2020年2月4日火曜日

「きのこの山」は山であってきのこでない

「きのこの山」という商品がある。クラッカーの先端に小さなチョコレートが付いたお菓子である。スーパーやコンビニなどで広く売られており、全国的な知名度も高い。
さて、「きのこの山」といえば、「たけのこの里」との確執がよく取り沙汰される。いわゆる、きのこたけのこ戦争だ。しかし、これは作られた争いに過ぎない。私には、真に問題とすべき事柄が他にあるように思えてならないのだ。
我々は幼少期から「きのこの山」を見て育ってきたため、「きのこの山」が「きのこの山」であることに疑いを挟む者はほとんどいないだろう。だが、私はこうした風潮に異議を唱えたい。

なぜ「きのこの山」は「きのこの山」であって「山のきのこ」ではないのだろうか?

「きのこの山」は、一見きのこを模した形状をしているように見える。だが、その商品名が伝えることは、「きのこの山」は山であってきのこではないという事実だ。カノッサの屈辱は屈辱であってカノッサでないし、時のオカリナはオカリナであって時ではない(*1)。ここで、明治の「きのこの山」公式サイトの説明をもう一度注意深く読んでもらいたい。そこには、「きのこの山」がきのこであるとは一言も書かれていない。「きのこの山」はあくまで山なのである(*2)。これは非常に直観に反している。
私は、この事態を明快に説明するための仮説を一つ考えた。「きのこの山」は、山は山でも火山なのではなかろうか。つまり、チョコレートの部分が人間に見えている「山」の部分で、クラッカーの部分はマグマだまりなのである。その証拠に、クラッカーがチョコレートの山の中にまで入り込んでいるではないか。チョコレートの形状を見るに、これはドーム状火山だろう。相当粘性の高い溶岩であったことが伺われる。爆発も激しかったに違いない。
環太平洋造山帯に位置する日本は、大小様々な火山を多く擁する火山大国であると言われている。火山は温泉や地熱発電といった恵みをもたらす一方で、しばしば噴火によって甚大な災害を引き起こす。古くから日本人は火山に畏敬の念を抱き、火山と共に暮らしてきた。都市を高度に発達させた現代の日本人にとって、もはや火山は身近な存在ではないかもしれない。だが、たとえ都市部に住んでいたとしても、コンビニに行けば「きのこの山」が置いてあるではないか。私には、「きのこの山」を見ていると古来からの日本人の精神性が伝わってくるように感じられる。そう、「きのこの山」とは「きのこの(ような形をした火)山(の模型)」のことに他ならず、親しみやすいお菓子の形をとって国民の地学教育に資することを目的として開発された商品だったのである(*3)。

さて、このブログの読者の皆さんも地学に興味が湧いてきただろうか。地学といえば、地学部に所属する女子高生たちの青春を描いたアニメ「恋する小惑星」が現在絶賛放送中である。ワクワクとキラキラが詰まった素晴らしい作品である「恋する小惑星」を、どうかよろしくお願いしたい。

(*1)同様に、無用の用は用であって無用ではないし、無KのKはKであって無Kではない。風の谷のナウシカは谷のナウシカであって風ではないし、もののけ姫はけ姫であってものではない。きのこの山はこの山であってきではないし、たけのこの里はこの里であってたけではない。
(*2)「きのこの山」1パッケージには、「きのこの山」がたくさん入っている。従って「きのこの山」1パッケージは「きのこの山の山」である。「きのこの山」のパッケージを山積みにしたものは「きのこの山の山の山」である。こうして山々言っていると「ヤマノススメ」が見たくなってくる。せっかくなので、「ヤマノススメ」もどうかよろしくお願いしたい。
(*3)「たけのこの里」は......。えーっと。里山保全とか、生物多様性の尊重とか、なんかそんな感じのやつだろう。

関連記事: きのこの山(こまいどの徒然流線日記)
今回の記事執筆のきっかけとなった記事である。

0 件のコメント: