私は京大と東大で受験先を迷って東大に来た人である(*1)ため、もともと「東大に来るという選択で本当に正しかったのだろうか」という迷いを持っていた。更に、1年の前期では東大が嫌になるような出来事が起こった。さらに、7月末には前期試験を受けたが、自分の答案は散々な出来であり、何個か必修で不可を取ってしまった、留年に片足を突っ込んでいるかもしれないとも感じていた。
そこに来て進路の問題が重なり、心は次第に仮面浪人へと傾いていった。京都大学理学部も、専門を決めるのは2回生から3回生になる時であるため、進路選択の先送りという意味では東大とほぼ同等であった。
私は8月に京都大学理学部のオープンキャンパスへと赴き、情報を収集した。そこでの情報と合わせて、いくつかの理由で京大に行った方がよいと判断した。
1.必修が少ない。
京大理学部は自由を特に重んじ、縛りが非常に少ない。私は物理-化学-生物の境界領域に強く興味を覚えていたので、この点は魅力的であった。
2.私でも物理系・化学系に進学できそうである。
東京大学の化学科の必修の多いキツキツのカリキュラムは合わないと思っていたが、京大理学部の化学系は実験も週3、かつ英語授業ということもなく、自分にもやっていけそうだと感じた。物理系においても、東大のように高い成績が要求されるわけではなく、ほどほどの成績を取っていれば良いと聞いた。したがって、京大に行けば東大理学部に行くのと違って物理・化学の世界を捨てなくて済むことになる。
3.理学部の建物が密集している。
理学部の建物は全て北部構内にあり、建物同士の距離が近い。このため他の分野の講義も聴きに行きやすそうだと感じた。東大の本郷・浅野キャンパスでは生物学科、物理学科や化学科、生物化学科や生物情報科学科の建物はそれぞれ離れている。これは分野の境界に関心を寄せる私にとって不都合なことであった。
4.一年生でも二年生の講義を履修してよい。
京大理学部では、2回生以降向けの講義を1回生が履修しても単位が認められる。まさに仮面浪人にはうってつけではないか。この1年で分かったところは先へ進み、わからなかったところはやり直すことができる。
5.父も応援してくれそうである。
京都大学出身で京都大学が大好きな父なら、東大を退学して京大に行くと言っても反対しないだろうと思われた。
と、こういう次第で、京都大学への進学を志すこととなった。
夏が過ぎ、季節は秋になった。再び東大へ通う日々が始まった。ある日、私は東大の受付に行き、センター試験の願書を入手した。
問題は、いざ出願しようとすると踏ん切りがつかないことだった。大学に落ちて不本意ながら一年浪人する、というのは自分にも可能な選択だった。しかし私はこれでも第一志望に受かった身であった。不可抗力ならまだしも、自分から1年 "留年" をするという選択をすることに対し、急に不安がよぎってきた。
私は現役生であるから、1年 "留年" しても社会的に許容されそうだとは考えた。しかし "1留" のカードを今ここで切ってしまってよいものなのだろうか? 院試浪人、就職浪人を余儀なくされたら?ここで1留した上で、博士号を取るために博士課程を延長したら30歳手前...?退学するのは、今までストレートでやって来た道をわざわざ踏み外すようなものに思えて、私は怖気付いた(*2)。
その上、私はキムワイプ卓球会のノウハウを最も継承していた一年生だった。私がいなくなれば、この会も、先輩がこの会を立ち上げ発展させていく上で込めた思いも、来年以降に伝わることなく消えてしまいそうだと感じた。
私はどうすればよいのかわからなくなり、センター試験の願書はしばらく放置された。
そうこうしているうちに、センターの出願の締め切りが近づいてきた。京都大学を目指し浪人していた友人に相談したところ、「とりあえず出願するべき」と助言を受けた。私は出願することにした。
出願には卒業証明書が必要だった。これを手に入れるためには高校に申請書類を郵送し、証明書を返送してもらわなければならない。私が書類を郵送したのが月曜日の朝で、締め切りが金曜日だった。かくして、私がセンター試験を受けることができるか否かは、この一枚の卒業証明書に委ねられることとなった。(続く)
(*1)参照: 「志望理由 (1)」 「(2)」
(*2)私は悪いだろうと予測していたが、前期の成績は実はそれほど悪くなかった。不可は一つもなく、平均的な東大生といった点数を取っていた。このことを根拠に、私は「案外、東大をやめなくてもなんとかなるかもしれない」とも思った。この、自己評価と実際の成績の乖離は私にとって迷いとなった。
リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(3)
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