花畑に行こうと思った。
Instagramでコスモス畑の写真を見た。コスモスが満開に咲いていた。
単調な毎日に、疲れを感じていたところだった。私は、花畑に行きたいとすぐさま思った。花畑に行けば、「何か」があるような気がしていた。
調べてみると、コスモス畑は存外家の近くにあった。これなら自転車で行けるだろう。今日は心地の良い秋晴れだ。思い立ったが吉日という。歯を磨き、ヘルメットを被って、私は自転車にまたがった。
30分ほど漕いだだろうか。私はコスモス畑に到着した。一面に咲いたコスモスが、私を出迎えてくれていた。
コスモス畑
完璧だった。咲き誇るコスモスの美しいピンクが、遠景の山と空に対比されてよく映えていた。そこらじゅうから良い匂いが漂っていて、子供たちの声の中に、虫の声と小川の水音が聞こえてきた。私はこれを求めていたのだ。
私はゆっくりとコスモス畑を散歩した。よく見ると、端には別の花も咲いていた。足元にはキノコも生えている。これは一体何という名前なのだろうか。
私はそうやって時を過ごしていた。
気が付けば、私はコスモス畑に立ちながら、コスモス畑にいなかった。
私はTwitterのタイムラインにいた。
気が付けば、私はコスモス畑に立ちながら、コスモス畑にいなかった。
私はTwitterのタイムラインにいた。
髪からかなりいい香りがするので「頭がお花畑」と讃えられている人
— K. 如才 (@tactfully28) October 25, 2020
あれ、と私は訝しんだ。そして周りを見渡した。子供たちはコスモスを摘み、親たちはそれを見守って、カップルは写真を撮っていた。柔らかな日差しが、私をコスモスとともに包み込んだ。そんな日曜の午後だった。私はそこで、1人Twitterをしていたのだった。
もうダメだ。
私は思った。どうしてこうなってしまったのか。一体どこで間違えたのか。生まれか。やはり生まれの過ちなのか。助けてくれ。
私は再び自転車にまたがり、家への道を漕ぎ始めた。
そうだ。明日の昼食はラーメンにしよう。私をコスモス畑へ連れてきてくれたこの自転車を漕いで、今度は駅の方に行こう。そして醤油ラーメンを食べて帰ろう。
私が予感していた「何か」とは、この記事のことだったのだろうか。
明日は私の修論中間試問の日である。