2016年7月8日金曜日

如才の弁明(2)

前回の記事の続きである。「変人説」の根拠が果たして正当なのかどうか、順に検討していこう。今回は後半1/3ダースを扱う。


5. カラオケに行くとシューベルトの「魔王(Erlkönig)」を歌う(*1)。
私は最新の流行曲を知らないため、どうしても古い曲に偏ってしまいがちである。それにしたって「魔王」は古すぎだと思われるかもしれないが、「魔王」を選ぶのは「中学で学習するため多くの人が知っているだろう」との判断に基づいてのことである。歌詞もドイツ語で書かれているため、日本語(かせいぜい英語)の曲ばかりに偏りがちなカラオケに変化をもたせることもできる。このようにカラオケに好適な要素を備えた「魔王」が、なぜあまり人気でないのか私は不思議でならない。
曲自身の知名度は十分だと思われるが、カラオケに入っていると知られていないのかもしれない。あるいは人が死ぬ曲だからだろうか。もう少し人気が出れば「語り手・魔王・父・子」をそれぞれ別人が演じるという遊びも可能になる。普及に努めたいところだ。
なお、私はイタリア語選択のため、ドイツ語は解さない。先月ドイツ語の参考書を購入し、現在は鋭意背表紙を眺めているところである。ゲーテの詩の和訳は覚えた。

6. 一週間ほど京大生のふりをしてこっそり京大の授業に出席していた。
私は自由人であると思う。少なくともそうありたい(*2)。
さて、ご存知の通り京大は自由の学風で知られている。自由人たる私が、自由に憧れるのはある種の必然であろう。かくして私は京大を好きになった(*3)。
京大が好きなら、そこの授業を受けてみたいと思うのは自然な心理である。好きなアーティストがいれば、そのライブを見たくなるのと同じことだ(多分)。調べてみると、京大には教養教育の段階から「京都大学の歴史」「霊長類学」など独自の講義が開講されているようだ。一度受けてみたいと強く思った。
2015年入学の東大生は、2年前期の後半にかなり受ける授業が少なくなる(四学期制という妙な改革の結果だ)。このことから、京大の授業を受けるのに最適なのはこの2年の6月だと判断した。6月ならば、東大の授業を丸々一週間休んでも影響がかなり小さく抑えられる。2015年度入学者用のシステムは非常に不評だったようですぐに変えられてしまったが、京大の授業を受けたがる私のような学生にとっては非常に好都合だったわけだ。むしろどうして他の東大生が同様のことをして視野を広めないのか分からないくらいだが、あまり公に勧められた行為ではないため徹底した隠密行動をとっているのかもしれない。私だけ無用心にネットの世界に書いてしまって、とんだ間抜けである。自らのネットリテラシー向上に努めたい。
ともかく、私はこの千載一遇のチャンスを活かそうと、つてを頼って京大生に擬態していたわけだ。チャンスがあれば活かすのは人生の基本だろう。6月初頭にテストを終えた私は東京を出発し、一週間ほど滞在して帰った。知るカフェやカラオケの学割などでは学生証を示す必要があり、店員によっては驚きと困惑をもって私を迎えたが、ここに説明したような事情を知ればきっと納得してくれたに違いない。

7. スタバに行くときはビーカーを持ち込み、それにラテなどを入れてもらう。
下宿にビーカーがあるのは容量を量ることが可能な耐熱容器として便利なためである(*4)。スタバでは容器を持っていくと容器代を割り引いてくれる制度がある。下宿にある耐熱容器で最も液体物を入れて飲むのに適したものがビーカーだったため、それを使った。
折角ビーカーを使うのだからと、ラテをかき混ぜるのには薬さじ(*5)を使った。これはビーカーの醸し出す化学的な雰囲気を大切にする姿勢の表れである。
 化学的な雰囲気を大切にするあまり、一度白衣で入店してしまったこともあった。しかしこれは「白衣はスタバに入店する上で不適当」という知識が欠けていたためのこと、すなわち無知ゆえの誤りである。したがって、不適当との指摘を受けてからは実行していない。これも一応述べておくが、「無知ゆえの誤りを犯す」と「変人だ」は異なる概念である(*6)。例えば、日本の習俗を十分に知らなかったがために土足で部屋に上がってしまった外国人がいたとして、「あいつは変人だ。普通の人は土足で部屋に上がらない。」とはならないだろう。これと同じことである。

8. 教室に枕を持ってきて寝ている。寝袋で寝ていた日もあった。 
授業前の睡眠がパフォーマンスを向上するためである。とりわけALESSなどの授業が課す多量の課題は良質な睡眠の妨げとなるため、そのままでは十分な能力を発揮することができない。従って家に加えキャンパスでも眠ることが自然に要請されてくるわけである。独自の調査の結果、枕の使用は睡眠をより快適にし、起床後のすっきり感を増すことが判明している。
寝袋で寝ていたのは、徹夜明けでより熟睡が求められる日のことだった。夜通し課題を行った後に生じる睡眠欲求が、遅刻や欠席の原因となりうることは論を俟たない。それを思えば、欠席予防のため授業が行われる場所で眠ろう、と考えるのは合理的な発想といえる。私が眠っていたのは小さい教室であり、最低でも出席を取るときには教員が気づくはずだからだ。
普段のように机に突っ伏すのではなく、わざわざ寝袋を持参したのは、一日一度は横になって眠らなければパフォーマンスが非常に低下すると推測されたためだ。これは飛行機に乗ったときや寝落ちしてしまったときの経験を類推したものである。よりよい睡眠を確保するため努力を重ねるのは、勉学に努めることと同じ話であり、学生として当然のことである。
この眠りへのたゆまぬ努力の結果、授業中私は非常に集中している。極めて集中しているため授業中にTwitterをしてしまうほどだ。目をつむっていても先生の話が聞こえたことさえある(*7)。

このように、私の一見奇妙な行動は実は全く奇妙なものではなく、簡単な原理に従って行動しているだけのことだと分かって頂けただろう。ここまで読んでくださった方々は、私は生粋の常人であって(*8)決して変人でないと確信されているはずだ。これほど徹底的に論破してもまだ私が常人だと信じないならば、寧ろそれはあなたの方がひねくれた変人だという証拠である(*9)。
 人の行動は断片的にしか見えない以上、全体像は推測するしかない。誤解が生まれる素地というのはそこにある。今回の記事が皆様の誤解を晴らし、私という人間を正しく理解することにつながれば幸いである。


(*1)他によく選ぶ曲に「Dolly Song」「La Bamba」「信濃の国」「ラジオ体操第二」「さなだむし」などがある。曲を知らなくても楽しめる/有名である/変化がつけられる などの基準で、私の知っている数少ない曲の中からカラオケ向きだと判断したものである。機種にもよるが、すべてカラオケに入っている。参考になれば嬉しい。
(*2)無論、「自由人」と「変人」も異なる概念である。自由人であるためには、変なことをする必要はない。要は心の欲する所に従えども平凡の範囲を踰(こ)えない、ということだ。この記事を読めばわかるように、私はこれに当てはまっている。
(*3)京大が好きなのにどうして東大にいるのか、と聞かれたこともある。この辺りの事情は過去の記事(ここここ)に詳しい。
(*4)例えば、ビーカーに出汁入りみそを入れ、それに適量の水や具材を入れそのままレンジでチンすれば簡易の味噌汁ができる。あるいは、ホットココアを作るときも、牛乳の量をビーカーで量り、粉を入れチンしてそのまま飲む。このように、ビーカーの「量れて」「加熱してよい」という特長はなかなか便利である。
(*5)薬さじはNaClやスクロース(私は料理用の塩や砂糖の容器にこう書かれたラベルを貼っている. 薬さじに対応するものだからだ)などをすくい取るのに使っている。
(*6)変人が変人であるためには、常識の枠組みを認識した上でそこからはみださねばならないと考えられる。強調しておくが、これができていない点で私は常人と言わざるを得ない。
(*7)この段階を保ち続けると、いずれ教員の声も聞き取れなくなってしまう。集中の結果「心頭滅却すれば火もまた涼し」とでもいうべき悟りの域に達しているものと推測されるが、この状態に関する記憶はなく証明できない。実に不運なことである。
(*8)自由人として認識してもらっても構わない。
(*9)あなたの主張を仮に受け入れ、私が変人だと仮定してみよう。しかし、私はあなたと異なり、記事中で述べられている説明を虚心坦懐に受け入れている素直な人間である。よって、その分私はあなたより変人さやひねくれ度合いで劣るということになる。

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