ついに問題の金曜日になった。金曜日の朝までに、卒業証明書は届いていなかった。
夕刻16時ごろに空きコマで一度自宅に帰ってみたが、まだ届いていなかった。やはり卒業証明書は間に合わないのか。この日の授業後、私はキムワイプ卓球会の仕事を抱えていた(*1)。それが終わって帰宅したのが20時半頃である。ポストを開けると、そこには証明書があった。
私は卒業証明書が届けばセンターに入金し出願を完了する算段(*2)であり、それには入金完了の証として郵便局のハンコが必要であった。20時台において、最寄りの郵便局は閉まっているものの渋谷の郵便局は開いている。私は楽観視していたが、このときあることが判明した。確かに、金曜日の消印をつけて出願書類を出すのは金曜日の夜24時までに行えばよい。しかし入金するための窓口は21時で閉まるのだった(*3)。そして私はこれに微妙に間に合わなかった。誠に、何事もギリギリに済ませようとするのは良くない癖である。
こういった事情で、仮面浪人もやめることとなった(*4)。受験校選択のときもそうであったように、私は自力では自分の進路を決めることができない優柔不断な人間である(*5)。なるほど、これは仮面浪人をやめておくべきだということか、と素直に受け取った。
そして冬になった。
12月、キムワイプ卓球会の駒場祭企画の打ち上げがあった。そこで、サークルの先輩と進路について少し話すことができた。私が興味を持っていること(*6)について話すと、その先輩は自身の所属していた統合自然科学科を私に勧めた。
私がこれまで検討してきた選択肢は、もっぱら理学部の方を向いていて、教養学部の統合自然科学科はあまり真剣に考えていなかった。教養学部前期課程に対する悪印象から、教養のお題目の下に広く浅く様々な分野を学ぶよう強いられ、自分の興味のあることも興味のないこともやらされるような、そんなイメージがあったためである。
しかし実際の統合自然科学科はイメージと大きく異なっており、履修の自由度も高く、私のように境界領域に興味のある者にとって非常に適した学科となっていた。特に、必修が少なく、もはや「東大の中の京大」とまで言えそうな様相を呈していたのは京大が大好きな私にとって誠に嬉しいことであった。
東大生は本郷キャンパスに憧れる人が多く、統合自然科学科は駒場にあることから敬遠されがちなところがある。実際、本郷で入試を受けた時は、私も「合格したら2年後にはこの赤門をくぐって通うのか」と思いながら赤門を通り抜けたし、本郷に通ってみたい気持ちはあった。
しかしこうなってくると話は別である。駒場キャンパスはもはや東京大学ではない。京都大学の駒場キャンパスなのだ。その証拠を今からご覧にいれよう。
・1号館前に木が植わっている。
→京都大学時計台前のクスノキを表している。
・統合自然科学科はカリキュラムの自由度が高い。
→京大の自由の学風を表している。
・駒場では時錯や左翼団体が盛んに活動している。
→時錯は京大に多いとされる変人を、左翼団体は京大名物の同学会を表している。
・駒場(前期教養)には講義中もうるさい学生がいる(*7)。
→京大総長山極寿一先生の、自分がゴリラであるかのように振る舞う研究手法を表している。
・小島先生という方が教養学部長を務めていたことがある。
→小島先生は京大出身であり、京大のDNAを駒場にも注ぎ込んだにちがいない。
・統合自然科学科は近接する16号館と3号館にまとまっている。
→京大理学部も北部構内にまとまっている。
・私は駒場キャンパスに自転車で通学している。本郷に通うならこうはいかない。
→京大生のほとんどは自転車通学していることから、私が京大生も同然であることがわかる。
京都大学に通えて、1留もしなくてよいとは。まさに一挙両得である。それに、「駒場」も「京都」と同じでローマ字にするとKから始まる(*8)。これは駒場に残り続けるより他にないだろう。かくして私は統合自然科学科への進学を決めた(*9)。進学選択をめぐる私の心の変遷は、これにて終着点を迎えた。(終わり)
(*1)駒場祭でキム卓を特集してもらうため、駒場祭委員会からの取材があった。キム卓は、(少なくとも仮面浪人と天秤にかけるほどには)私にとって重要な意味を持つ活動であった。
(*2)実は、こういった場合証明書が届くのを待たずに入金してしまうのがよい。なぜなら、入金しても出願はしなかった人に対し返金制度があるためである。このことに気づいたのは翌週であった。
(*3) 参照: 渋谷郵便局。ゆうゆう窓口が前者、郵便窓口が後者。
(*4)この後、私はセンター試験のモニターバイトという、大学入試センターが実施するセンター試験の難易度調査のバイトに参加した。この時私は830点を取り、上出来だと考えTwitterで自慢した。するとそれが高校の後輩の目に留まったのだろう、私が京大を受けようとしているとして噂になった。私は高校を首席で卒業し、高校ではそれなりに有名人であったこともあって、その噂は広まっていき、ついには高校の先生までもが与り知るところとなった。私が2016年3月に高校を訪問したところ、多くの先生に東大を辞め京大に行くのかどうか尋ねられた。京大を実際に受けるには高校の先生に頼んで調査書を作成してもらわなければならないため、勝手に京大を受けるなどほぼ考えられない話ではあるのだが、それでも混乱が広がっていたようである。確かに私は京大を受けたい、センター試験を解いた、とは言ったが、実際に京大を受けるとは一言も言っていない。勝手に話に尾ひれをつける後輩たちには困ったものである。
(*5)選択の局面において、上手な選択をするために私はできるかぎりの情報収集に努める。しかしそれでも決められない場合は確実に存在し、その場合での合理的選択というのは人間に可能な範囲を超えていると思うのである。であるならば、なるべく(自分を含む)人間以外のものに頼りたい。それがトランプであったり、証明書であったりしたわけだ。確かに不合理かもしれないが、決められないものを前に迷い続ける方がよほど不合理であろう。
(*6)「私の進学選択(1)」の注2を参照のこと。物理の原理(ミクロ)から物性や生命らしさ(マクロ)を考える上で、境界領域を学ぶことができ、かつそれに関する研究室を擁している学科であることが重要であり、統合自然科学科はその条件と完全に合致していた。特に、私は「マクロ-ミクロ」の関係について最も成功した学問である統計力学を学ぶことが重要だと考えており、生物情報科学科と比べても、その点で統合自然科学科は有利だった。
(*7)イマ東ことHRM君が講義中に音楽をかけていたことは有名である。
(*8)ブログタイトル「無KのK」からも察せられるように、私はアルファベットのKが大好きである。
(*9)数理コースが一番自由度が高いと先輩から聞き、数理コースにした。数理でも物質でもさほど違いはないようである。
リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(2)
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