折々の花や、風情ある日本庭園、紅葉を楽しむことができ、これも飽きることがない。また、前田侯爵邸のように、庭園に洋館がある場合もあり、こういったレトロな建築を見るのも面白かった。

第8位: 公共交通が発達している
東京では公共交通によって好きなところに行くことでき、また本数も多く、終電も遅いため非常に便利である。特に、遅刻しがちな私にとっては本数の多さが嬉しい。自動車を持たない学生にとって、公共交通が便利なことは大きなメリットとなる。

第7位: 病院を選べる
実家では、自転車圏内で病院に行こうとするとき選択肢はほとんどなかった。しかし東京では徒歩圏内にいくつもの病院があり、病院を選ぶ余地があった。これには大いに感動した。こうして選んだ病院は、中が明るく綺麗で断然清潔感があり、電子機器を駆使してわかりやすい説明をしてくれるため、かかりつけ医として安心感がある。今では、病院にはできる限り帰省前に行くようにしている。

第6位: 時代錯誤社がいる
東京大学の時代錯誤社というサークルには何度も私の「変人」概念を塗り替えされ、大きく衝撃を受けた。彼らの発行する雑誌「恒河沙」は私の笑いのツボを直撃し、一年生の頃の私にとって心の支えとなった。彼らが新刊を発売するときに行う特徴的な演説も面白く、私は新刊の発売を心待ちにして日々を過ごしていた。特に、政治系サークルの人とメガホン演説で対決し合う様子を生で見ることができたのは大変印象的な出来事であった。

第5位: 豆腐屋が近い
家の近くに豆腐屋があり、ここの豆腐は美味しい。冷奴にしても美味しいし、鍋の具にしても美味しいし、ゴーヤーチャンプルーに使っても美味しい。豆腐は低カロリーなため夜食にも好適で、消化がよく、良質なタンパク質を含み、優れた食材である。豆腐の使用頻度は高いため、質の良い豆腐が手軽に手に入ることは嬉しかった。
また、この豆腐屋では生のおからも扱っている。おからは日持ちがしにくい食材のため普通のスーパーでは売っておらず、近くに豆腐屋がなければ大量に手に入れるのは難しい。おからは食物繊維が豊富で、便通の改善に役立つ。この点でも豆腐屋の存在はありがたかった。

第4位: 選挙が面白い
東京の選挙は独自路線の選挙活動を展開する候補者が多く、地方の選挙と比べてかなり面白い。かの有名な又吉イエスや外山恒一が活動するのも東京であり、昨年の都知事選ではマック赤坂や後藤輝樹の出馬が話題となった。マック赤坂の公約が載った選挙公報を手にした時はある種の感慨を覚えたものである。
立候補者数の多さは、意見の多様性に繋がる。一見奇をてらっているような候補者も、公約をよく読むと検討に値する政策を提案していたり、あるいは地味な泡沫候補が政党の枠に縛られない興味深い公約を掲げていたりする。これらを発見することは、東京ならではの楽しみだと思う。

第3位: エキゾチックな料理店が多い
駒場キャンパス近くの渋谷・下北沢には数多くの料理店が軒を連ねているが、特に私が注目しているのはアジア系の店である。実家の近くにはそのようなお店は少なく、時折インドカレー屋やタイ料理店に行く程度であったが、東京に来てからはかなり気軽に行くことができるようになった。ネパールやアルゼンチン料理店なども訪れたが、これらは東京に来るまで見たことがなかった。様々な国から人が集まる東京の懐の深さを思い知った。

第2位: キムワイプ卓球が盛ん
私はキムワイプ卓球のサークルに所属しているが、このスポーツの活動が地球で最も盛んな都市が東京である。東京は競技人口が最も多く、日本製紙クレシアの本社があり、キムワイプ卓球サークルが複数の大学に存在している。このおかげで安定的にキムワイプ卓球の活動ができており、今年は初の研究会が東京で開かれた。また、駒場祭でキムワイプ卓球企画に多くの来場者が集まっているように、キムワイプ卓球コミュニティが外へと広がって行く上で、その中心となっているのも東京である。
このように、東京では研究機関・製紙メーカーが立地するサイエンティフィックな土壌の上にサイエンティフィックな人々が集まって豊かなキムワイプ卓球文化が醸成されている。これは他の都市にはない魅力であった。

第1位: 銭湯が多い
私が最も魅力に感じているのは銭湯の多さである。銭湯がほとんどなかった実家の周辺に対して、東京の銭湯の多さは眼を見張るものがある。数が多いだけでなくバリエーションも豊かで、古くから同じスタイルでやっている趣ある銭湯から、真新しく明るい雰囲気のおしゃれな銭湯まで多種多様である。また、東京にも温泉があり、有機物の溶けた焦げ茶色〜黒色の湯が湧いている。東京の銭湯の中にはこの黒湯を供しているところがあり、これも460円であるからお得である。
様々あるお風呂の湯の中でも、特に私が最も好きなのは炭酸泉である。二酸化炭素が溶け込んだぬるめのお湯は体をじわじわと温めてくれて、疲労回復への効果が高く、入っていて大変心地が良い。炭酸泉のある銭湯には二酸化炭素の気泡を発生させる装置があり、これにより自宅で入浴剤を溶かしたときよりも遥かに高い濃度の炭酸泉となる。このような風呂には東京に来るまで入ったことがなかった。これに手軽に入ることができるのは実に素晴らしいことだといえよう。

このように、東京は多様な顔を見せてくれる都市であり、東京に住んでみると意外に自分に向いた面があることに気づいた。この記事が、東京に住むことを検討する場合の参考になれば幸いである。

(*)ただし、東京は住まなくても都である。

2017年7月23日日曜日

3行レビュー: 後期教養の授業

【3Sセメスター】
・月2: 科学技術社会論
科学と社会の接点についての講義を受けながら、各自で事例分析を進め発表しレポートにまとめる。
私は国公立大学の運営交付金の問題を取り上げ、その配分はどのように決定されるのが望ましいかについて考えた。学生の発表は内容がバラエティに富んでいて面白かった。

・月3: 物理数学II
フーリエ変換、楕円関数、超幾何級数、ベッセル関数などについて学んだのだが......。
授業は難しすぎて全くわけがわからなかった。周りもよくわかっていなかった。
テストは計算問題だったのでまあまあ解けた。

・月5: 実解析学演習I
ルベーグ積分について、金1の授業で学んだことを毎週のレポートと小テストで確認する。
ルベーグ積分の講義を聞いているときは抽象的でよくわからないと感じたものの、この演習で具体例が出て来ると少し内容を理解できるようになった。

・火2: 量子化学
Slater行列式からHartree-Fock法まで学んだ前半部分の内容は覚えている。
後半から統計力学演習のレポート締切(火曜昼)に追われ次第に出席しなくなっていった。
それでもそこそこの成績はありそうで、単位認定は今学期受けた中で最も甘いと思われる。

・火3,4,5,水3,4,5(S1): 物質科学実験I(光と分子)
主に分子分光実験を行い、量子力学的計算と実験結果が合うかどうかを見る。
芳香族のπ共役系の電子を、井戸型ポテンシャルで考えたとき、ループのある井戸型ポテンシャルで考えたとき、ヒュッケル法で解いたときと実験結果を比べたのが一番面白かった。

・火3,4,5,水3,4,5(S2): 物質科学実験I(分子の機能)
Diels-Alder反応についての実験を行い、その結果を量子化学計算ソフトによる解析結果と比較するのが主な内容である。もう少し量子力学の知識が活かせる内容なのかと思っていたが、中身はゴリゴリの有機化学で、しかも毎週提出のレポートは課題が重くつらかった。

・水1: 数理科学セミナー
4名の学生で、英語で書かれた統計力学の教科書を輪読する。内容としては、古典の統計力学を一通りやり、古典の枠組みで相転移を扱うところまでをやった。
教員との距離が近いのがセミナーの良いところである。今学期で一番良い授業だった。

・水2: 無機化学I
分子軌道法・分子の対称性・酸と塩基・分析法・固体の構造・酸化還元反応・配位化合物と広い内容をそれぞれ浅く学んでいった。というよりほぼ物性化学だった。一年前はよく分からなかったので復習ができて良かったが、こんな簡単に単位をもらってしまってよいものか。

・木2: 統計力学II
量子統計を学ぶ。黒体輻射から始まり、固体の比熱モデル、ボーズ・アインシュタイン凝縮、フェルミ縮退、イジング模型の相転移と学んだ。内容が難しかったので小手先の勉強で試験を乗り越えようとしたらちゃんと難しい問題が出てしまった。不可に違いない。

・木3: 偏微分方程式論
主に熱方程式、波動方程式、ポアソン方程式を扱った。
毎週レポートがあり、しかもあまり解けなかったのはつらかった。
ただ、そのレポートの解説は丁寧でわかりやすく、試験勉強はやっていて楽しかった。

・木4: 量子力学演習I
黒板での発表とレポートの提出で、シュレーディンガー方程式を解いたり、ブラケット計算をしたり、解析力学の問題を解いたりした。何が一番良かったかというと、第四回レポートがそのまま量子力学IIの試験対策になっていたところが一番良かった。

・木5: 統計力学演習
毎週統計力学のレポート問題を解く。答えは学生が黒板で発表する。
この問題は難しい上に分量も多く、実験以外では今学期イチの重い授業であった。
これだけやっても統計力学IIは不可と思われるあたり、統計力学習得への道は遠い。

・金1: 実解析学I
ルベーグ積分論を学ぶ。この授業は教員が面白かった。曰く、「僕はルベーグ積分が専門ではないですし、なんで担当になったのかもよく分からない」「この授業面白いんですかね?」「物理の人は気にしてないのでみんなこの授業で学んだことは今後使わないと思います」などなど。

・金2: 計算数理
数値計算をする上で、どうすれば効率よく精度の良い近似値が得られるかを考察する。
今後研究する上で数値計算をする機会は多いであろうし、役に立つ情報が満載で興味深かった。線形代数の直接の応用を見ることができて感じ入った。

・金3: 計算数理演習
計算数理で学んだことを、コンピューターを使い実際にプログラムを走らせて実験的に検証する。といってもプログラムは既に用意されているという、ゆるふわな授業である。
一番の収穫はLaTeXが使えるようになったことだと思う。

・金4: 量子力学II
角運動量、水素原子、スピン、摂動法、WKB近似、電磁場中のシュレーディンガー方程式といった内容を学んだ。先生の板書の文字は今まで受けた中で最も美しかった。
内容は消化不良気味だが、過去問ゲーだったので単位を取るだけならできているかと思う。

・金5: 物性物理学I
今学期で最も理解が難しかった科目。固体物理として、格子の統計力学と周期ポテンシャル中の電子を学んだようなのだが、教員の頭の回転が鋭すぎて話についていくのが大変困難であった。持ち込み可の試験にも関わらずさっぱり解けず退出する羽目になった。

2017年6月17日土曜日

なぜこの世はかくも生きにくいのか?

私は現在、生物物理に興味がある。生物を物理学の視点から考察して何か述べようという学問だ。その理由の一端を今から述べよう。


この世界で生きるのは非常に大変である。やらなければいけないことが多くあり、我々は多忙な日々を送らなければならない。もっとのんびりと生きたいのに、どうしてこれほどせわしなく生きなければならないのだろう。ある日、私はそう疑問に思った。
のんびりゆったりと生きる上で、まず直面する問題は金銭である。金銭を得るためには労働が必要であり、労働すると時間を失うため、私の欲望の実現の上での直接的な障害は金銭的問題ということになる。
この金銭的問題の正体についてより分析を深めてみよう。金銭が必要なのは、第一には食べるためである。金銭が尽きると飢えて苦しみを覚えてしまうため、苦しみの少ないゆったりした生活を送る上で、食べることは絶対に必要である。

なぜ私は食べなければならないのだろうか。それはエネルギーを補給するためである。我々は生命活動の維持のために絶えずエネルギーを消費しており、その補給無しには生命活動が維持できず死亡してしまうのだ。しかし考えてみれば、この世界にはエネルギー保存の法則というものがあり、エネルギーを消費すると言っても実のところエネルギーは形を変えるだけである。なぜエネルギーの補給は必要なのだろうか。
ここで重要なのは、エネルギーそのものよりも「自由エネルギー」である。自由エネルギーは熱力学で登場する概念で、仕事として取り出すことのできるエネルギー量を表す。ヘルムホルツの自由エネルギーFは、内部エネルギーUと温度T、エントロピーSを用いて F=U-TSで表される。ギブスの自由エネルギーGならG=U-TS+pVである。ともかくも、エネルギーを補給せずにいると、自由エネルギーは熱力学第二法則にしたがって減少していき、生命活動の維持が困難になっていくという次第である。
従って、この世がかくも生きにくいのはエントロピーの増大が原因ということになる。この世界で乱雑さが増えていき、機械でもなんでも、次第に壊れていくのもエントロピー増大が原因と見做すことができそうであるから、金銭的問題のほとんどは熱力学第二法則に帰することができるだろう。

しかし、果たして本当に熱力学第二法則が諸悪の根源なのだろうか。エントロピー増大は、統計力学的視点で見直せば確率の問題と捉えることができる。すなわち、モノが秩序立つ確率よりもモノの秩序が乱れる確率の方が圧倒的に高い、そしてこれがエントロピーの増大である、と。こう考えれば、エントロピーの増大自体は仕方ないことのように思われる。
問題は時間である。エントロピー増大が速すぎるのだ。逆にエントロピー増大を基準にして考えれば、エントロピーが1増えるのにかかる時間が概して短すぎる。だから自由エネルギーは猛烈に減ってゆき、食べても食べても私は毎日空腹になり、人間は働くことを強いられるのだ。であるから、生命がもし時間をもっとゆっくりに感じることができれば、相対的にエントロピー増大も緩やかに感じられ、我々の生活ももっとゆったりするはずである。なぜ時間は、私の感覚に比べ、そして私の体におけるエントロピーの増大スピードに比べ、これほどまでに早く進んでしまうのだろうか。

生命と時間といえば、その総量を規定するものとして思い浮かぶのが寿命である。我々生命はエントロピー増大に必死に抗って複雑な構造を維持し続けている。それでも我々が生きていくうちに次第にいろいろな臓器が悪くなっていくことを思えば、エントロピー増大に抗い続け、それでも維持しきれなくなった地点として寿命が決まってくると捉えられるのではなかろうか。
そこで思い出すのが、「ゾウの時間 ネズミの時間」という絵本だ(*)。小学生の頃この本を読んで、(今の私の語彙を用いて表現すれば)生命観が揺らぐ衝撃を受けたことを今でも印象深く覚えている。私の記憶によれば、この絵本は次のような内容であった: 「ゾウは長命で、ネズミは短命である。しかし一生のうちに鳴る心臓の回数を調べてみたところ、ほぼ同じであった。ゾウは体が大きい分体積の割に表面積が小さいため、熱を保持しやすくゆっくり動く。対してネズミは体が小さい分体積の割に表面積が大きいため、熱を失いやすく常に走り回って餌を求める必要がある。寿命は違えど、彼らが生きているうちに感じる時間は同じなのである」。
熱を失いやすいということは、エントロピーがより増大しやすいということだ。ということは、エントロピー増大速度に対する時間の感じ方は生物の種類によらずほぼ一定であると考えることはできないだろうか。

生命はエントロピー増大に抵抗し秩序を長時間維持し続ける特異な存在である。思うに、生命システムはエントロピー増大に抵抗することからしか生まれないのではなかろうか。そしてそのシステムの時間スケールは、そのシステムが抵抗しているエントロピー増大速度に依存しているのではなかろうか。
もしそうならば、「生命がもし時間をもっとゆっくりに感じることができれば、相対的にエントロピー増大も緩やかに感じられ、我々の生活ももっとゆったりするはず」なんてことはそもそも物理法則の帰結として不可能だということになる。あるいは、もし生命が時間をゆっくり感じることが可能だったとしても、それはナマケモノのように恐ろしく低出力なシステムとなり、現在のヒトのように様々な活動をして遊びを楽しむ余地はなくなってしまいそうである。
エントロピーの増大は不可逆過程であり、その中身は非平衡の統計力学で扱わねばならない。現在、平衡の統計力学の理論に関しては多くのことがわかっているが、非平衡に関してはまだほとんど何もわかっていないそうだ。私は、生命と時間の普遍的な関係を、非平衡系の時間発展を統計力学的に考えることによって探っていければきっと面白いだろうと思っている。


私は自分が忙しい理由を知るために物理学を学んでいる。そして私は物理学を学んでいるがために、忙しい日々を送っている。

(*)元は新書であることを今知った。読んでみたい。



2017年5月26日金曜日

「お花を摘みに」

以下の文章では、排泄について扱う。汚い話が苦手な方は、読まないことをおすすめする。

2017年5月19日金曜日

自己PR

ある友人が自己PRを書くという授業内課題で悩んでいるのを見かけた。彼は宗教(特にオウム真理教(*))への関心が高く、そのことについて述べたところ「不謹慎」と酷評されてしまったそうだ。
私が彼と親しい人間であるのは、彼と似たところがあるからだろう。私も自己PRを書けと言われたら困ってしまう。しかし自分の苦手なことでもあえて取り組んでみようではないか。不謹慎でない自己PR文を完成させてみせよう。そう思って簡単な自己PRを書いてみたところ、次のような文章が出来上がった。


私が得意なことは、何かにつけてメタ的に思考することです。といってもどういうことかわからないでしょうから、これから具体的に私のメタ的思考とはどういうものかお見せしたいと思います。
これは自分をPRするために書いている文章なのですが、自分をPRしろと言われてもこれは簡単にできるものではございません。そもそも世界には70億人もの人間がいるわけですから、その人を構成する要素の組み合わせとしてオンリーワンになるのならともかく、ある特定の分野で秀でてナンバーワンになるということは大変困難なことだと推測されます。私は天才ではありませんから、コレコレの分野で私はナンバーワンです、と申し上げることはできません。これは他の学生にとっても同様でしょう。それでも自己PRというのは多くの人がやっていることです。このことは、自分をPRするにあたって、何かでナンバーワンである必要はないということを示唆しています。
ではナンバーワンでないなら何を以って自分の特性を他者にPRしているのでしょうか。おそらく、ナンバーワンよりも条件をもっと緩めて、「珍しさ」をPRしているのだと思います。例えば、学生のうちに粘り強くスポーツに取り組んでこれこれの成績を収めた、というお話は、その成績を取れる人が、あるいはそれほどの粘り強さを持った人が、ちょっとやそっとでは見つけられない珍しいものだから価値があるのだと考えられます。このように、多くの学生は、自分を逃すとコレコレの点において自分ほど秀でた人はなかなか見つかりませんよ、ということを言って自分をPRしているのです。
さて、こうして自己PRとはどういうものかについて色々論じあげてきたのですが、こうした文章を書くというのが、私は自分の得意とすることだと考えております。つまりどういうことかと言いますと、例えば「自己PRをしてください」と言われた時、私は自己PRを行う前にあらためて「自己PR」という枠組みを問い直して自分が何をしようとしているか考える、ということを行う習性があるのです。この、根本からしっかり考え抜くという姿勢を持った人は、私以外で見つけることは結構難しいのではないかと自負しております。
さきほど、「自己PRを行う"前"にあらためて「自己PR」という枠組みを考えた」、これが私のアピールポイントだと申し上げましたが、これには少し語弊があります。なぜなら私の自己PRとは「あらためて「自己PR」という枠組みを考えた」ことそのものであり、これは「自己PR」の前に行われたことではないからです。同時進行というのも少し違います。というのも、この文章の中で、自己PRをすることと、自己PRをすることについて考えることは完全に一体となって行われていたからです。この2つが一体となった文章を生み出した思考方式が、私が「メタ的思考」と呼んでいるものです。メタ的、というのは、「「自己PR」について考えること」それ自体が私の「自己PR」になっているというある種自己言及的な構造のことを指して申し上げております。
何やら複雑なことを申し上げましたから、だんだんこんがらがってきたかもしれません。あなたがこの文章をすんなりと理解できずこんがらがっているとすれば、それはあなたは今普段ならしないような思考方式をしているからだと思います。このことは私のような存在の「珍しさ」を示唆しているといえるのではないでしょうか。普通の人ならあまりしないような思考経路を持っている、その「メタ的思考」こそが私のPRしたいポイントなのです。

一口に自己PRといってもその内容は書く人次第で様々であろう。しかし内容は様々でも形式は案外画一的なものである。私はそこに目をつけて、形式と内容の両面から自分を表現するという差別化戦略をとった、というわけである。

(*)cf. 「卒業式

2017年5月6日土曜日

忘憂

タスクが多い。
常に多くのタスクがあるため、ほぼ全ての遊びは「タスクを放置してする遊び」となってしまう。従って、遊んでいる最中がいくら楽しかろうとも終わればつらい気持ちになるし、遊んでいる最中に急に楽しさが失われてしまうこともある。薬物は一時的に快楽を与えるが、効果が切れると苦痛を覚えるのと同様である。
憂いがあるため忘憂を必要とする一方で、憂いがあるために忘憂が妨げられる。忘憂は実にパラドキシカルな行為だと思う。忘憂とは止揚である。休憩の難しさとは、止揚の難しさに他ならない。

ここのところ常に焦燥を抱えていて、余裕に欠ける。もっと遊びや寄り道を大切にしたい。ゆったりと生きたいものだ。余裕の喪失は彩りの喪失である。
この記事も、こんなもの書く暇があればレポートを先に書くべきだろうに自分は何をやっているのだろうと思いながら書いている。

2017年4月28日金曜日

3行レビュー: 前期教養の授業(3)

【2Sセメスター】
・月3,月4(S1): 基礎実験III(物理学)
可逆振り子で重力加速度の値を求めるなど、古典力学に関する実験が多かった印象。
得られたデータを半信半疑でプロットしていくとズバリ直線になった、といった瞬間は爽快だった。
しかし100回測定を繰り返したり手書きでプロットしたりする作業が面倒だった、とも思う。

・火2: 歴史と文化 <総合B>
古代ローマの資料の和訳を参照しつつ、ローマ法の変遷を紐解いていく授業。
ローマには憧れがあった上、どう歴史を語るかという考え方に触れられて興味深かった。
先生は暴走しがちで、良く言えば愛が伝わる授業だった。悪く言えばまとまりのない授業だった。

・火3, 金3(S1): 物性化学
この授業では、どうやら分子軌道・配位結合・結晶構造について学んだらしい。
久しぶりに教科書を出してきたが、永年方程式以外の内容を全然覚えていなかった。
当時は構造化学が全くわかっていなかったため、暗記でごり押しになって全体的にしんどかった。

・木1: 常微分方程式 <総合F>
一限なので3回くらいしか行かなかったが、多分その名の通り常微分方程式の解法を教えていたのだろう。自習としてそこそこ勉強したので単位を回収する分には問題なかったのだが、授業に行かなかったら試験範囲がわからず困ったのを覚えている。

・木2(S1): 生命科学
数理的・物理的観点から生命の特徴を捉える新しい試みの授業だが、理念先行・運用粗雑。
急造の教科書には大量の誤植があり使いにくい。更には先生もプログラミングのことがわかっていないにも関わらずRでプログラムを組む課題が出た。東大生の優秀さに甘えて無茶をいわないでくれ。

・金2: 美術論 <総合A>
中世までの西洋美術の鑑賞のポイントについて、テーマ別に解説する授業。
スライドに絵画を表示するため部屋を暗くするのだが、その結果私は授業のたび夢の国へ旅立ってしまい、やがて出席するのをやめてしまった。鑑賞レポートだけ出したら単位は来た。

・金5: 言語比較論 <総合A>
発音や文法などのテーマについて、様々な言語を取り上げ特徴を比較する授業。能格性など、マイナー言語の興味深い文法的特徴を知ることができ良い授業だった。駒場にレポート課題は数あれど、この授業の「先生が創作した言語の例文を分析して、言語現象を考察する」問題は名作。

・?: 基礎統計/ベクトル解析/解析学基礎 <全て総合F>
常微分方程式に賭けると総合Fの単位が足りなくなる恐れがあったため、保険として適当に履修登録しておいた。教員の顔も授業がある教室も把握していなかった。
試験だけ受けたところ、解析学基礎だけは単位が来た。

【2Aセメスター】
・水2: 電磁気学A(他クラス聴講)
昨年単位を落とした電磁気学A。二度目の履修はわかりやすいと評判の先生の授業を選んだ。
初めに数学的内容をまとめて学習するため見通しが良く、諸法則が数学的道具でMaxwell方程式へと洗練されていくドラマティックな展開がexcitingだった。しかし、初めからこう教わっていれば......。

・木2: アルゴリズム入門 <総合F>
Rubyのプログラミングを組み、より少ない計算量で欲しい値を計算させるための工夫を学ぶ。
主に一年生が履修する授業だが、プログラミングに関して何もわからないのはマズいと思い2Aでとった。コンピューターに無駄な計算をさせない「動的計画法」の考えが特に面白かった。

【集中講義】
・1年夏: 最先端メディカルゲノムサイエンスを体験する <主題>
RNAサイレンシングという現象をin vitroで再現し、遺伝情報の発現について実験で学ぶ授業。
溶液をピペットマンで取り、Vortexで混ぜ、遠心分離機でDNAを回収、アガロースゲル電気泳動で同定......教わった知識はもはや覚えていないが、ともかくも分子生物学者の気分は味わえた。

・1年冬: 自然科学ゼミナール(生命科学) <展開>
駒場キャンパスを歩き回って植物の葉や茎を採集し、それを薄く切って電子顕微鏡で観察し、特徴を調べた。高価な電子顕微鏡をおもちゃのごとく使って壁紙用の写真をたくさん手に入れた。電顕の使い方を説明するのにわざわざキーエンスの人を呼んでいたのはやたらに豪華だと思った。

・1年冬: 柏キャンパスサイエンスキャンプ <主題>
柏キャンパスで3泊4日の実習を行う。脂質二重膜内部でGFPを合成するin vitroのシステムを作成した。確か、GFPの作り方の情報が入ったDNAをPCRで増幅させた覚えがある。
院生が「やがて人工細胞を作りたい。そして人工彼女をも」と夢を語ってくれたのが印象的だった。

(終わり)

2017年4月26日水曜日

3行レビュー: 前期教養の授業(2)

【1Aセメスター】

・月2: 英語中級
New York Timesの記事を取り上げ、下手な英語(*)で解説する質の低い授業だった。
教材は良いので授業中に自習すれば良いのだが、いかんせん教員の発音と頻繁すぎる「えー」が耳障りである。教員がこの場に存在するのをやめてくれればもっと良い授業になるだろうに、と思った。

・月3,月4: 基礎実験I,II(化学)
理論化学、無機化学、有機化学の全体に渡って満遍なく設定された12のテーマについて実験する。
必修の構造化学や物性化学は量子力学的計算が多く化学反応はあまり扱われない。
ゆえに、必修で化学化学した授業は実はこれしかない。そういう意味では貴重な存在といえる。

・火1: イタリア語初級(演習) <総合L>
前期に引き続いてイタリア語の運用を学ぶ。
どうも履修者全員に100優を出したようだが、教務課に怒られなかったのだろうか。
先生はNHKテレビでイタリア語の講師もしていた。NHKのテキストを買ってサインしてもらった。

・火3(S1/S2): 英語一列/英語二列S(FLOW)
英語一列は前期と同様。FLOWは英語での討論と発表でスピーキングを練習する。FLOWでは、「何かモノの名前を紙に書いてください」と言われたとき、私がとっさに書いた単語が「urea(尿素)」だったため、「Which is useful, wine or urea?」という珍妙な討論をする羽目になった。

・火4: 微分積分学
前期に引き続いて、多変数関数の微積分を学んだ。
スタンダードな講義で特にコメントすることがない。
一度教員が段から落ちた時、同クラが「地面が不連続だった」と言ったのはfunnyだった。

・火5: 微分積分学演習/線型代数学演習
前期に引き続いて、一年生の数学の要点を解説してもらった。
T先生の授業でわからなかったところが整理され、単位を得る助けになった。
配布プリントは週を追うごとに分厚くなり、製作も運搬も大変そうだと思いながら受けていた。

・水1: 地域生態学 <総合D>
あまり授業に行かなかったが、試験に行ったら単位は来た。

・水2: イタリア語一列
接続法や条件法などのやや高度な文法を学び、文章の読解もした。
イタリア語の文章は音読すると大変気持ちが良かったのを覚えている。
同クラが製作したシケプリは非常に素晴らしいもので、授業内容の大変良い復習ができた。

・水3: 身体運動・健康科学実習II
卓球をした。

・水5: 微生物の科学 <総合E>
微生物を研究している農学部の様々な教員のオムニバス講義であった。
様々な微生物の様々な活用法を知ることができたのは面白かった。
試験は持ち込み可で、単位が楽に取れたあたり農学部らしいといえば農学部らしい。

・木2: 電磁気学A
教科書を開けばdivやrotが跋扈する、熱力学に並ぶ数式の森である。
私は熱力学の反省を踏まえ、教科書を着実に読み解いていきMaxwell方程式まで辿り着いた。
ところが理論を理解しても問題を解くことはできず、結局私は単位を落としてしまったのだった。

・木3: 構造化学
水素原子等の軌道を学ぶこの必修科目の実態は、学生が理解できるよう設計されていないキメラ的汚泥である。導入部は量子力学の一般論であり、天下り的な解説は私の理解を拒んだ。更に、表層に物理をまとった"化学"であるこの科目では、物理的意味を深く考えれば考えるほど泥沼にはまるのだ。

・金2: 人文科学ゼミナール(テクスト分析) <展開>
イタリア語の短編小説を題材にし、小説中の動詞の活用に注目して読み解く授業だった。
「なぜこの活用形がここで使われているのか?」を考えることで、文法をテクストの中で理解するとともに、イタリア語という言語の特性の一片を味わうことができ大変刺激的だった。

・金3: 線型代数学
この数式はどこから来たのか。この教員は何者か。この授業はどこへ行くのか。
ぐちゃぐちゃしていて読み解けない板書と解けない演習問題を前に、私はかのゴーギャンの絵を思い出した。そして東大を退学して京大へ行こうかと悩んだ。

・金5: 生物物理学 <総合E>
2人の教員が、それぞれの研究テーマであるタンパク質のフォールディング問題と粘菌の走化性について解説した。授業の一部として行われた研究室紹介を通じ、統合自然科学科で興味深い研究が行われていることを知ることができたのは大きな収穫だった。

(続く)

(*)あまりに日本語的な発音と、英語の得意そうな学生からの質問を度々聞き取ることができなかったという出来事は、英語の教員としての資質に関する疑念を私に抱かせるに十分だった。

3行レビュー: 前期教養の授業(1)

教養学部前期課程を修了した際、自分は前期教養で何を学んだのか、ALESS以外の授業についても振り返っておこうと思った。この一連の記事では、前期教養で受けた各授業について、3行でその概略と感想を述べていくこととする。
特記がないものは必修または事実上の必修である。必修以外は<総合E>などで科目区分を表した。それらは、いわゆる一般教養科目だと認識していただければ構わない。

【1Sセメスター】
・月2: 英語二列W(ALESS)
科学論文を分析しつつ、自分でも実験を行いその結果をオリジナルの論文にまとめる授業。
教員は優しく説明もわかりやすかったのだが、とにかく課題が多く学生を老化させる。
この授業で形成された夜型生活は今も尾を引いており、健康問題となっている。

・月3,水2: イタリア語一列・二列
イタリア語の文法を地道に学んでいく授業。教員の雰囲気が柔らかく親しみが持てた。
イタリア語の豊かな活用を問う毎週の小テストはやや大変だった。
"Siamo senza speranza.(私たちには希望がありません)" という教科書の例文が印象的だった。

・月4: 初年時ゼミナール理科(大陸を知る)
アメリカの地質に関する英文テキストをゼミ形式で読んでいく授業。
学生がまとめた発表に教員がたくさんツッコミを入れるという方法で進められた。
先生のツッコミは聞いてもよくわからず、ツッコミの数も多すぎてテンポが悪く大変眠かった。

・火3(S1): 英語一列
共通テキスト「教養英語読本I」の読解を行う授業。
テキストの英文は京大の入試問題のように硬く、読み応えがあって個人的には好きだった。
ただし、英文読解の授業は予習で読んで理解してしまえばおしまいなので、特に講義に用はない。

・火3(S2): 英語中級
予習では"TED talks"から一つ講演を選んで聴解し、授業ではその内容を英語で紹介する発表を行う。
発表後は討論を行うのだが、英語の得意な人が多く圧倒されがちだった。
みんな社会問題に関心があるようだったので、私は敢えてフィボナッチ数列の性質などを紹介した。

・火4(S1/S2):  数理科学基礎/微分積分学
ε-δ論法を使って1変数の微分積分をスタンダードに学んだ。
当時はよくわからなかったが、講義ノートは今見返すとすっきりとまとまっていてわかりやすい。
この先生は東大で授業を受けた数学者の中で一番変人でない、普通に近い方で、安心感があった。

・火5(S1/S2): 数理科学基礎演習/数学基礎理論演習
演習問題を解いて提出すれば単位が得られる授業。プリント資料の丁寧な解説が評判だった。
教員は単位認定の甘さで有名で、授業を聞いていた人は少なかったが、説明は相当わかりやすい。
瞑想が好きな先生で、授業の最初の5分くらいは毎回瞑想の時間とされた。

・水3: 身体運動・健康科学実習
バドミントンをした。
私のような運動音痴でもスポーツで勝負になるというのは、東京大学の利点の一つである。
「全力のx割出したつもりの握力」が実際にx割になっているかを調べるレポートが面白かった。

・木2: 熱力学
偏微分を駆使した熱力学の体系は、高校を出たばかりの私にとって数学を建材とした迷宮であった。
全微分等が数学の授業で解説され、ようやく数学に慣れてくる頃には授業が進みすぎて手遅れになっていた。全くわけがわからず不可だと思っていたが、成績はなぜか良だった。

・木3: 情報
論理回路、通信方式、情報量と圧縮方式、情報と社会など多岐にわたる内容を学んだ。
まさに教養のための科目といった内容の幅広さで、そして教養のための科目らしく授業はあまり面白くない。しかし先達のシケプリは偉大で、面白く、かつ簡潔で、かつ有用と素晴らしいものだった。

・金1: イタリア語初級(演習) <総合L>
イタリア人の先生から、イタリア語の運用について会話や作文を通じて学ぶ授業。
少人数でアットホームな雰囲気であるが、全てイタリア語で進み己の無能さを痛感する。
一方成績評価は甘く、必修イタリア語との相乗効果もあり履修してよかった授業の一つである。

・金2: 有機反応化学 <総合E>
取ったは良いが、教科書は高い上に先生はぼそぼそと話すという典型的なハズレ授業だった。
必修以外で自由に授業を選択できる貴重な枠の1つをこれで費やしてしまったことを後悔した。
一応シケタイを務め一応勉強したが結果は可。私は東大生でなく一応東大生なので仕方ない。

・金3(S1/S2): 数理科学基礎/線型代数学
駒場で最も有名な大鬼教員の一人、「陸の王者」「富山の汚点」ことT先生のワンマンライブ。
説明の理解が難しいため自習で学んでいくことになるのだが、教科書を無視しており教える順番もおかしいためいつまでたっても授業で習った内容にたどり着けない。一体どうしろというのか。

・金4: 力学A
高校では微積を使わなかったが、今度は微積を使ってニュートン力学を体系化する。
教員が初々しく、黒板への板書と口での説明が完全に分離していて大変退屈な授業だった。
教員は後に卓越研究員に指定された。教えるのは苦手でも研究は得意、ということか。

・金5: 自然現象とモデル <総合E>
演示実験とその解説を通し物性理論の考え方を学ぶ授業。
不思議な現象を間近に見ることができて面白かった一方、解説はよくわからなかった。「自然現象を一つ取り上げ、それをモデルによって説明せよ」という難しい最終レポートはトラウマである。

(続く)

2017年3月21日火曜日

奇跡を考える

 先日、次のようなツイートをした。
「あなたと僕が出会えたのは奇跡」とか「お父さんとお母さんが奇跡的確率で出会ったおかげで私がいるんだ」とか言いますけれど、それを奇跡といえるならこの部屋に空気分子たちが今この位置と運動量で存在していることが奇跡ですよ。
この世界には膨大な人がいるわけで、その中で父と母が出会って私が生まれるというのは確かに確率的には低いこと、すごい偶然には違いない。しかし私はそれを奇跡だとは認めない。確率的な低さをいうなら、空気分子たちが今この位置と運動量で存在していることも猛烈に低い確率である。あるいはトランプのカード53枚を適当に並べ替えてみてほしい。その並び方になる確率も1無量大数分の1くらいの確率だ。しかし1無量大数分の1の奇跡とは、普通言わない。
ある事象が珍しいと見なされるためには、実現される状態が確率的に低い状態なだけでは不足で、実現される状態が特別であることが必要である。例えば、部屋にいる空気分子たちが皆部屋の左半分に存在してしまって、右半分にいる人が窒息してしまえばこれは珍しいことだ(*1)。あるいは、トランプのカードを適当に並び替えたのに、マーク別に1~13まで綺麗に並んだとすればこれも珍しいことである。この理論でいけば、自分の存在が奇跡になるのは、自分が世界の歴史に名を残すほどの天才であるときくらいだと言えるだろう。したがって自分の存在を奇跡だと言って憚らないのは大抵の場合不遜である。

それでも「自分の存在が奇跡」だとよく言われるのは、実現される状態がある意味で「特別」であるからに他ならない。「特別」について、私は次のようなツイートをした。
この世界に客観的な価値はなく、主体たる自分が何かを特別視し、それに意味を与えることで価値が生じる。この世界で私は客観的な特別ではないが、私の世界の原点だという点で私は私にとって絶対的だ。この絶対性が全ての特別性の根源であり、私が見る世界の事物に価値を与えられるのは私しかいない。
 前の記事で考察したように、私が唯一信頼できるのは私の存在だけだ。したがって私にとっては私こそが全ての出発点となる。ツイートではこのことを「私は私の世界の原点だ」と表現した。客観的かつ物理的な存在としてのこの世界は、その中に価値を持たない。価値や意味が存在するのは、私を通してみた世界の中、私の主観世界の中だけである。
「私の存在が奇跡だ」と言うのは、その実「私にとってはこの私の存在が特別である」と表明することに他ならない(*2)。確率の高低、珍しいかありふれているか、は本質的でない。私の特別性こそが最も重要である。特別視ならどんなにありふれたものに対してもできる。私がどんなに凡庸な人間であろうとも、私が平凡以下の人間であろうとも、私にとっては私こそが特別だ。
「あなたと僕が出会えたのは奇跡」にしてもそうだ。確率が低いという余計な情報を付け足すと本当に重要なことがぼやけてしまう。ただ「あなたが僕の特別です、あなたのおかげで幸せです」といえばよいのだ。
ただ、問題は私に「あなた」がいないことである。

(*1)ただし、実現される状態が望ましくなければ、普通奇跡とは呼ばれない。
(*2)従って、ただトランプのカードが適当に並んだだけの人間に「僕の存在は奇跡なんだ」と言われたとしても、「そうですか」としか言いようがない。

2017年3月18日土曜日

砂漠で砂を売る23の方法

3月になり、「就活」という単語を目にする機会が増えた。説明会が解禁されたのだ。ここまで就活就活と言われると、どこにも就職せず高等遊民として暮らしていくことを第一希望としている私としても、どうしても就活のことを考えてしまう。
聞くところによると、面接では敢えて突飛なことを聞いて受験者の対応を見る、ということもあるそうだ。突飛なことというのは、例えば「砂漠(*1)で砂を売る方法を考えて下さい」といった問題である(*2)。
以下、この問題を(A)とおこう。本稿では、面接でいかに突飛なことを聞かれても動じないよう、採用試験の面接で(A)と言われた状況を想定して、多角的な視点から25通りの解答を提案してみたい(*3)。

さて、よく模範解答として挙げられるのは、1.砂時計にする ことである。砂漠の砂を砂時計として詰めればお土産として喜ばれるだろう、ということだ。なるほど面白い発想である。まずはこの方向で考えてみることにしよう。
身の回りで何か砂が役に立っているものはないかと考えて思いついたのが、2.土嚢 だった。砂漠といえども川はあるし、雨季になれば増水もする。ナイル川には洪水が多かった(*4)という話をさりげなく混ぜ込めば、面接官も教養の深さに感心してくれるはずだ。Wikipediaによると、土嚢は防弾にも使われているとのことだ(*5)。防弾用途まで思いついたなら、昨今の中東情勢と絡めて土嚢の有用性を主張することで、グローバルな視点を持っていることもアピールできそうだ。
砂の用途として、他に 3.公園の砂場4.コンクリートの材料5.埋め立て地6.砂風呂 7.浄水場のろ過装置 を思いつくことができた。どれもB to Bを想定している。砂漠にある都市が発展する際には、きっと需要が見込めるだろう。ただし、砂漠にある浄水場がどういう仕組みなのか、私は知らない。

考えてみれば、何も砂漠で広がっているようなありふれた砂を売れとは言われていない。砂の種類を変えて売ることも検討してみよう。まず珍しくて売れそうな砂といえば、8.星の砂 である。しかし砂漠にいる人が他の土地のお土産物(*6)を欲しがるかと言われればイマイチかもしれない。
そこで提案したいのが  9.ペットのトイレ用の砂、 10.砂鉄実験キット、及び 11.砂金 を売ることだ。小学生の頃、砂鉄をスライムに混ぜて、磁石でスライムを遠隔操作する遊び(*7)をやったものだ。これは全世界の子供の心に訴求すると思う。
美しい砂があれば 12.枯山水 を作ることができる。砂漠ではきっと物珍らしがられるだろう。まずは石油王を龍安寺などに連れて行く。そこで駄々をこねて自宅にも欲しいと言い出せばしめたものだ。砂漠に戻って枯山水用の砂を売りつければ任務完了である。
珍しい砂で言えば、もっと珍しい砂を持ってきて 13.月の砂 を手に入れることができれば、コレクターが高値で買ってくれそうだ。いや、どうせならもっと大規模にいこう。探査機を飛ばし、採取した 14.小惑星の砂のサンプルを研究所に売る、というのはどうだろう。砂を売ると同時に、科学も発展させることができて一石二鳥だ。赤字になるだろうが、これは商売というよりフィランソロピーなので仕方がない。
ここまでで様々な砂を挙げてきたが、少し毛色の違う砂として 15.「一握の砂」 というものも考えられる。短歌の翻訳は難しいだろうから、砂漠に住んでいて日本語が恋しくなった日本人に売ってあげよう。それか、鳥取砂丘で売ってもよい(*8)。そういえば、東大法学部も砂漠の一種だと聞いたことがある。もし「一握の砂」が認められれば、16.セスナ でもいけるかもしれない。

ところで、(A)が問うているのは、砂を売る「方法」である。もっと(A)に忠実になって考えてみよう。砂を加工するのでもなく、特殊な砂を用意するのでもない。砂の「売り方」を変えて買わせるのだ。
最も単純かつ効果的なのは 17.脅迫 だろう。脅迫はモロに犯罪だが、犯罪スレスレでよければ 18.催眠商法 がある。悪徳商法にも色々あるが、砂を水とセットにして売るのは 19.抱き合わせ商法 と呼ばれる。あるいは、20.認知症の人に売る という手もある。これらは、意図的にやっているという証拠を掴みにくく立件が難しいと思われる。行政指導を受けるだけで済みそうな印象だ。
犯罪スレスレの手段の中では、21.健康効果を期待させる のが最近の流行りである。健康効果を標榜すれば薬事法違反(*9)であるが、消費者が勝手に健康効果を期待してしまっただけなら摘発されようがない。まずは、砂と触れ合うことによるリラックス効果を謳い、インテリアという名目で砂を売る。この際、パッケージを一目見て「この商品は健康に良さそうだ」と感じさせるようデザインすることが重要である。この商品名を、仮に「硅素砂」としよう。次に適当な第三者(*10)が噂を流すのを待つ。噂は「部屋に硅素砂を置く硅素健康法が流行中!天然ミネラルの力で波動が充満!」といったものがよい。噂が科学的事実に基づいている必要はない。噂が十分広まれば、信じ込みやすい人たちが硅素砂を購入してくれるだろう。
犯罪スレスレがNGになっても、22.同情を誘う という方法なら問題ない。ただ、商品がただの砂ではいくら可哀想でも家族くらいしか買わないだろうから、家族も砂漠に呼びつける必要がある。「砂漠で拘束されている。誰かが砂を買ってくれるまで砂漠から出ることができないのだ」と家族に伝えれば買いに来てくれるだろう。それは嘘かもしれないが、合法なのは確かである。

それにしても、砂を売るためには本当に砂を買ってもらう必要があるのだろうか?日本語の「売る」という言葉の用法を考えてみてほしい。あなたが、「あの店では野菜を売っている」と言うとき、何もあなたはその店で野菜を買う必要はない。その店が、商品として野菜を扱っていさえすればよいのだ。そう、砂を売るには、23.商品として店に砂を陳列する だけでよい。
もっと固定観念を疑ってみよう。そもそも、我々はどういう状況で(A)と言われたのだったのか。面接である。我々は、「サバクデスナヲウルホウホウヲカンガエテクダサイ」(これを(A')とおこう)という面接官の発音を聞いて、「砂漠で砂を売る方法を考えてください」のことだと解釈した。実は(A)は我々が作り上げた幻にすぎないのかもしれないのだ。こう考えれば、信頼に足るのは(A)よりむしろ(A')であると言える。そこで虚心に(A')を眺めていると、(A')は「砂漠で砂を得る方法を考えて下さい。」とも解釈できる(*11)ことがわかるだろう。かくして、24.砂を拾う という解答が出てくる。
我々が揺るぎないと信じ、議論の出発点としてきた(A)さえ信じられないとなると、もう何も信用できない気がしてくる。答えるべきは、砂を売る方法だったのか、得る方法だったのか?いや、どちらでもよい。面接官が我々に求めているのは、ただ 25.考える ことだけだったのだ。面接官は砂漠で砂を売る方法を挙げよとは言っていない(*12)。考えさえすればよかったのだ。
そもそも、本当に(A')に答えはあるのだろうか? 問題に必ず答えがあるという保証はどこにもないのだ。では、本当に問題は存在していたのだろうか? 考えるだけでよいということは、実は(A')は問題ではなかったのでは?もしかして、すべては幻だったのか?
私は考える。面接官に「考えて下さい」と言われたから。考えれば考えるほど、確かなことなど何もないと思えてくる。答えの存在も、問題の存在も、試験を受けている自分の存在すら疑わしい......ここまで考えて、私は気付く。それでも確かに言えることは、「自分の存在すら疑わしい」と自分は考えているということ。つまり、そう考えている自分が存在しているということ。
これは、(A')に代わる第一原理。人から与えられたのではない、自分で確かめた出発点。今となっては存在するかもわからない面接官に向かって、私は叫んだ。

0.「我思う、ゆえに我あり。」
一見突飛な問題を通して、面接官はこんなメッセージを伝えたかったのかもしれない。


(*1) 本稿では、ケッペンの気候区分で砂漠気候に分類される地域なら、全て砂漠とみなしている(逆は必ずしも真ならず)。例えば、ラスベガスの中心部も砂漠とする。
(*2)「砂漠で砂を売る方法を考えて下さい」で検索するとD通社に関連するWebページが出てくる。
(*3)何か別解が思いついたなら、是非コメント等で教えて欲しい。
(*4)アスワンハイダムの建設により、現在は洪水が減少しているそうだ。
(*5)https://ja.wikipedia.org/wiki/土嚢
(*6)海岸砂漠なら星の砂がある......のか?
(*7)何かを遠隔操作する遊びは幅広い世代に人気があり、模型自動車、ドローン、他人のコンピューターなど様々なものが遠隔操作されている。
(*8)鳥取砂丘は砂漠ではないため、よくない。
(*9)薬事法が砂漠の国にもあるのかはよく知らない。
(*10)ライターを大量に雇い低品質な記事を量産しているサイトが有力候補だ。
(*11)(文脈上明らかだとは思うが)この「得る」は「うる」と読んでほしい。
(*12)にもかかわらず「砂漠で砂を売る方法」を23通りも挙げるような人間には、決してなってはならない。

2017年1月20日金曜日

本日の日記

本日2017年1月20日の午後7時過ぎ、買い物を終え帰宅した私の胸に突然激痛が走った。
私はそのとき呼吸もうまくできず、また動悸もするようになり、とっさに「永眠するかもしれない(*1)」と考えた。
なんとか激痛のパルスは過ぎ去ったが、息を吸うと胸が痛むようになった。その場で永眠することはなかったものの、これを放置すると苦痛とともに永眠してしまう可能性もあると思った。私はまだ空いている循環器内科の病院を探し、タクシーを呼んで連れて行ってもらうことにした。
「入院するかもしれない」と思ったため、息が絶え絶えになりながらも、カバンに量子力学の教科書と常微分方程式の教科書とルーズリーフと筆箱を詰め込み、病院で勉強ができるようにした。暇になることがないように、ノートパソコンも荷物に足した。万全を期すため、用も足しておいた(*2)。

そうこうしているうちにタクシーが来て、病院まで着いた。
息を吸うと胸が痛いので、声はできるだけ出さず、持ってきたルーズリーフを使って筆談で問診してもらった。私は肺と心臓を検査されることになった。
まずは胸部レントゲンを撮った。息を大きく吸うように求められたので指示通り息を吸ったのだが、案の定胸が痛くなった。まさに胸が痛くなっている瞬間を撮られたというわけで、これはバッチリ異状が写っているに違いない。そう考えながらレントゲン室を後にした。
診察室に戻ると、すでにパソコンの画面に私のレントゲン写真が映っていた。見ると、白く映る心臓の影の中に何か黒い点があるではないか。私は、これは異状に違いないと確信し、先生の話を聞くため覚悟とともに着席した。すると、先生はその点を動かしながら説明を始めた。どうやら、ここではカーソルは黒い点として表示されているらしい。結局、レントゲンでは異状は見つからなかった(*3)。
しかし現に異常なのであるから、必ずやどこか異状が見つかるに違いないと思った。次は心電図検査である。私は横になり、胸に吸盤を貼ってもらって測定が終わるのを待った。ところが、寝そべっているうちに呼吸は少し楽になってしまい、痛みもほとんど感じられなくなっているのに気づいた。検査が始まるまでの強気な考えとは打って変わって、これでは異状が出なかったかもしれないな、と思いつつ診察室へ戻った。
先生によると、どうも電位が高く出ているらしい。これは異状かもしれないが、痩せ型の体型が原因かもしれないという。そこで、エコーで異状かどうか調べることになった。
私は、「もう痛みも治まってしまって、異常値を出せるかどうか自信がないなあ」と弱気になりながら再び横になった。先生はしばらく私の心臓を調べていたが、予感した通り異常値は出なかったとのことだった。心電図の異常値は、私の体型が原因(*4)ということで落ち着いた。
こうしていろいろ調べたものの、特に異常なところは見当たらず、その上痛みも治まってしまったため、消去法的に「肋間神経痛(*5)」とされた。一応薬も出たが、処方されたのは漢方薬であった。タクシー、検査、処方で合計6500円ほどかかってしまったが、私が入院まで覚悟したこととは裏腹に特に何もせず治ってしまったため、何となく損をしたような気持ちになった。

私は、「我が肉体よ、不要なシグナルはできるだけ出さないようにして、主であるこの私をむやみに驚かさないでくれたまえ」と思いながら、己の不運なのか幸運なのかよく分からない運を呪って帰途に就いた。病院から家までは結構近かったので、歩きで十分間に合った。まったく、検査することなく異状の有無を検査できる時代が早く来てほしいものである。

(*1) 例えば、死のノートに名前を書かれたなどの原因が考えられる。
(*2) 一見落ち着いているように見えるが、内心極めて動揺していた。その証拠に、私は充電器を忘れてしまったのである。タクシーに乗った後でそのことに気づいた私は、病院で充電が切れて外界と連絡が取れなくなることを憂慮し、深い後悔の念とともにタクシーを降りることとなった。
(*3) 突然の胸の痛みということで、私は気胸を疑っていたが、この検査によりその可能性は低いことが判明した。
(*4) 循環器科に来て体型が異常だと言われる身にもなってほしい。
(*5) Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/肋間神経痛

2017年1月7日土曜日

私の進学選択(3)

ついに問題の金曜日になった。金曜日の朝までに、卒業証明書は届いていなかった。
夕刻16時ごろに空きコマで一度自宅に帰ってみたが、まだ届いていなかった。やはり卒業証明書は間に合わないのか。この日の授業後、私はキムワイプ卓球会の仕事を抱えていた(*1)。それが終わって帰宅したのが20時半頃である。ポストを開けると、そこには証明書があった。
私は卒業証明書が届けばセンターに入金し出願を完了する算段(*2)であり、それには入金完了の証として郵便局のハンコが必要であった。20時台において、最寄りの郵便局は閉まっているものの渋谷の郵便局は開いている。私は楽観視していたが、このときあることが判明した。確かに、金曜日の消印をつけて出願書類を出すのは金曜日の夜24時までに行えばよい。しかし入金するための窓口は21時で閉まるのだった(*3)。そして私はこれに微妙に間に合わなかった。誠に、何事もギリギリに済ませようとするのは良くない癖である。
こういった事情で、仮面浪人もやめることとなった(*4)。受験校選択のときもそうであったように、私は自力では自分の進路を決めることができない優柔不断な人間である(*5)。なるほど、これは仮面浪人をやめておくべきだということか、と素直に受け取った。

そして冬になった。
12月、キムワイプ卓球会の駒場祭企画の打ち上げがあった。そこで、サークルの先輩と進路について少し話すことができた。私が興味を持っていること(*6)について話すと、その先輩は自身の所属していた統合自然科学科を私に勧めた。
私がこれまで検討してきた選択肢は、もっぱら理学部の方を向いていて、教養学部の統合自然科学科はあまり真剣に考えていなかった。教養学部前期課程に対する悪印象から、教養のお題目の下に広く浅く様々な分野を学ぶよう強いられ、自分の興味のあることも興味のないこともやらされるような、そんなイメージがあったためである。
しかし実際の統合自然科学科はイメージと大きく異なっており、履修の自由度も高く、私のように境界領域に興味のある者にとって非常に適した学科となっていた。特に、必修が少なく、もはや「東大の中の京大」とまで言えそうな様相を呈していたのは京大が大好きな私にとって誠に嬉しいことであった。
東大生は本郷キャンパスに憧れる人が多く、統合自然科学科は駒場にあることから敬遠されがちなところがある。実際、本郷で入試を受けた時は、私も「合格したら2年後にはこの赤門をくぐって通うのか」と思いながら赤門を通り抜けたし、本郷に通ってみたい気持ちはあった。
しかしこうなってくると話は別である。駒場キャンパスはもはや東京大学ではない。京都大学の駒場キャンパスなのだ。その証拠を今からご覧にいれよう。

・1号館前に木が植わっている。
    →京都大学時計台前のクスノキを表している。
・統合自然科学科はカリキュラムの自由度が高い。
 →京大の自由の学風を表している。
・駒場では時錯や左翼団体が盛んに活動している。
 →時錯は京大に多いとされる変人を、左翼団体は京大名物の同学会を表している。
・駒場(前期教養)には講義中もうるさい学生がいる(*7)。
 →京大総長山極寿一先生の、自分がゴリラであるかのように振る舞う研究手法を表している。
・小島先生という方が教養学部長を務めていたことがある。
 →小島先生は京大出身であり、京大のDNAを駒場にも注ぎ込んだにちがいない。
・統合自然科学科は近接する16号館と3号館にまとまっている。
 →京大理学部も北部構内にまとまっている。
・私は駒場キャンパスに自転車で通学している。本郷に通うならこうはいかない。
 →京大生のほとんどは自転車通学していることから、私が京大生も同然であることがわかる。

京都大学に通えて、1留もしなくてよいとは。まさに一挙両得である。それに、「駒場」も「京都」と同じでローマ字にするとKから始まる(*8)。これは駒場に残り続けるより他にないだろう。かくして私は統合自然科学科への進学を決めた(*9)。進学選択をめぐる私の心の変遷は、これにて終着点を迎えた。(終わり)

(*1)駒場祭でキム卓を特集してもらうため、駒場祭委員会からの取材があった。キム卓は、(少なくとも仮面浪人と天秤にかけるほどには)私にとって重要な意味を持つ活動であった。
(*2)実は、こういった場合証明書が届くのを待たずに入金してしまうのがよい。なぜなら、入金しても出願はしなかった人に対し返金制度があるためである。このことに気づいたのは翌週であった。
(*3) 参照: 渋谷郵便局。ゆうゆう窓口が前者、郵便窓口が後者。
(*4)この後、私はセンター試験のモニターバイトという、大学入試センターが実施するセンター試験の難易度調査のバイトに参加した。この時私は830点を取り、上出来だと考えTwitterで自慢した。するとそれが高校の後輩の目に留まったのだろう、私が京大を受けようとしているとして噂になった。私は高校を首席で卒業し、高校ではそれなりに有名人であったこともあって、その噂は広まっていき、ついには高校の先生までもが与り知るところとなった。私が2016年3月に高校を訪問したところ、多くの先生に東大を辞め京大に行くのかどうか尋ねられた。京大を実際に受けるには高校の先生に頼んで調査書を作成してもらわなければならないため、勝手に京大を受けるなどほぼ考えられない話ではあるのだが、それでも混乱が広がっていたようである。確かに私は京大を受けたい、センター試験を解いた、とは言ったが、実際に京大を受けるとは一言も言っていない。勝手に話に尾ひれをつける後輩たちには困ったものである。
(*5)選択の局面において、上手な選択をするために私はできるかぎりの情報収集に努める。しかしそれでも決められない場合は確実に存在し、その場合での合理的選択というのは人間に可能な範囲を超えていると思うのである。であるならば、なるべく(自分を含む)人間以外のものに頼りたい。それがトランプであったり、証明書であったりしたわけだ。確かに不合理かもしれないが、決められないものを前に迷い続ける方がよほど不合理であろう。
(*6)「私の進学選択(1)」の注2を参照のこと。物理の原理(ミクロ)から物性や生命らしさ(マクロ)を考える上で、境界領域を学ぶことができ、かつそれに関する研究室を擁している学科であることが重要であり、統合自然科学科はその条件と完全に合致していた。特に、私は「マクロ-ミクロ」の関係について最も成功した学問である統計力学を学ぶことが重要だと考えており、生物情報科学科と比べても、その点で統合自然科学科は有利だった。
(*7)イマ東ことHRM君が講義中に音楽をかけていたことは有名である。
(*8)ブログタイトル「無KのK」からも察せられるように、私はアルファベットのKが大好きである。
(*9)数理コースが一番自由度が高いと先輩から聞き、数理コースにした。数理でも物質でもさほど違いはないようである。

リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(2)

私の進学選択(2)

私は京大と東大で受験先を迷って東大に来た人である(*1)ため、もともと「東大に来るという選択で本当に正しかったのだろうか」という迷いを持っていた。更に、1年の前期では東大が嫌になるような出来事が起こった。さらに、7月末には前期試験を受けたが、自分の答案は散々な出来であり、何個か必修で不可を取ってしまった、留年に片足を突っ込んでいるかもしれないとも感じていた。
そこに来て進路の問題が重なり、心は次第に仮面浪人へと傾いていった。京都大学理学部も、専門を決めるのは2回生から3回生になる時であるため、進路選択の先送りという意味では東大とほぼ同等であった。
私は8月に京都大学理学部のオープンキャンパスへと赴き、情報を収集した。そこでの情報と合わせて、いくつかの理由で京大に行った方がよいと判断した。

1.必修が少ない。
京大理学部は自由を特に重んじ、縛りが非常に少ない。私は物理-化学-生物の境界領域に強く興味を覚えていたので、この点は魅力的であった。

2.私でも物理系・化学系に進学できそうである。
東京大学の化学科の必修の多いキツキツのカリキュラムは合わないと思っていたが、京大理学部の化学系は実験も週3、かつ英語授業ということもなく、自分にもやっていけそうだと感じた。物理系においても、東大のように高い成績が要求されるわけではなく、ほどほどの成績を取っていれば良いと聞いた。したがって、京大に行けば東大理学部に行くのと違って物理・化学の世界を捨てなくて済むことになる。

3.理学部の建物が密集している。
理学部の建物は全て北部構内にあり、建物同士の距離が近い。このため他の分野の講義も聴きに行きやすそうだと感じた。東大の本郷・浅野キャンパスでは生物学科、物理学科や化学科、生物化学科や生物情報科学科の建物はそれぞれ離れている。これは分野の境界に関心を寄せる私にとって不都合なことであった。

4.一年生でも二年生の講義を履修してよい。
京大理学部では、2回生以降向けの講義を1回生が履修しても単位が認められる。まさに仮面浪人にはうってつけではないか。この1年で分かったところは先へ進み、わからなかったところはやり直すことができる。

5.父も応援してくれそうである。
京都大学出身で京都大学が大好きな父なら、東大を退学して京大に行くと言っても反対しないだろうと思われた。

と、こういう次第で、京都大学への進学を志すこととなった。

夏が過ぎ、季節は秋になった。再び東大へ通う日々が始まった。ある日、私は東大の受付に行き、センター試験の願書を入手した。
問題は、いざ出願しようとすると踏ん切りがつかないことだった。大学に落ちて不本意ながら一年浪人する、というのは自分にも可能な選択だった。しかし私はこれでも第一志望に受かった身であった。不可抗力ならまだしも、自分から1年 "留年" をするという選択をすることに対し、急に不安がよぎってきた。
私は現役生であるから、1年 "留年" しても社会的に許容されそうだとは考えた。しかし "1留" のカードを今ここで切ってしまってよいものなのだろうか? 院試浪人、就職浪人を余儀なくされたら?ここで1留した上で、博士号を取るために博士課程を延長したら30歳手前...?退学するのは、今までストレートでやって来た道をわざわざ踏み外すようなものに思えて、私は怖気付いた(*2)。
その上、私はキムワイプ卓球会のノウハウを最も継承していた一年生だった。私がいなくなれば、この会も、先輩がこの会を立ち上げ発展させていく上で込めた思いも、来年以降に伝わることなく消えてしまいそうだと感じた。
私はどうすればよいのかわからなくなり、センター試験の願書はしばらく放置された。
そうこうしているうちに、センターの出願の締め切りが近づいてきた。京都大学を目指し浪人していた友人に相談したところ、「とりあえず出願するべき」と助言を受けた。私は出願することにした。
出願には卒業証明書が必要だった。これを手に入れるためには高校に申請書類を郵送し、証明書を返送してもらわなければならない。私が書類を郵送したのが月曜日の朝で、締め切りが金曜日だった。かくして、私がセンター試験を受けることができるか否かは、この一枚の卒業証明書に委ねられることとなった。(続く)


(*1)参照: 「志望理由 (1)」 「(2)」
(*2)私は悪いだろうと予測していたが、前期の成績は実はそれほど悪くなかった。不可は一つもなく、平均的な東大生といった点数を取っていた。このことを根拠に、私は「案外、東大をやめなくてもなんとかなるかもしれない」とも思った。この、自己評価と実際の成績の乖離は私にとって迷いとなった。

リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(3)

私の進学選択(1)

昨年(2016年)夏、私は進学選択で教養学部統合自然科学科数理自然科学コースに内定した。しかし、この決断に至るまでには様々な変遷を経なければならなかった。ここでは、私の進学選択について振り返ってみることとする。


私が東京大学理科I類へ入学したのは2015年の春である。当時は志望先のことはほとんど考えていなかったが、多くの理一生が入学当初においてそうであるように、漠然と理学部物理学科(理物)への進学を考えていた。
ところがこの志望は入学後三週間もすると捨てることとなった。大学の授業がわからなくなっていったためである。まず真っ先にわからなくなったのが熱力学で、その後線形代数、力学と続いていった。試験で高得点を取ることは素早く諦め、単位を取ることを目標に設定し、それと同時に理物もやめることにした。多くの理一生の憧れの的である理物に入るには、たいていの年で高い点数が要求される(*1)ためである。

それと同時に私が進学先へと設定したのが理学部化学科である。化学科はかつての人気学部であったが、ブラック学部との評判が立ち人気が下落していた。私は「マクロはミクロからどのように構成されているか」(*2)という問題に興味があり、理論化学からのアプローチで物性を考えることができそうな化学科はお買い得だろうと考えたのだった。
ところが、化学科への進学も最初の期末試験の頃にはやめておこうという気になってきた。化学科がブラック呼ばわりされている (*3)所以は、英語授業と週5で実験があることによる過密なカリキュラムである。1年前期(Sセメ)では一度英語授業を受けたが、これがさっぱり理解できない。その上、1年次には週15コマを履修していたが、私は授業のペースについていくことができず、これでもなかなか大変だと感じてしまった。私の持ち前の怠惰さでは過密なカリキュラムの中でやっていくことができないだろう。そう考えたことが決定的となって、私は化学科への進学をやめた。

こうなってくると問題となるのは代替となる進学先である。私は応用にはあまり興味がなかったため、工学部よりも(*4)理学部を中心に進学先を考えていくことにした。物理・化学・生物系で(*5)、どこか他に理学部の学科はないだろうか。生物学科はマクロな生物を対象としているところがどうにも違う感じだった。分子生物学や生化学はあまり好きではなかったため生物化学科も除外した。工学部の中でも基礎研究を重視している物理工学科というところは検討したが、点数が足りなさそうだと考えた。
生物情報科学科というところが残った。ある生命現象全体を情報科学の知識で包括的に扱う手法を研究する、という生物情報科学のアプローチには惹かれるところがあった。しかし物理をあまり学べなさそうである点がひっかかった。実は、このときの私の脳裏にはもう一つ別の選択肢が浮かんでいた。生物情報科学科は確かに魅力的ではあったが、その「別の選択肢」と比べたとき、私の目には「別の選択肢」の方がより魅力的に見えた。

その別の選択肢とは、京都大学理学部理学科だった。1年のSセメスター終了時、私は京都大学への仮面浪人を考えていたのであった。(続く)


(*1)しかし、結果的に言えば私が進学選択する年は例外であった。理物では志望者数が定員を下回り、事実上点数にかかわらず進学できるという事態が発生した。とはいえ、統合自然科学科は私に非常に適した学科であると考えられるため、この結果を知っていたとしても理物に進学しなかったであろう。
(*2)分子をたくさん集めると我々の目に見える物質となるが、その物性はどこから立ち現れてくるのだろうか?また、生物を分解すると様々な構成要素が出てくるが、それらの集合体から「生命らしさ」はどのようにして立ち現れてくるのだろうか? 私はこうした問題に興味がある。
(*3)理学部ガイダンスに出席した時は、化学科の人は「実際にはブラックではない」と主張していた。公平のためここに両論を併記しておく。
(*4)私の興味の対象である(*2)のような問題は、あまり工学部で扱われていないらしい。
(*5)「地球全体というシステムの行く末は、個々のミクロな要因から予言できるのだろうか?」という地球科学的な「マクロ-ミクロ」の問題にも興味があるため、その意味では地球惑星物理学科も選択肢の一つになるはずである。しかし、地球というシステムは私の肉体と比べあまりにも巨大にして複雑であり、「マクロ-ミクロ」の問題を考える第一歩としては不適当だろうということで、この人生では地球科学的問題には目をつむって生きていくことにした。

2017年1月1日日曜日

2017年賀状(問題編)



年賀状のWeb版をアップロードします。是非ともダウンロードして頂き、印刷してお解き頂ければ幸いです。これは言い訳なのですが、紙の年賀状に手書きコメントを書かなかったのは、"ヨコ20"が狭すぎたからです。
それはともかくとして、本年もよろしくお願いします。

*検索前提のバランスとなっております。より少ない検索回数での完成を目指しましょう。