土曜日の夜、私はふと「明朗快活になりたい」と思って、Twitterで「明朗快活になりたい」と呟いた。しかしよくよく考えてみると、この「明朗快活」という言葉自体あまり明朗で快活という感じがしない。本当に明朗かつ快活な人が「明朗快活」という言葉を使うだろうか。私が明朗快活な人の具体例を考えて最初に思いついたのはごちうさのココアだったが、ココアが「明朗快活」という言葉を発するシーンは見たことがない。おそらく今後も発さないだろう。そうすると、こうして「明朗快活」という言葉を発してしまった時点で、私は明朗快活になることができない、明朗快活人になる権利を失った、ということになるのではないか。これは困ったことだ。
そんなことに悩んでいるうちに日曜日の昼になってしまった。
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