1996年の、ある夏の日のことである。その日、私に重大な転機が訪れた。〈この世界〉へと産み落とされてしまったのだ。苦労して産んだ人間が私のような愚者だった両親の心中は察するに余りあるが、話を聞くに嬉しかったというのだから、両親もまた愚かなものである。愚かな両親から産まれた私が愚かなのも必定であろう。
ともかく、私は、0歳の乳児としてこの世に生を受けた。当時、私は青年でも老人でもテトラポッドでもなかった。私は愚かだったため、「天上天下唯我独尊」と言い放つどころか、「私は人間です」と言う能力さえ持ち合わせてはいなかった。この点において、私はテトラポッドや大便と同様だった。私は、その愚かさゆえに、産まれた瞬間からテトラポッドないしは大便と誤解される危険性と隣り合わせで生きてきたのだ。
とはいえ、私が人間である母のお腹から出てきた何らかの塊であることは確かであり、そのことを踏まえると私がテトラポッドでないことはほとんど明らかだった。というのも、テトラポッドは大きすぎて母のお腹には入らないだろうと推測されるためである。残る可能性として考えられるのは人間と大便であるが、おぎゃあおぎゃあと泣いていたり、大便特有の臭気を放っていなかったりするあたり、どちらかというと人間に近い存在だろうと判断された。
幸運なことに、1996年時点において日本国憲法は既に施行されていた。この憲法は、三大理念の一つとして基本的人権の尊重を掲げている。そのおかげで、私は基本的人権を獲得することができた。もし中世に生まれていたら基本的人権など保障されていなかったわけで、このことからも私の乳児期がいかに危険と隣り合わせだったかを理解してもらえることだろう。こうして生存権を認められた私であるが、私の生存においては問題点が一つあった。医者は両親を呼び出し、「大事な話があります」と言った。
私は低出生体重児だった。私はしばらくの間両親から隔離されることとなった。
私は、出生時の艱難辛苦を乗り越え、なんだかんだですくすくと成長した。私が死なずにここまで来ることができたのは、ひとえに両親の愛と両親の努力と人類の叡智と医療制度と時の運と地球環境と物理法則のおかげである。つまり、今の私は両親の愛と両親の努力と人類の叡智と医療制度と時の運と地球環境と物理法則と日本国憲法の結晶だということだ。従って、この記事に関しても、どうか私の両親の愛と私の両親の努力と人類の叡智と医療制度と時の運と地球環境と物理法則と日本国憲法とテトラポッドの賜物(*)だと思って読んでほしい。ついでに、もし気が向いたらキルミーベイベーも読んでほしい。
私は、成長するにつれ、段々人語を解するようになっていった。私が人語を解するようになったとみた母は、折に触れては私が低出生体重児だったという上記のエピソードを話した。このエピソードは、いつも「あなたを産むのは大変だった。とにかく健康には気を付けるように」という形で締めくくられた。健康に気を使うよう何度も繰り返し教えられた私は、健康に気を使う少年となり、そして健康に気を使う青年になった。このまま順調に行けば、やがて健康に気を使う中年になり、健康に気を使う老人を経て、健康に気を使う死体へと変化していくことだろう。
私は、毎日呼吸を行うよう心がけている。また、私は覚醒剤やコカインなど違法薬物の使用に関心を抱いているが、未だ嘗て使用したことは一度もない。その上、毎朝早起きして川沿いをジョギングする習慣がついたらいいなと願っている。
それもこれも、母の教えを忠実に守っているためなのである。
(*)この記事は私の両親の愛と私の両親の努力と人類の叡智と医療制度と時の運と地球環境と物理法則と日本国憲法とテトラポッドと大便の賜物であるが、その一方で、エジプトはナイルの賜物である。
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