2017年3月21日火曜日

奇跡を考える

 先日、次のようなツイートをした。
「あなたと僕が出会えたのは奇跡」とか「お父さんとお母さんが奇跡的確率で出会ったおかげで私がいるんだ」とか言いますけれど、それを奇跡といえるならこの部屋に空気分子たちが今この位置と運動量で存在していることが奇跡ですよ。
この世界には膨大な人がいるわけで、その中で父と母が出会って私が生まれるというのは確かに確率的には低いこと、すごい偶然には違いない。しかし私はそれを奇跡だとは認めない。確率的な低さをいうなら、空気分子たちが今この位置と運動量で存在していることも猛烈に低い確率である。あるいはトランプのカード53枚を適当に並べ替えてみてほしい。その並び方になる確率も1無量大数分の1くらいの確率だ。しかし1無量大数分の1の奇跡とは、普通言わない。
ある事象が珍しいと見なされるためには、実現される状態が確率的に低い状態なだけでは不足で、実現される状態が特別であることが必要である。例えば、部屋にいる空気分子たちが皆部屋の左半分に存在してしまって、右半分にいる人が窒息してしまえばこれは珍しいことだ(*1)。あるいは、トランプのカードを適当に並び替えたのに、マーク別に1~13まで綺麗に並んだとすればこれも珍しいことである。この理論でいけば、自分の存在が奇跡になるのは、自分が世界の歴史に名を残すほどの天才であるときくらいだと言えるだろう。したがって自分の存在を奇跡だと言って憚らないのは大抵の場合不遜である。

それでも「自分の存在が奇跡」だとよく言われるのは、実現される状態がある意味で「特別」であるからに他ならない。「特別」について、私は次のようなツイートをした。
この世界に客観的な価値はなく、主体たる自分が何かを特別視し、それに意味を与えることで価値が生じる。この世界で私は客観的な特別ではないが、私の世界の原点だという点で私は私にとって絶対的だ。この絶対性が全ての特別性の根源であり、私が見る世界の事物に価値を与えられるのは私しかいない。
 前の記事で考察したように、私が唯一信頼できるのは私の存在だけだ。したがって私にとっては私こそが全ての出発点となる。ツイートではこのことを「私は私の世界の原点だ」と表現した。客観的かつ物理的な存在としてのこの世界は、その中に価値を持たない。価値や意味が存在するのは、私を通してみた世界の中、私の主観世界の中だけである。
「私の存在が奇跡だ」と言うのは、その実「私にとってはこの私の存在が特別である」と表明することに他ならない(*2)。確率の高低、珍しいかありふれているか、は本質的でない。私の特別性こそが最も重要である。特別視ならどんなにありふれたものに対してもできる。私がどんなに凡庸な人間であろうとも、私が平凡以下の人間であろうとも、私にとっては私こそが特別だ。
「あなたと僕が出会えたのは奇跡」にしてもそうだ。確率が低いという余計な情報を付け足すと本当に重要なことがぼやけてしまう。ただ「あなたが僕の特別です、あなたのおかげで幸せです」といえばよいのだ。
ただ、問題は私に「あなた」がいないことである。

(*1)ただし、実現される状態が望ましくなければ、普通奇跡とは呼ばれない。
(*2)従って、ただトランプのカードが適当に並んだだけの人間に「僕の存在は奇跡なんだ」と言われたとしても、「そうですか」としか言いようがない。

2017年3月18日土曜日

砂漠で砂を売る23の方法

3月になり、「就活」という単語を目にする機会が増えた。説明会が解禁されたのだ。ここまで就活就活と言われると、どこにも就職せず高等遊民として暮らしていくことを第一希望としている私としても、どうしても就活のことを考えてしまう。
聞くところによると、面接では敢えて突飛なことを聞いて受験者の対応を見る、ということもあるそうだ。突飛なことというのは、例えば「砂漠(*1)で砂を売る方法を考えて下さい」といった問題である(*2)。
以下、この問題を(A)とおこう。本稿では、面接でいかに突飛なことを聞かれても動じないよう、採用試験の面接で(A)と言われた状況を想定して、多角的な視点から25通りの解答を提案してみたい(*3)。

さて、よく模範解答として挙げられるのは、1.砂時計にする ことである。砂漠の砂を砂時計として詰めればお土産として喜ばれるだろう、ということだ。なるほど面白い発想である。まずはこの方向で考えてみることにしよう。
身の回りで何か砂が役に立っているものはないかと考えて思いついたのが、2.土嚢 だった。砂漠といえども川はあるし、雨季になれば増水もする。ナイル川には洪水が多かった(*4)という話をさりげなく混ぜ込めば、面接官も教養の深さに感心してくれるはずだ。Wikipediaによると、土嚢は防弾にも使われているとのことだ(*5)。防弾用途まで思いついたなら、昨今の中東情勢と絡めて土嚢の有用性を主張することで、グローバルな視点を持っていることもアピールできそうだ。
砂の用途として、他に 3.公園の砂場、4.コンクリートの材料、5.埋め立て地、6.砂風呂 7.浄水場のろ過装置 を思いつくことができた。どれもB to Bを想定している。砂漠にある都市が発展する際には、きっと需要が見込めるだろう。ただし、砂漠にある浄水場がどういう仕組みなのか、私は知らない。

考えてみれば、何も砂漠で広がっているようなありふれた砂を売れとは言われていない。砂の種類を変えて売ることも検討してみよう。まず珍しくて売れそうな砂といえば、8.星の砂 である。しかし砂漠にいる人が他の土地のお土産物(*6)を欲しがるかと言われればイマイチかもしれない。
そこで提案したいのが  9.ペットのトイレ用の砂、 10.砂鉄実験キット、及び 11.砂金 を売ることだ。小学生の頃、砂鉄をスライムに混ぜて、磁石でスライムを遠隔操作する遊び(*7)をやったものだ。これは全世界の子供の心に訴求すると思う。
美しい砂があれば 12.枯山水 を作ることができる。砂漠ではきっと物珍らしがられるだろう。まずは石油王を龍安寺などに連れて行く。そこで駄々をこねて自宅にも欲しいと言い出せばしめたものだ。砂漠に戻って枯山水用の砂を売りつければ任務完了である。
珍しい砂で言えば、もっと珍しい砂を持ってきて 13.月の砂 を手に入れることができれば、コレクターが高値で買ってくれそうだ。いや、どうせならもっと大規模にいこう。探査機を飛ばし、採取した 14.小惑星の砂のサンプルを研究所に売る、というのはどうだろう。砂を売ると同時に、科学も発展させることができて一石二鳥だ。赤字になるだろうが、これは商売というよりフィランソロピーなので仕方がない。
ここまでで様々な砂を挙げてきたが、少し毛色の違う砂として 15.「一握の砂」 というものも考えられる。短歌の翻訳は難しいだろうから、砂漠に住んでいて日本語が恋しくなった日本人に売ってあげよう。それか、鳥取砂丘で売ってもよい(*8)。そういえば、東大法学部も砂漠の一種だと聞いたことがある。もし「一握の砂」が認められれば、16.セスナ でもいけるかもしれない。

ところで、(A)が問うているのは、砂を売る「方法」である。もっと(A)に忠実になって考えてみよう。砂を加工するのでもなく、特殊な砂を用意するのでもない。砂の「売り方」を変えて買わせるのだ。
最も単純かつ効果的なのは 17.脅迫 だろう。脅迫はモロに犯罪だが、犯罪スレスレでよければ 18.催眠商法 がある。悪徳商法にも色々あるが、砂を水とセットにして売るのは 19.抱き合わせ商法 と呼ばれる。あるいは、20.認知症の人に売る という手もある。これらは、意図的にやっているという証拠を掴みにくく立件が難しいと思われる。行政指導を受けるだけで済みそうな印象だ。
犯罪スレスレの手段の中では、21.健康効果を期待させる のが最近の流行りである。健康効果を標榜すれば薬事法違反(*9)であるが、消費者が勝手に健康効果を期待してしまっただけなら摘発されようがない。まずは、砂と触れ合うことによるリラックス効果を謳い、インテリアという名目で砂を売る。この際、パッケージを一目見て「この商品は健康に良さそうだ」と感じさせるようデザインすることが重要である。この商品名を、仮に「硅素砂」としよう。次に適当な第三者(*10)が噂を流すのを待つ。噂は「部屋に硅素砂を置く硅素健康法が流行中!天然ミネラルの力で波動が充満!」といったものがよい。噂が科学的事実に基づいている必要はない。噂が十分広まれば、信じ込みやすい人たちが硅素砂を購入してくれるだろう。
犯罪スレスレがNGになっても、22.同情を誘う という方法なら問題ない。ただ、商品がただの砂ではいくら可哀想でも家族くらいしか買わないだろうから、家族も砂漠に呼びつける必要がある。「砂漠で拘束されている。誰かが砂を買ってくれるまで砂漠から出ることができないのだ」と家族に伝えれば買いに来てくれるだろう。それは嘘かもしれないが、合法なのは確かである。

それにしても、砂を売るためには本当に砂を買ってもらう必要があるのだろうか?日本語の「売る」という言葉の用法を考えてみてほしい。あなたが、「あの店では野菜を売っている」と言うとき、何もあなたはその店で野菜を買う必要はない。その店が、商品として野菜を扱っていさえすればよいのだ。そう、砂を売るには、23.商品として店に砂を陳列する だけでよい。
もっと固定観念を疑ってみよう。そもそも、我々はどういう状況で(A)と言われたのだったのか。面接である。我々は、「サバクデスナヲウルホウホウヲカンガエテクダサイ」(これを(A')とおこう)という面接官の発音を聞いて、「砂漠で砂を売る方法を考えてください」のことだと解釈した。実は(A)は我々が作り上げた幻にすぎないのかもしれないのだ。こう考えれば、信頼に足るのは(A)よりむしろ(A')であると言える。そこで虚心に(A')を眺めていると、(A')は「砂漠で砂を得る方法を考えて下さい。」とも解釈できる(*11)ことがわかるだろう。かくして、24.砂を拾う という解答が出てくる。
我々が揺るぎないと信じ、議論の出発点としてきた(A)さえ信じられないとなると、もう何も信用できない気がしてくる。答えるべきは、砂を売る方法だったのか、得る方法だったのか?いや、どちらでもよい。面接官が我々に求めているのは、ただ 25.考える ことだけだったのだ。面接官は砂漠で砂を売る方法を挙げよとは言っていない(*12)。考えさえすればよかったのだ。
そもそも、本当に(A')に答えはあるのだろうか? 問題に必ず答えがあるという保証はどこにもないのだ。では、本当に問題は存在していたのだろうか? 考えるだけでよいということは、実は(A')は問題ではなかったのでは?もしかして、すべては幻だったのか?
私は考える。面接官に「考えて下さい」と言われたから。考えれば考えるほど、確かなことなど何もないと思えてくる。答えの存在も、問題の存在も、試験を受けている自分の存在すら疑わしい......ここまで考えて、私は気付く。それでも確かに言えることは、「自分の存在すら疑わしい」と自分は考えているということ。つまり、そう考えている自分が存在しているということ。
これは、(A')に代わる第一原理。人から与えられたのではない、自分で確かめた出発点。今となっては存在するかもわからない面接官に向かって、私は叫んだ。

0.「我思う、ゆえに我あり。」
一見突飛な問題を通して、面接官はこんなメッセージを伝えたかったのかもしれない。


(*1) 本稿では、ケッペンの気候区分で砂漠気候に分類される地域なら、全て砂漠とみなしている(逆は必ずしも真ならず)。例えば、ラスベガスの中心部も砂漠とする。
(*2)「砂漠で砂を売る方法を考えて下さい」で検索するとD通社に関連するWebページが出てくる。
(*3)何か別解が思いついたなら、是非コメント等で教えて欲しい。
(*4)アスワンハイダムの建設により、現在は洪水が減少しているそうだ。
(*5)https://ja.wikipedia.org/wiki/土嚢
(*6)海岸砂漠なら星の砂がある......のか?
(*7)何かを遠隔操作する遊びは幅広い世代に人気があり、模型自動車、ドローン、他人のコンピューターなど様々なものが遠隔操作されている。
(*8)鳥取砂丘は砂漠ではないため、よくない。
(*9)薬事法が砂漠の国にもあるのかはよく知らない。
(*10)ライターを大量に雇い低品質な記事を量産しているサイトが有力候補だ。
(*11)(文脈上明らかだとは思うが)この「得る」は「うる」と読んでほしい。
(*12)にもかかわらず「砂漠で砂を売る方法」を23通りも挙げるような人間には、決してなってはならない。

2017年1月20日金曜日

本日の日記

本日2017年1月20日の午後7時過ぎ、買い物を終え帰宅した私の胸に突然激痛が走った。
私はそのとき呼吸もうまくできず、また動悸もするようになり、とっさに「永眠するかもしれない(*1)」と考えた。
なんとか激痛のパルスは過ぎ去ったが、息を吸うと胸が痛むようになった。その場で永眠することはなかったものの、これを放置すると苦痛とともに永眠してしまう可能性もあると思った。私はまだ空いている循環器内科の病院を探し、タクシーを呼んで連れて行ってもらうことにした。
「入院するかもしれない」と思ったため、息が絶え絶えになりながらも、カバンに量子力学の教科書と常微分方程式の教科書とルーズリーフと筆箱を詰め込み、病院で勉強ができるようにした。暇になることがないように、ノートパソコンも荷物に足した。万全を期すため、用も足しておいた(*2)。

そうこうしているうちにタクシーが来て、病院まで着いた。
息を吸うと胸が痛いので、声はできるだけ出さず、持ってきたルーズリーフを使って筆談で問診してもらった。私は肺と心臓を検査されることになった。
まずは胸部レントゲンを撮った。息を大きく吸うように求められたので指示通り息を吸ったのだが、案の定胸が痛くなった。まさに胸が痛くなっている瞬間を撮られたというわけで、これはバッチリ異状が写っているに違いない。そう考えながらレントゲン室を後にした。
診察室に戻ると、すでにパソコンの画面に私のレントゲン写真が映っていた。見ると、白く映る心臓の影の中に何か黒い点があるではないか。私は、これは異状に違いないと確信し、先生の話を聞くため覚悟とともに着席した。すると、先生はその点を動かしながら説明を始めた。どうやら、ここではカーソルは黒い点として表示されているらしい。結局、レントゲンでは異状は見つからなかった(*3)。
しかし現に異常なのであるから、必ずやどこか異状が見つかるに違いないと思った。次は心電図検査である。私は横になり、胸に吸盤を貼ってもらって測定が終わるのを待った。ところが、寝そべっているうちに呼吸は少し楽になってしまい、痛みもほとんど感じられなくなっているのに気づいた。検査が始まるまでの強気な考えとは打って変わって、これでは異状が出なかったかもしれないな、と思いつつ診察室へ戻った。
先生によると、どうも電位が高く出ているらしい。これは異状かもしれないが、痩せ型の体型が原因かもしれないという。そこで、エコーで異状かどうか調べることになった。
私は、「もう痛みも治まってしまって、異常値を出せるかどうか自信がないなあ」と弱気になりながら再び横になった。先生はしばらく私の心臓を調べていたが、予感した通り異常値は出なかったとのことだった。心電図の異常値は、私の体型が原因(*4)ということで落ち着いた。
こうしていろいろ調べたものの、特に異常なところは見当たらず、その上痛みも治まってしまったため、消去法的に「肋間神経痛(*5)」とされた。一応薬も出たが、処方されたのは漢方薬であった。タクシー、検査、処方で合計6500円ほどかかってしまったが、私が入院まで覚悟したこととは裏腹に特に何もせず治ってしまったため、何となく損をしたような気持ちになった。

私は、「我が肉体よ、不要なシグナルはできるだけ出さないようにして、主であるこの私をむやみに驚かさないでくれたまえ」と思いながら、己の不運なのか幸運なのかよく分からない運を呪って帰途に就いた。病院から家までは結構近かったので、歩きで十分間に合った。まったく、検査することなく異状の有無を検査できる時代が早く来てほしいものである。

(*1) 例えば、死のノートに名前を書かれたなどの原因が考えられる。
(*2) 一見落ち着いているように見えるが、内心極めて動揺していた。その証拠に、私は充電器を忘れてしまったのである。タクシーに乗った後でそのことに気づいた私は、病院で充電が切れて外界と連絡が取れなくなることを憂慮し、深い後悔の念とともにタクシーを降りることとなった。
(*3) 突然の胸の痛みということで、私は気胸を疑っていたが、この検査によりその可能性は低いことが判明した。
(*4) 循環器科に来て体型が異常だと言われる身にもなってほしい。
(*5) Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/肋間神経痛

2017年1月7日土曜日

私の進学選択(3)

ついに問題の金曜日になった。金曜日の朝までに、卒業証明書は届いていなかった。
夕刻16時ごろに空きコマで一度自宅に帰ってみたが、まだ届いていなかった。やはり卒業証明書は間に合わないのか。この日の授業後、私はキムワイプ卓球会の仕事を抱えていた(*1)。それが終わって帰宅したのが20時半頃である。ポストを開けると、そこには証明書があった。
私は卒業証明書が届けばセンターに入金し出願を完了する算段(*2)であり、それには入金完了の証として郵便局のハンコが必要であった。20時台において、最寄りの郵便局は閉まっているものの渋谷の郵便局は開いている。私は楽観視していたが、このときあることが判明した。確かに、金曜日の消印をつけて出願書類を出すのは金曜日の夜24時までに行えばよい。しかし入金するための窓口は21時で閉まるのだった(*3)。そして私はこれに微妙に間に合わなかった。誠に、何事もギリギリに済ませようとするのは良くない癖である。
こういった事情で、仮面浪人もやめることとなった(*4)。受験校選択のときもそうであったように、私は自力では自分の進路を決めることができない優柔不断な人間である(*5)。なるほど、これは仮面浪人をやめておくべきだということか、と素直に受け取った。

そして冬になった。
12月、キムワイプ卓球会の駒場祭企画の打ち上げがあった。そこで、サークルの先輩と進路について少し話すことができた。私が興味を持っていること(*6)について話すと、その先輩は自身の所属していた統合自然科学科を私に勧めた。
私がこれまで検討してきた選択肢は、もっぱら理学部の方を向いていて、教養学部の統合自然科学科はあまり真剣に考えていなかった。教養学部前期課程に対する悪印象から、教養のお題目の下に広く浅く様々な分野を学ぶよう強いられ、自分の興味のあることも興味のないこともやらされるような、そんなイメージがあったためである。
しかし実際の統合自然科学科はイメージと大きく異なっており、履修の自由度も高く、私のように境界領域に興味のある者にとって非常に適した学科となっていた。特に、必修が少なく、もはや「東大の中の京大」とまで言えそうな様相を呈していたのは京大が大好きな私にとって誠に嬉しいことであった。
東大生は本郷キャンパスに憧れる人が多く、統合自然科学科は駒場にあることから敬遠されがちなところがある。実際、本郷で入試を受けた時は、私も「合格したら2年後にはこの赤門をくぐって通うのか」と思いながら赤門を通り抜けたし、本郷に通ってみたい気持ちはあった。
しかしこうなってくると話は別である。駒場キャンパスはもはや東京大学ではない。京都大学の駒場キャンパスなのだ。その証拠を今からご覧にいれよう。

・1号館前に木が植わっている。
    →京都大学時計台前のクスノキを表している。
・統合自然科学科はカリキュラムの自由度が高い。
 →京大の自由の学風を表している。
・駒場では時錯や左翼団体が盛んに活動している。
 →時錯は京大に多いとされる変人を、左翼団体は京大名物の同学会を表している。
・駒場(前期教養)には講義中もうるさい学生がいる(*7)。
 →京大総長山極寿一先生の、自分がゴリラであるかのように振る舞う研究手法を表している。
・小島先生という方が教養学部長を務めていたことがある。
 →小島先生は京大出身であり、京大のDNAを駒場にも注ぎ込んだにちがいない。
・統合自然科学科は近接する16号館と3号館にまとまっている。
 →京大理学部も北部構内にまとまっている。
・私は駒場キャンパスに自転車で通学している。本郷に通うならこうはいかない。
 →京大生のほとんどは自転車通学していることから、私が京大生も同然であることがわかる。

京都大学に通えて、1留もしなくてよいとは。まさに一挙両得である。それに、「駒場」も「京都」と同じでローマ字にするとKから始まる(*8)。これは駒場に残り続けるより他にないだろう。かくして私は統合自然科学科への進学を決めた(*9)。進学選択をめぐる私の心の変遷は、これにて終着点を迎えた。(終わり)

(*1)駒場祭でキム卓を特集してもらうため、駒場祭委員会からの取材があった。キム卓は、(少なくとも仮面浪人と天秤にかけるほどには)私にとって重要な意味を持つ活動であった。
(*2)実は、こういった場合証明書が届くのを待たずに入金してしまうのがよい。なぜなら、入金しても出願はしなかった人に対し返金制度があるためである。このことに気づいたのは翌週であった。
(*3) 参照: 渋谷郵便局。ゆうゆう窓口が前者、郵便窓口が後者。
(*4)この後、私はセンター試験のモニターバイトという、大学入試センターが実施するセンター試験の難易度調査のバイトに参加した。この時私は830点を取り、上出来だと考えTwitterで自慢した。するとそれが高校の後輩の目に留まったのだろう、私が京大を受けようとしているとして噂になった。私は高校を首席で卒業し、高校ではそれなりに有名人であったこともあって、その噂は広まっていき、ついには高校の先生までもが与り知るところとなった。私が2016年3月に高校を訪問したところ、多くの先生に東大を辞め京大に行くのかどうか尋ねられた。京大を実際に受けるには高校の先生に頼んで調査書を作成してもらわなければならないため、勝手に京大を受けるなどほぼ考えられない話ではあるのだが、それでも混乱が広がっていたようである。確かに私は京大を受けたい、センター試験を解いた、とは言ったが、実際に京大を受けるとは一言も言っていない。勝手に話に尾ひれをつける後輩たちには困ったものである。
(*5)選択の局面において、上手な選択をするために私はできるかぎりの情報収集に努める。しかしそれでも決められない場合は確実に存在し、その場合での合理的選択というのは人間に可能な範囲を超えていると思うのである。であるならば、なるべく(自分を含む)人間以外のものに頼りたい。それがトランプであったり、証明書であったりしたわけだ。確かに不合理かもしれないが、決められないものを前に迷い続ける方がよほど不合理であろう。
(*6)「私の進学選択(1)」の注2を参照のこと。物理の原理(ミクロ)から物性や生命らしさ(マクロ)を考える上で、境界領域を学ぶことができ、かつそれに関する研究室を擁している学科であることが重要であり、統合自然科学科はその条件と完全に合致していた。特に、私は「マクロ-ミクロ」の関係について最も成功した学問である統計力学を学ぶことが重要だと考えており、生物情報科学科と比べても、その点で統合自然科学科は有利だった。
(*7)イマ東ことHRM君が講義中に音楽をかけていたことは有名である。
(*8)ブログタイトル「無KのK」からも察せられるように、私はアルファベットのKが大好きである。
(*9)数理コースが一番自由度が高いと先輩から聞き、数理コースにした。数理でも物質でもさほど違いはないようである。

リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(2)

私の進学選択(2)

私は京大と東大で受験先を迷って東大に来た人である(*1)ため、もともと「東大に来るという選択で本当に正しかったのだろうか」という迷いを持っていた。更に、1年の前期では東大が嫌になるような出来事が起こった。さらに、7月末には前期試験を受けたが、自分の答案は散々な出来であり、何個か必修で不可を取ってしまった、留年に片足を突っ込んでいるかもしれないとも感じていた。
そこに来て進路の問題が重なり、心は次第に仮面浪人へと傾いていった。京都大学理学部も、専門を決めるのは2回生から3回生になる時であるため、進路選択の先送りという意味では東大とほぼ同等であった。
私は8月に京都大学理学部のオープンキャンパスへと赴き、情報を収集した。そこでの情報と合わせて、いくつかの理由で京大に行った方がよいと判断した。

1.必修が少ない。
京大理学部は自由を特に重んじ、縛りが非常に少ない。私は物理-化学-生物の境界領域に強く興味を覚えていたので、この点は魅力的であった。

2.私でも物理系・化学系に進学できそうである。
東京大学の化学科の必修の多いキツキツのカリキュラムは合わないと思っていたが、京大理学部の化学系は実験も週3、かつ英語授業ということもなく、自分にもやっていけそうだと感じた。物理系においても、東大のように高い成績が要求されるわけではなく、ほどほどの成績を取っていれば良いと聞いた。したがって、京大に行けば東大理学部に行くのと違って物理・化学の世界を捨てなくて済むことになる。

3.理学部の建物が密集している。
理学部の建物は全て北部構内にあり、建物同士の距離が近い。このため他の分野の講義も聴きに行きやすそうだと感じた。東大の本郷・浅野キャンパスでは生物学科、物理学科や化学科、生物化学科や生物情報科学科の建物はそれぞれ離れている。これは分野の境界に関心を寄せる私にとって不都合なことであった。

4.一年生でも二年生の講義を履修してよい。
京大理学部では、2回生以降向けの講義を1回生が履修しても単位が認められる。まさに仮面浪人にはうってつけではないか。この1年で分かったところは先へ進み、わからなかったところはやり直すことができる。

5.父も応援してくれそうである。
京都大学出身で京都大学が大好きな父なら、東大を退学して京大に行くと言っても反対しないだろうと思われた。

と、こういう次第で、京都大学への進学を志すこととなった。

夏が過ぎ、季節は秋になった。再び東大へ通う日々が始まった。ある日、私は東大の受付に行き、センター試験の願書を入手した。
問題は、いざ出願しようとすると踏ん切りがつかないことだった。大学に落ちて不本意ながら一年浪人する、というのは自分にも可能な選択だった。しかし私はこれでも第一志望に受かった身であった。不可抗力ならまだしも、自分から1年 "留年" をするという選択をすることに対し、急に不安がよぎってきた。
私は現役生であるから、1年 "留年" しても社会的に許容されそうだとは考えた。しかし "1留" のカードを今ここで切ってしまってよいものなのだろうか? 院試浪人、就職浪人を余儀なくされたら?ここで1留した上で、博士号を取るために博士課程を延長したら30歳手前...?退学するのは、今までストレートでやって来た道をわざわざ踏み外すようなものに思えて、私は怖気付いた(*2)。
その上、私はキムワイプ卓球会のノウハウを最も継承していた一年生だった。私がいなくなれば、この会も、先輩がこの会を立ち上げ発展させていく上で込めた思いも、来年以降に伝わることなく消えてしまいそうだと感じた。
私はどうすればよいのかわからなくなり、センター試験の願書はしばらく放置された。
そうこうしているうちに、センターの出願の締め切りが近づいてきた。京都大学を目指し浪人していた友人に相談したところ、「とりあえず出願するべき」と助言を受けた。私は出願することにした。
出願には卒業証明書が必要だった。これを手に入れるためには高校に申請書類を郵送し、証明書を返送してもらわなければならない。私が書類を郵送したのが月曜日の朝で、締め切りが金曜日だった。かくして、私がセンター試験を受けることができるか否かは、この一枚の卒業証明書に委ねられることとなった。(続く)


(*1)参照: 「志望理由 (1)」 「(2)」
(*2)私は悪いだろうと予測していたが、前期の成績は実はそれほど悪くなかった。不可は一つもなく、平均的な東大生といった点数を取っていた。このことを根拠に、私は「案外、東大をやめなくてもなんとかなるかもしれない」とも思った。この、自己評価と実際の成績の乖離は私にとって迷いとなった。

リンク:
私の進学選択(1)
私の進学選択(3)

私の進学選択(1)

昨年(2016年)夏、私は進学選択で教養学部統合自然科学科数理自然科学コースに内定した。しかし、この決断に至るまでには様々な変遷を経なければならなかった。ここでは、私の進学選択について振り返ってみることとする。


私が東京大学理科I類へ入学したのは2015年の春である。当時は志望先のことはほとんど考えていなかったが、多くの理一生が入学当初においてそうであるように、漠然と理学部物理学科(理物)への進学を考えていた。
ところがこの志望は入学後三週間もすると捨てることとなった。大学の授業がわからなくなっていったためである。まず真っ先にわからなくなったのが熱力学で、その後線形代数、力学と続いていった。試験で高得点を取ることは素早く諦め、単位を取ることを目標に設定し、それと同時に理物もやめることにした。多くの理一生の憧れの的である理物に入るには、たいていの年で高い点数が要求される(*1)ためである。

それと同時に私が進学先へと設定したのが理学部化学科である。化学科はかつての人気学部であったが、ブラック学部との評判が立ち人気が下落していた。私は「マクロはミクロからどのように構成されているか」(*2)という問題に興味があり、理論化学からのアプローチで物性を考えることができそうな化学科はお買い得だろうと考えたのだった。
ところが、化学科への進学も最初の期末試験の頃にはやめておこうという気になってきた。化学科がブラック呼ばわりされている (*3)所以は、英語授業と週5で実験があることによる過密なカリキュラムである。1年前期(Sセメ)では一度英語授業を受けたが、これがさっぱり理解できない。その上、1年次には週15コマを履修していたが、私は授業のペースについていくことができず、これでもなかなか大変だと感じてしまった。私の持ち前の怠惰さでは過密なカリキュラムの中でやっていくことができないだろう。そう考えたことが決定的となって、私は化学科への進学をやめた。

こうなってくると問題となるのは代替となる進学先である。私は応用にはあまり興味がなかったため、工学部よりも(*4)理学部を中心に進学先を考えていくことにした。物理・化学・生物系で(*5)、どこか他に理学部の学科はないだろうか。生物学科はマクロな生物を対象としているところがどうにも違う感じだった。分子生物学や生化学はあまり好きではなかったため生物化学科も除外した。工学部の中でも基礎研究を重視している物理工学科というところは検討したが、点数が足りなさそうだと考えた。
生物情報科学科というところが残った。ある生命現象全体を情報科学の知識で包括的に扱う手法を研究する、という生物情報科学のアプローチには惹かれるところがあった。しかし物理をあまり学べなさそうである点がひっかかった。実は、このときの私の脳裏にはもう一つ別の選択肢が浮かんでいた。生物情報科学科は確かに魅力的ではあったが、その「別の選択肢」と比べたとき、私の目には「別の選択肢」の方がより魅力的に見えた。

その別の選択肢とは、京都大学理学部理学科だった。1年のSセメスター終了時、私は京都大学への仮面浪人を考えていたのであった。(続く)


(*1)しかし、結果的に言えば私が進学選択する年は例外であった。理物では志望者数が定員を下回り、事実上点数にかかわらず進学できるという事態が発生した。とはいえ、統合自然科学科は私に非常に適した学科であると考えられるため、この結果を知っていたとしても理物に進学しなかったであろう。
(*2)分子をたくさん集めると我々の目に見える物質となるが、その物性はどこから立ち現れてくるのだろうか?また、生物を分解すると様々な構成要素が出てくるが、それらの集合体から「生命らしさ」はどのようにして立ち現れてくるのだろうか? 私はこうした問題に興味がある。
(*3)理学部ガイダンスに出席した時は、化学科の人は「実際にはブラックではない」と主張していた。公平のためここに両論を併記しておく。
(*4)私の興味の対象である(*2)のような問題は、あまり工学部で扱われていないらしい。
(*5)「地球全体というシステムの行く末は、個々のミクロな要因から予言できるのだろうか?」という地球科学的な「マクロ-ミクロ」の問題にも興味があるため、その意味では地球惑星物理学科も選択肢の一つになるはずである。しかし、地球というシステムは私の肉体と比べあまりにも巨大にして複雑であり、「マクロ-ミクロ」の問題を考える第一歩としては不適当だろうということで、この人生では地球科学的問題には目をつむって生きていくことにした。