一般に、我々は性的な何かを見ると性的興奮とともに羞恥を覚える。ここでは、人の欲求と直結した羞恥を与える性質のことを猥褻性として定義する。
さて、我々は衣服によって性器を隠しているため、通常の社会生活は性と隔離されている。この非性的なものを基調とする社会の中で突如性的な何かが現れた場合、人は性的欲求を掻き立てられることになる。性的欲求は人間の生理的欲求の1つであり、それはあまりに根源的な欲求であるため、理性的判断を狂わせかねないものである。ところが、性欲が一時的衝動であるのに対し、それがもたらす結果は極めて重大である。我々の社会では子供の養育に対する責任が発生するため、一時の欲求が一生を左右することになりかねない。こうしたことが社会のあちこちで起これば社会秩序も崩壊するだろう。
その一方、我々は性的な何かを目にした時、欲求の裏で羞恥を覚えその何かから目を背けようとする。その結果、制御されない性欲に身を委ねてしまうことは起こりにくくなり、我々の安寧は守られる。かくして、羞恥は人生を破滅させる流れを断ち切ろうとしてくれるのだ。以上の議論から、猥褻性が人にとって重要な役割を果たしていることがわかるだろう。
しかし思い出して欲しい。我々は制御されない欲求に身を任せてしまうことが往々にしてあるではないか。その舞台は深夜だ。
飯テロと呼ばれる行為がある。Twitter等のSNSに高カロリーの食べ物の画像を投稿したり、テレビ番組で美味しそうな食べ物を放映したりして、見る者の食欲をいたずらに掻き立てる行為のことを指す。
現在、飯テロは法による取り締まりを受けていない。しかし前述の性における例と同様に考えていけば、この飯テロと呼ばれる行為がいずれ猥褻性を帯び猥褻物陳列罪の適用対象となることは明らかである。 順を追って見ていこう。
まず、SNSやTVは当然食べ物ではない。従って本来これらの利用は食と隔離されているものだ。この非食的なものを基調とする社会の中で高カロリーな何かが現れた場合、人は食欲を掻き立てられることになる。食欲は人間の生理的欲求の1つであり、それはあまりに根源的な欲求であるため、理性的判断を狂わせかねないものである。ところが、食欲が一時的衝動であるのに対し、それがもたらす結果は極めて重大である。我々の社会では自己の容姿に対する責任が発生するため、贅肉が一生を左右することになりかねない。贅肉があまりにつき過ぎるとメタボリックシンドロームになり死亡率も高まる。こうした死亡が社会のあちこちで起これば社会秩序も崩壊するだろう。
メタボリックシンドロームは現代になって初めて出現した病であり、我々はまだそれに適応できていない。しかしいずれ適応できるよう進化するはずだ。ここまで展開してきた食に対する推論が性に対する推論と同様であることから容易に分かるように、そのとき我々人類が持ち出す防衛策とは食欲と羞恥を結びつけること、すなわち食に猥褻性を付与することである。現に食と性は現在でも結びつきがあるではないか。
進化した我々は高カロリーな何かを深夜に目にした時、欲求の裏で羞恥を覚えその何かから目を背けようとする。その結果、制御されない食欲に身を委ねてしまうことは起こりにくくなり、我々の安寧は守られる。かくして、羞恥は人生を破滅させる流れを断ち切ろうとしてくれるのだ。以上の議論から、猥褻性は今後の人類にとってますます重要な役割を果たしていくことがわかるだろう。
いずれ飯テロが法的規制を受けることは明白であるから、今のうちに飯テロを行う自由を謳歌すべきである。我々は第二の春画を生み出す時代にあるのだ。現代の食の表現が、タブー芸術として後世高く評価されるかもしれない。
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