それは第2回定期考査が終わったころだろうか、あるいはテスト勉強の最中だったろうか。高1の夏。私は1人の友人と学校の図書室の前にいた。我々は我々なりの「遊び」をして時間を過ごしていた。
手に持っていたのは「英検pass単熟語 準1級」。英単語を言って、日本語の意味を答えさせる。出題側と解答側を交代で繰り返し、英単語を学ぶ。そんな単純なゲームだった。
その遊びの中で、1つの単語が私に向けて出題された。
- tactfully -
日本語の意味は「如才なく」。
記憶が曖昧なのだが、確か私はこの出題に正解でき、友人を驚かせた気がする。おそらくこの単語が記憶の片隅にあったのだろう。なにせ日本語の意味が「如才なく」なのだ。「如才なく」と言われても多くの高校生にはよくわからないだろうし、こんな単語を英単語帳で見たことがあれば印象に残っていてもおかしくない。
しかしいずれにせよ、当時我々は「如才ない」というこの日本語の意味をよく知らなかった。これが「いい加減でなく、気が利いている」「抜け目がない」といった意味だと判明したのは、この出題をきっかけに調べてみたときのことだ。それ以来、'tactful'や「如才ない」といった言葉を用いて人物を形容するのが、我々のコミュニティーの中で一種の流行となった。我々は「如才ない」という言葉が使われた文章を発見しては喜んだ。(※)
私はtactfullyという英単語が好きだ。英単語の中で最も好きだ。この英単語の意味であるところの日本語「如才なく」を、私は英単語帳の中で初めてみたのだ。これは本当に素敵な体験だと思わないだろうか。
私は英語を勉強していたはずが、日本語を学んだのである。英語の勉強が、日本語の知識を与える。まるで勉学に境界などないという本質を示唆するかのようだ。英語を勉強しなければ、私はこの日本語を今日に至るまで知らなかったかもしれない。なんと奇妙で、味わい深いことか。そんな体験を与えてくれた英単語はtactfully以外にない。
tactfully, それは青春の1ページ。それは私の逆説コレクション。私にとってtactfullyは特別な単語なのである。
※)「発見しては」という表現をしたが、これには語弊がある。なぜならそんなことは一回しかなかったからだ。
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