何気なく見ていたテレビ番組で就活を扱っていた。模範的なエントリーシートを取り上げ、そのポイントを論じていたようだった。中身はほとんど見ていないが、志望理由の欄の「御社の事業を通じて社会に貢献したいと考えています」という一文が妙に印象に残った。
困っている人を助けたいという気持ちはわかる。私も、余っている臓器を移植したとまではいかないが、駅で荷物を運ぶのに難儀していた老人の荷物を代わりに運んだことくらいならある。しかし、社会に貢献したいというのは、あまりに抽象的で全く共感できない。どういう心理が働けば社会に貢献したくなるのであろうか。
一つ、「胎児期から社会のお世話になってきたから社会に恩返しがしたい」という仮説を考えた。まず、誕生の際は、健康保険から出産育児一時金が支給され、公的に金銭の援助を受けている。その後も、教育や医療などをはじめとして社会のお世話になり続けている。これらのおかげで現在の私があることは間違いない。それを思えば、社会に貢献したいというのは自然な考えかもしれない。
しかし、それを踏まえてもなお、私は社会に貢献したいという気がしない。そもそも、別に私は産んでくれと頼んで生まれてきたわけではない。医療にせよ教育にせよ、生まれてきてしまったからには(私の人生には)必要なので、渋々使っているだけのことである。断言してもよいが、生まれてきさえしなければ一度たりとも絶対に使っていなかった。そして、人が新たに生まれてくる背景の一つに何があるかというと、社会が自分自身を維持したいがために新しい構成員を欲しているという、エゴイスティックな欲望である。
つまり、人を自発的な就職に陥れるために社会が立てた策謀は、次の3ステップから成る:
1. 人を誕生せしめる。
2. 生まれた人は、そのままではまともに生きられないため、公的サービスを消費せざるを得ない。
3. その人が成長したら、就活・就職という形を通してその見返りを要求する。
これは反社会的勢力のやり方と同じである:
1. ヤクザが人にわざとぶつかる。
2. その人は示談金を払えないので、別のヤクザから金を借りる。
3. 忘れた頃に利子を含めて法外な金を要求する。
あるいは、
1. 人に無理矢理シャブを入れる。
2. その人はシャブなしには生きられなくなるので、シャブを消費していく。
3. 頃合いを見て違法労働に従事させ、シャブ代を回収する。
よって、社会は反社会的勢力である。適当に書いてみたが、全然似ていない気もしてきた。ただ、お金がないと我々は生きられないわけで、私に勤労の義務を課すというのは、私の命を人質にとって脅迫しているようなものである。やはり反社会的勢力の一種といって良いだろう。
こうした狡猾で卑怯なやり方に、私は断固として抗議の意思を表明する。具体的には、来年度は大学院に進学するか留年するかなどして、年金の納付猶予を延長し、扶養控除を活用した上で、公的サービスのさらなる浪費を推し進めていく予定である。