私はなぜ東大生なのであろうか。何を考えてこの大学に入学したのだろうか。
これは脳裏に京都大学の存在がちらつくと決まって浮かぶ問いだ。出願した当時に自分が何を考えていたのかは時々忘れてしまうし、今でもはっきりしない部分がある。どのような経緯で私が東大に出願するに至ったか、覚えているうちに覚えていることを書き残しておこう。
私は大学選びに関して非常に優柔不断であった。京大理学部と東大理I。その二択に絞るのは迷いようがなかったのだが、この二者択一は私にとって最も難しい問題であり続けた。私は常に決断を先送りにしていた。
夏と秋には冠模試があったので、京都大学と東京大学の両方の大学について2回、計4つの模試を受けた。どれかでB判定でも出れば、それを口実に志望校を決めてしまおうと思っていたのだ。しかし全てA判定であった。模試は大学選びの参考にならなかった。
両大学のパンフレットは読み込んでいたが、載っていた情報は抽象的であるように思われた。僕が欲した情報は大学・各学部の理念などではなく、その大学での学生生活が実際どのようなものになるのだろうか、といったことだった。大学生活への具体的イメージが湧かぬまま時は経ち、結局センター試験が終わっても第一志望校は決まっていなかった。こんな調子だったから過去問もロクに解いていなかった。
出願受付が開始され、先送りも限界となってきた。後期東大は確定していたが、前期をどうするかが問題だった。早く志望校を決めて過去問演習に入らなければならない。私は焦りを覚えた。しかし、焦るときこそ冷静に。私はネット等を使って京大理学部と東大理Iについて調べ比較検討することにした。
(1)立地について
京都という立地は極めて魅力的に思われた。京都には気候の年較差が大きいという問題点があったが、東京にも地震が多いという問題点があった。
京都は実家から十分に近く、母が頻繁に訪れることもあり得るな、対応するのは面倒だろう、との懼れはあった。それでも京都に住みたいとの思いは強かった。
(2)金銭について
京都に比べ東京は物価が高いというのは容易に推測できた。しかしこの点について定量的理解はなかった。東京はバイトの時給も高そうなので差し引きすると問題ないだろう、漠然とそう考えた。
(3)制度について
東大理Iも京大理学部も入学後に専門分野を選べるシステムを備えていた。東大の進振りは成績競争であるが、京大理学部の決め方は不明瞭であった。東大の理物に行きたくても行けなかったという話はあったが、京大理学部で希望の専門分野を選べなかったという話は聞かなかった。このことから、京大の定員などはアバウトで、制度としては京大に分があるのだろうと推測した。
(4)サークルについて
京大にはクジャク同好会があった。東大のサークルは知らなかった。適当に調べていたらキムワイプ卓球会という奇妙な団体を発見した。感じた魅力は互角といったところだった。
(5)偏差値について
東京大学の方が偏差値が高い。センターを終えたこの時期の私は、京都大学は(ある意味)簡単すぎるのかもしれない、とまで考えていた。優秀な人々は東大に集まる傾向があり、優秀な人のより多い環境はより魅力的であった。自分は東京大学の中でも普通以上の存在として活躍できるはずだと考えていた。
(※それは根拠のない自信ではなかった。模試を受ければA判定。東大模試で氏名掲載こそされなかったが、十分満足出来る成績だった。実際、のちに私は入試で合格者平均を15点ほど上回る点数を取ることになる。)
(6)予算について
東京大学は科研費が多い。私は学部は理学部に決めていたが、分野はほぼ全くの未定だった。科学が巨大化していく中、カネの重要性は否応なく高まっていくはずだ。特に物理学の分野では、スーパーカミオカンデなど先端的観測装置を多く有する東大に強みがあるのだろうと推測していた。
ここまで整理した上で、私は2対2で引き分けであることに気がついた。このままでは埒があかない。ここまで考えて結論がでないのだ。もう手は尽くした。これ以上調べて悩んでも時間の無駄であり、過去問演習の時間が確保できず落ちては元も子もない。そう思った私は、「出願する大学はサイコロで決める」と言い出した(*)。問題は信頼できるサイコロが家になかったことだった。(続く)
(*)この発想はもともと担任の先生のものである。2014年末の三者面談で、進路を決められない旨を話したところ、サイコロで決めれば良いと言われて、私はなるほどそうかと納得したのであった。
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