2016年11月6日日曜日

Arduous Learning of English for a Science Student (2)

リンク:
Arduous Learning of English for a Science Student (1)

[前回のあらすじ]
自分で実験して論文を書く授業「ALESS」が始まった私に、論文を探して読む課題が与えられた。

論文を探す方法として、ALESSの授業ではgoogle scholarが挙げられていた。図書館に入りパソコンを立ち上げ、波について検索を始めた。
ところが早速壁にぶつかった。読める論文がないのである。しっかり読む必要はなく、Scanningしろとは言われたものの、それにしても読めない。それは考えてみれば当然のことで、インターネットにあるような古くない(*1)論文は高校物理程度の知識で太刀打ちできる代物ではないのである。そうこうしているうちに図書館の閉館時間が来てしまった。授業は翌日だった。私は出てきた論文を適当に選んで印刷して、それを持って行きお茶を濁すことにした。

授業が始まった。グループの3人で論文を持ち寄って、話し合いをすることになった。ところが、始まってすぐに問題が発生した。誰一人まともに内容を説明できないのである。事情はA,Bの2人にとっても同様であった。有意義な話し合いができないままその週の授業は終わり、「実験を提案する」という課題が出た。
ALESSの実験にはルールがある。第一に、特別な道具や薬品なしで行わねばならない。ハカリなどは貸してくれるが、必要なものは基本的に自費で賄うことになっている。第二に、やってみるまで結果のわからない、「正しい結果」のない実験を計画しなけばならない。第三に、すでにある論文を基にして問題を提起することで実験を構築せねばならない。
論文を持ってくるだけならなんとかごまかせたものの、このまま実験を提案するのには無理がありそうだった。物理学系のテーマにした場合、仮に読める論文があったところで「それを発展させて、特別な機器を使わずに、結果の予測できない実験をしろ」と言われたら途方に暮れてしまうだろう。物理系や化学系の内容はやめ、生物系か心理系でテーマを決めた方が良さそうだ。我々はテーマを根本的に変えることにした。

B君は多忙らしいということで、私とA君が放課後話し合った。私に会うなり、A君は「植物ホルモンの1つ、エチレンで何か実験ができないだろうか」と提案した。エチレンには様々な作用がある(*2)が、とりわけ果物などの成熟や老化を早める作用で知られている(*3)。例えば、リンゴをまだ青いバナナの近くで保管すると、バナナは早く黄色くなる。これはリンゴがエチレンを多く放出する果物だからである。
エチレンを調べるというのは今までとは全く違う方向性である。どこからこのアイデアが降ってきたのかわからないが、とにかく乗っかって考えてみることにした。2人でエチレンについて情報を集めながら実験の案を出しあった結果、
「リンゴを部分に分け、どこが最もエチレンを出すか調べよう。エチレンの多さは、糖度計で横に置いたバナナの糖度変化を見ることで間接的に測れるだろう。」
という結論に落ち着いた。

テーマが変わったので、新たに論文を見つけて前週分を提出し直さねばならない。このスタート時点から、我々はマイナスの位置にいたのだ。課題の流れを逆走し、計画した実験に関連してそうな論文を探すことにした。
なんとか「キウイでエチレンを最も出している部位は皮の付近である」という内容の論文(*4)を見つけることができ、これに伴ってリンゴは皮/果肉/芯に分けることにした。先生にテーマの変更の旨をメールで申し立て、受理された。2週分の課題をやったので疲れた。

次の課題は、仮説を立て"Introduction"を書くことだった。さらに論文を収集し、既存の論文から「リンゴのどこからエチレンが出ているのか」という疑問にたどり着くまでをでっち上げた。「酸素があるほどエチレンの合成が活発」との論文(*5)に基づき、皮の方が多いだろうと仮説を立てた。前よりはマシとはいえ、やはり論文を読むのは骨が折れた。用語が難しいというのも要因の一つであるし、探して使えるものだけが論文中に採用される以上、実際に論文中で引用する以上の数を読まねばならなかったというのもある。
その次はMethodを書いた。実験の方法を書くところである。計画を詳細に書いた(*6)。ここでは、受動態を多く使うなどして、なるべくWeを使わない書き方を学んだ。

この時は、確かゴールデンウィークが終わった頃だっただろうか。ALESSは月曜2限の授業だったが、月曜3限,水曜2限のイタリア語では毎週月曜に小テストが行われていた。4月は直前の暗記で切り抜けていたが、4月後半にもなるとその方法では厳しくなって小テストの点数が下降してきた。また、5月上旬~中旬には熱力学の授業がさっぱりわからなくなり、授業は手の運動となっていった。線形代数についても、かなりの内容が理解できなくなった(*7)。私は自習を始めた(*8)。
そんな中、ALESSの課題は少しずつ負担となっていった。英語で論理的な文章を書くのは思いの他時間がかかるのである(*9)。面倒なALESSは後回しにしがちになって、日曜の夜の寝る時間がだんだん遅くなってしまった(*10)。結果として、2限のALESSに遅刻することが増えていった。

実験の開始が指示されたのは、大体それくらいの時分だった。(続く)

(*1)高校物理での最も新しい内容がド・ブロイ波で、1924年のことである。なお、仮にド・ブロイ波の論文があったとして、自宅では実験できない。
(*2)Lin, Z., Zhong, S., & Grierson, D. (2009). Recent advances in ethylene research. Journal of Experimental Botany , 60 (12).
(*3)食品をよりよく保管するため、様々なエチレンの研究が行われてきた。Riov, J., & Yang, S. F. (1982). Autoinhibition of Ethylene Productioni n Citrus Peel Discs. Plant Physiology , 69 (3), 687-690./Ketsa, S., Chidtragool, S., Klein, J. D., & Lurie, S. (1999). Ethylene synthesis in mango fruit following heat treatment. Postharvest Biology and Technology , 15 (1), 65-72.など。
(*4)Agar, I. T., Massantini, R., Hess-Pierce, B., & Kader, A. A. (1999, May). Postharvest CO2 and Ethylene Production and Quality Maintenance of Fresh-Cut Kiwifruit Slices. Journal of Food Science, 64(3), 433-440.
(*5)Lieberman, M., & Kunishi, A. (1966, March). Stimulation of Ethylene Production in Apple Tissue Slices by Methionine. Plant Physiology, 41(3), 376-382. 仮説は既存の論文中の根拠に基づいて立てよ、と指示された記憶がある。
(*6)ただし、使うリンゴの量などは、実際に実験するまでいい加減なことを書いていてもよい。
(*7)正確には「数理科学基礎」という授業の戸瀬先生担当分である。戸瀬先生はのちの線形代数の教員だったこと、また「数理科学基礎」の共通テキストからかなり逸脱した内容を教えておりもはや数理科学基礎ではなかったことからこう表現した。
(*8)自習によりイタリア語は立て直した。イタリア語の次は線形代数の自習に移ったが、こちらは自習しても立て直せなかった。熱力学は放置していた。
(*9)日本語の文章でさえ時間がかかる。(参考:書く速度ω)
(*10)このあたりは自業自得である。

リンク:
Arduous Learning of English for a Science Student (3)
Arduous Learning of English for a Science Student (4)
Arduous Learning of English for a Science Student (5)
Arduous Learning of English for a Science Student (Appendix)

Arduous Learning of English for a Science Student (1)

大学に入学してから早くも1.5年が経ち、私は3つのセメスターを経験した。前期教養の課程はほぼ終了し(*1)、現在は専門科目の学習に入っている。成績表を見ると、今までに取った単位数は76だと書いてあった。およそ40コマ分に相当する授業を受けてきたと言えそうだ。さて、これら前期教養の授業の中で、どれが最も印象深かったであろうか。私なら、それはALESSだと答える。
ALESSとはActive Learning of English for Science Studentsの略である。その名が示す通りALESSは英語の授業だが、ただの英語の授業ではない。Activeという形容詞が示す通り、ALESSは英語を使う訓練に重点を置いて設計されている。ではALESSはどのような点でActiveだというのだろうか。UT-Lifeでのトム・ガリー先生による説明が分かりやすい。

 <以下、引用> 
1. 英語で書かれた本物の科学論文を分析・検討することで、論文の論理構造や形式面での作法、フォーマルな用語法を学ぶ。
2. 簡単な科学実験を自ら考案し、実行する。
3. 1.で学んだことを踏まえつつ、自宅で自ら論文を書いてくる。
4. 学生同士が2人一組になり、互いの論文について気付いた点を指摘しあい(ピア・レビュー)、担当教員からのアドバイスも参考にしながら、自らの論文を推敲する。
5. 行なった実験・執筆した論文に基づき、5分程度のプレゼンテーションを行う。 
<引用終わり>

要は英語で論文を書いて発表する授業ということだ。さすが東大、有用そうな内容である。しかし3ヶ月半ほどでこれほどの内容をやるとなると、スケジュールは過密になってくる。つまるところ、ALESSは「Active」なだけでなく「Arduous」(多大な労力を要する)な授業でもあったのだ。そして、それがどれほど「Arduous」になるのか、入学当初の私は考えたこともなかった。

ALESSは大学に入って初めて受けた授業だった。
逆評定で「大仏」「教員の鑑」とされていた教員は、分かりやすい説明やビデオでの論文添削など、学生のために尽力する優しく素晴らしい先生として知られていた。 4月の私はなかなか意識が高く、それなりにやる気を持っていた。最初の授業で、先生は "ALESS is surely hard but useful. I'll do my best to make this course as helpful as possible."と、こんなことを言いながら、授業の流れを説明した。Hard but useful. なるほどそんな感じの授業だ。この授業を自分にとってできる限りusefulなものにするためにも、できる限り優れた論文を書いてみよう。私はそう決意した。
授業は「反転授業」の形式で進められた。まず、先生はyoutubeに論文の形式などについて解説した予習ビデオをアップロードし、学生はそれを視聴して授業に臨む。教室では、予習ビデオで学習した知識を踏まえて、グループワークを行った。グループワークでは論文の要約課題やパラグラフ整序問題を解いて学生同士で話し合うことで、論文の構造を学習した。先生は解説を挟んだり話し合いのサポートをしたりしていた。
そして授業の後は、学習事項をふまえて自分の論文を書く課題と、次の予習ビデオを見る課題が与えられた。翌週は自分の文章を授業に持ってきて、学生同士で読み合い意見を交換する「ピア・レビュー」を行った。ピア・レビューを終えると次のステップに進み、同様にグループワークと課題が与えられた。これを論文の完成まで繰り返した。

論文を書くため、まず班分けとテーマ決めを行った。教員は、「Ants」「Growth of Plants」「Taste」などテーマを5つほど示し、「興味のあるテーマを選んでください。それによって班分けをします」と言った。「楽そうかどうかではなく、あくまで興味で選んでください」と付け加えて、学生に挙手をさせた。かくして、「Wave」に私を含む3人が集まり、「Wave」班が結成された(*2)。以下、他のメンバー2人を、A君・B君とする。
この日は、「テーマに関連した論文を1つ検索で見つけて、説明できるようにする」という課題が出た。この「論文を探して持ってくる」課題では、論文は論文でも「実験に発展できるような論文」を持ってくることになっていた。ALESSでは、家などで特別な機器がなくても実行できる実験を行うことになっている。「wave」班では、話し合いの結果電子レンジや音波に関して何か実験ができるだろうと結論付け、各々これらについて調べてみることにした。
その週、私は論文を探すため大学の図書館へと向かった。この時点での私には、自分の論文が完成までどれほどの紆余曲折を経ることになるのか、知る由もなかった。(続く)

(*1)正確には、必修の「電磁気学」を落としているためまだ2単位残っている。
(*2)人数の多い班は分割などで調整された。

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Arduous Learning of English for a Science Student (2)
Arduous Learning of English for a Science Student (3)
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Arduous Learning of English for a Science Student (Appendix)

2016年10月18日火曜日

レビュー: 東京の銭湯

東京には様々な銭湯があるが、それぞれ工夫が凝らされていて、入ってみるとなかなか面白い。この記事では、個人的な記録も兼ねていくつかの銭湯をレビュー形式で紹介してみようと思う。
なお、460円の銭湯では、共通回数券を使ってよりお得に入れるはずである。


I.伝統的銭湯
460円が多い/各所

名前は出さないが、家の近くに古いスタイルの銭湯がある。番台にはおばあちゃんがいて、木造の造りに昭和の空気が漂う。脱衣所には扇風機と牛乳の自動販売機。おじいちゃん達が新聞を読みながらくつろいでいる。風呂場の壁には絵が描かれていて、シャワーの隣には黄色いケロリン湯桶が積まれている。典型的な昔ながらの銭湯である。
この銭湯の良いところは何と言っても雰囲気であろう。銭湯といってまず思いつくのはこういうタイプの場所だ。これらは地域の人の憩いの場として姿をそのままに現代まで残ってきたものであり、銭湯全盛のかつての様子に思いを馳せながら浸かってみるのも面白い。
一方、客観的に見て460円の価値があるかは微妙である。というのも、大概の古い銭湯はなぜかお湯がやたらと熱いのだ。あるお店に行った私の友達はやけどしたほどだという。お年寄りに人気なようだが、どう見ても心臓に悪い。江戸っ子にはむしろ快楽なのだろうか。
風呂が熱いのは「回転率を高めている」工夫とも言われているが、それは言い方を変えれば「客を速やかに追い出している」ということである。風呂に入るまでに四苦八苦、そしていざ浸かることができたと思えばあっという間にのぼせて退散する羽目になる。それでも、冬の寒い日はなんだかんだで通ってしまったのだが…。
結局、この手の銭湯は趣を見出せるかどうかが全てではなかろうか。どこか、ぬるくて且つ趣のあるところがあれば教えていただきたい。

項目別評価: アクセスA+ リラックスF 清潔感D 広さE 設備E 趣A+
総合評価:55点


II.清水湯(港区)
460円/表参道

東京の銭湯の中で最も知名度の高い店の一つである。表参道という抜群の立地に、明るく清潔感のある雰囲気が特長である。お湯は概してぬるめで、ゆったりとくつろぐことができる。古いタイプの銭湯だったものを改装して現在の形になったそうだ。
お風呂はジャグジー、炭酸泉、シルク風呂、水風呂の4つ。ジャグジーが広く、3つのジェットバスを併設している。3つのうち1つは腰痛に効き気持ちが良い。残りの2つは水圧が強すぎて痛い。
炭酸泉とシルク風呂は3人が足を伸ばせる程度の広さで、それぞれ特殊な設備を導入してお湯を作ってある。炭酸泉は高濃度炭酸泉と謳っているだけあって効き目が強く、最初はぬるく感じても10分もすればかなり温まってくる。血行を促進する効果が高いため、体の中から温まる上、疲労回復にも適している。それゆえ私が最も気に入っているお風呂でもある。
シルク風呂は細かな気泡を吹き込んで白濁させた風呂であり、なめらかで柔らかい肌触りをしている。木曜日はこのシルク風呂にハーブを浮かべてあり、より一層心が安らぐ。
水風呂は炭酸泉と併用するとさっぱりして気持ちが良い。シャンプーとボディーソープは設置されていないものの、飲み物や石鹸を置く棚があるのは便利である。
難点は人気店ゆえの混雑である。休日の夜7時ごろに行った時、一度整理券で待たされる羽目になったことがある。時間帯を選んで入ると良い。また、サウナ付きにすると1000円となってやや高い。サウナ自体も広くないため、サウナに入りたい時は他の店に行くのが得策と思われる。なお、いくつか設置されているドイツ製のシャワーヘッドは自慢らしいが、使いにくいため普通のシャワーの方が人気がある。
とはいえ、総合的に見て素晴らしい銭湯なのは論をまたない。混雑もその証であろう。私が最も頻繁に利用している銭湯である。ちなみに、隣のそば屋「みよた」のそばが美味かった。

項目別評価: アクセスA リラックスA 清潔感B 広さC 設備B 隣のそば屋A+
総合評価 90点


III.斎藤湯
460円/日暮里

日暮里の斎藤湯も、立地がよく綺麗な銭湯のひとつとして知られている。風呂の種類も清水湯より多く、高濃度炭酸泉、水風呂のほか熱めの風呂、電気風呂などがある。個人的には、やはり炭酸泉があるのが嬉しい。その上この炭酸泉の浴槽は清水湯より広くて深いのだから、なおさら素敵な銭湯である。
特筆すべきは、460円でこれらに加え露天風呂にも入れるという点である。周りは壁で囲まれているものの、開放感は十分。かなり満足できる銭湯である。リンスインシャンプーとボディソープがあるため、タオルさえ持っていけば460円だけで済む。
使いでのある店ではあるが、私は山手線をあまり使わないため1度しか訪れたことがない。本郷キャンパスに行ったついでに、根津から西日暮里に行き、そこから徒歩で訪れるのがひとつの手だろうか。周りは住宅街になっており少々場所が分かりにくい。

項目別評価: アクセスB リラックスA 清潔感B 広さB 設備A 見つけやすさC
総合評価 93点


IV.さやの湯処
870円/志村坂上

都営三田線志村坂上駅から10分ほど歩くと「さやの湯処」が現れる。ここは都内にある源泉かけ流しの温泉として有名である。その温泉は露天風呂になっており、非常に心地が良い。温泉は強い鉄臭を持つ薄い乳白色の湯で、塩分が濃く保温性が高い(水分補給には注意が必要である)。
自慢の温泉のみならず、ここはお風呂の種類が非常に充実している。まず、露天風呂として天然温泉の他に桶風呂と寝風呂がある。桶風呂に入ってお湯を溢れさせるのは爽快で、その上見上げると空が見えるのである。晴れていれば月が見えたはずだが、私が訪れた日はあいにくの曇りだった。寝風呂もリラックスできるが、寝てしまう危険があったので長居しなかった。
内風呂には多数のジェットバスと高濃度炭酸泉、湯椅子(座っていると流れるお湯で体を温めてくれる椅子)、水風呂がある。どれもよいお風呂であった。
これに加えてドライサウナとスチームサウナの2つのサウナがある。スチームサウナには薬草が用いられており香りが楽しめるほか、用意された塩をすり込んで発汗を促進することもできる。これら全てを巡るだけで相当楽しめるのは間違いない。
リンスインシャンプーとボディソープは用意されている。本や飲食物をお風呂へ持ち込むことはできないようだが、脱衣所に自販機と給水器はあった。
併設の食事処は日本庭園を眺めながらの食事を売りにしている。しかし夜に行ったところ暗くて全く見えなかった。蕎麦を注文したが、普通だと感じた。
お風呂のクオリティーが高く、これで870円はかなり安いと思う。1200円はしてもおかしくないのではないか。

項目別評価: アクセスE リラックスA+ 清潔感A+ 広さA 設備A 日本庭園#(評価できず)
総合評価 95点


いかがだっただろうか。実際のところ、文字だけ読まされてもさっぱりわからないはずなので、もし銭湯を探したければこんなblogよりも公式ホームページなりどこか他のサイトなりで調べるのがよいと思う。おそらく途中で読むのをやめておくのが賢明だっただろう。


<追記:10/29>

V.清水湯(品川区)
460円/武蔵小山

武蔵小山の清水湯は460円で天然温泉に入ることができる銭湯である。「黒湯」と呼ばれる黒褐色のお湯は東京に特徴的な温泉で、有機物が褐色を作り出しているそうだ。内湯、露天風呂、水風呂に黒湯が使われている。また、2つある露天風呂の一方には「黄金の湯」という別の黄金色をした温泉が使われている。水風呂にまで温泉が使われているあたり、かなり徹底している。
私は平日午後2~4時ごろに訪れたが、それでもかなり混雑していた。2時ごろは露天風呂につかるどころか脇にある椅子に座って様子を伺うことも至難の技であった。ただ3時ごろになるとなぜか空いてきて、わずかな時間ではあるが露天風呂を独り占めすることもできた。黒湯に設置されたジャグジーの泡が照らされて、黄金色に輝いているのが実に美しかった。
天然温泉の独特の香りも良く、館内も綺麗で、コストパフォーマンスは高い。電車で行くと東急に初乗り運賃を取られて往復の電車代に800円程度かかることと、平日真っ昼間とは思えない混雑が難点か。それでも460円銭湯の最高峰に位置しているといえよう。

項目別評価: アクセスC リラックスA 清潔感B 広さC 設備B 天然温泉A+
総合評価 96点


<追記: 11/7>

VI.文化浴泉
460円/池尻大橋

目黒区の銭湯、文化浴泉には駒場東大前商店街を南下し池尻大橋駅まで行くとたどり着くことができる。駒場キャンパスで勉強した後に銭湯に行くとしたらここであろう。
普通のお風呂の他に、白く濁った柔らかい湯あたりのナノバブル泉と水風呂がある。ジェットバスが3つついている。
木造で趣を残しながらも、店内は現代的で清潔な印象である。風呂の壁中央に高く掲げられた赤富士の絵画がシンボルのようだ。有名店らしく店内にサインが多くある。
湯温は42~3度と少々熱い。それでも大学で勉強した後に入る風呂は心地よい。それを考慮しなければ...表参道の清水湯の下位互換か。

項目別評価: アクセスA リラックスD 清潔感B 広さD 設備D テレビのサイズB
総合評価 70点


VII.ふくの湯
460円/本駒込・千駄木

本郷キャンパスから銭湯に行くならふくの湯になるだろう。東大正門から1.5駅分ほど歩くと到着する。店は温かみのある木造ながらも明るく、清潔さを感じさせる。
大黒天の湯(ラドン泉)と弁財天の湯(薬湯)の2つがあり、男女週替わりで交換になるそうだ。私が行った時は弁財天の湯だった。飾られている富士の絵は見応えがある。普通の広いお風呂が心地よいのはもちろんだが、壺風呂もあり、これを一人で独占するのもまた愉しい。シャンプーとボディーソープが備え付けなのも嬉しい。
本郷の重厚な図書館で勉強するのはなかなか好きだったが、改修工事で閉館するらしい。ここを訪れる頻度も減りそうだ。

項目別評価: アクセスB リラックスD 清潔感B 広さD 設備B
総合評価 72点


<追記: 2017/11/1>
* 喜助の湯
600円/JR松山駅

松山市を訪れた時に寄ったこの喜助の湯はコストパフォーマンスが大変良かった。印象的だったので、東京の銭湯ではないものの特別にここでレビューしたい。
目玉となる道後温泉の湯を掛け流しで使用している浴槽は広く、リラックスできた。更に人工炭酸泉は西日本最大級を謳っており、さほど混雑することなくゆっくり入ることができた。壺湯電気湯歩行湯寝湯ジェットスパなど思いつく限りの風呂が揃っており、更には露天風呂もあって申し分がない。600円でサウナにも入ることができた上、水風呂は温度が違う二種類が用意されていた。
多種多様な風呂が全て高水準でまとまっており、これで600円は相当安いと思う。地元の人を中心に人気があるようだったが、浴槽が広いため混雑はさほど気にならなかった。私は朝にこちらを、夕に道後温泉本館を利用していた。

項目別評価: アクセスB リラックスA+ 清潔感A 広さA+ 設備A+ 温泉A
総合評価 100点


VIII.萩の湯
460円/鶯谷

鶯谷に新装開店した萩の湯が素晴らしいとの噂を聞きつけ訪問してみた。
建物の1階から4階までを占拠している、銭湯とは思えぬそのスケールに入る前から圧倒させられる。1階がコインランドリー、2階が受付・食事で、3階が男湯、4階が女湯となっている。一階丸ごと風呂場にしてしまった大胆さには驚くばかりだ。
中には4種類の湯とサウナ・水風呂があった。まずシャワーを浴びて体を洗ったが、このシャワーの数にも驚かされた。多分2,30台くらいはあったのではないか。それに全てにシャンプーとボディソープが付いていた。これは大変ありがたい。
最初に入ったのはスタンダードな湯(39度)で、ジャグジー・電気を備えていた。十分な広さがあり、リニューアルによる清潔感も相まってこれだけでも地域で評判の銭湯となっただろう。
次に高温湯(43度)に入った。東京で高温の湯というと45度ほどあるイメージだったが、ここはそれほど心臓に負担をかけることなく入浴できたので良かった。ここには入浴剤が溶かしてあった。壁には壁新聞のようなものが貼ってあり、店主の近況や直近のイベントなどが書かれてあった。最近の銭湯で入浴剤を使っているところはそう多くない。これと最初の湯の2つだけでも銭湯フリークの間で話題の銭湯となっただろう。
三番目に炭酸泉(39度)に入った。こちらも広く、適温でよく温まることができた。460円で炭酸泉に入ることができるとそれだけで嬉しい。ここの場合さらにそれが広い(表参道の清水湯の炭酸泉より広い)のであるから素晴らしい。これと今までの湯の3種類だけでも銭湯フリークの間でその名を轟かすことができただろう。
四番目にサウナに入った。サウナも銭湯とは思えぬ広さで、その上朝の入浴の場合無料だという。460円でサウナに入れるなんて聞いたことがなかった。これと今までの湯の4種類だけでも、銭湯界隈は大きな衝撃を持って受け止めただろう。
しかし真骨頂は最後に入った岩風呂であった。これは半露天風呂のようになっており、住宅地ながらすだれをうまく使って風が爽やかに入ってくるようになっている。高階の立地を活かした構造である。このおかげで涼しい空気の中で入浴でき、あまりの心地よさに感動を覚えた。岩風呂は風情があり、植物が植わっているのも面白みがあった。その上朝のためか大変空いていた。横に設けられた椅子に座っていると、涼しい風のおかげで水風呂に入らなくても自然にクールダウンできるようになっている。銭湯でここまでできるのか。想像を超えたクオリティの高さに私は深く感じ入った。これは銭湯界隈が大騒ぎするわけである。
充実のサービス・広い浴槽と炭酸泉・高温泉で「理想の銭湯」を実現するばかりか、岩風呂ではその「理想」をも超えてきた。この銭湯の存在は信じがたいばかりである。

項目別評価: アクセスA リラックスA+ 清潔感A+ 広さA+ 設備A+ 風A+
総合評価 110点

2016年8月25日木曜日

読解力の重要性を示す1つの事例

確か、私が高校生2年生か3年生の頃の話(*1)だったと思う。
私が母と夕食を取っていたときの出来事であった。当時の私は「彼女いない歴=年齢」だった(*2)が、母はそれを常々問題視していた。そしてその日、母は私にもっと恋愛に取り組むよう要求してきたのだった。私ははぐらかしながら会話に応じていたが、私の女性に淡白な態度を前にして、母は私をゲイではないかと思い始めたようだ。そしてついには、「もしかして、あんたこっち(=オカマ)なんけ。それだけはやめてよ」と発言するに至った。
私は、この発言には複数の問題があると思った。第一に、同性愛者に対し差別的である。次に、私は自分を異性愛者として認識している。更に、この発言にはもう一点の問題があった。私はこの「もう一点の問題」に焦点を当て(*3)、だいたい次のような内容のことを言って(*4)返答した。

「ちょっと待ってほしい。今、「それだけはやめてよ」と言ったが、その命令は意味を為さない。なぜなら、「好き」という感情は第三者に「やめろ」と言われて「やめる」ことができるものではないからである。もし「やめる」ことができたならば、それはもはや「好き」とは言わないのではないか。それでも「やめる」ことができず、どうしてもその人のことを考えてしまう、そんな状態のことを「好き」と表現するのである。もちろん、求愛や結婚といった具体的行為ならば「やめる」ことができる。しかし、ゲイであることはそういった行為ではなく、その人の「好き」という感情によって定義されるものであろう。従って、もし私がゲイであると仮定しても、「ゲイである」ことは「やめる」ことができないのである。以上の議論により、「それだけはやめてよ」という今の発言は意味を為さないことが明らかとなった。」
以上の議論を聞いた母は、私をしばらくゲイだと誤解してしまった。なにぶん彼女がいない(*5)以上証拠を提出しようがない(*6)ので、この誤解を解くことは大変な苦労であった(*7)。

わざわざ言うまでもないことだと思うが、私の弁論のどの点をとっても私がゲイであるという結論は引き出されない。私は異性に対する恋愛感情から類推することによって論を組み立てているのである。センター試験か何かで私の発言が出題されたとして、「この主張の発言者はゲイだと考えられる」といった内容の選択肢があれば間違いなく誤答であろう。しかし母は誤答を選んでしまった。この事件は、「読解力の不足は、息子をゲイだと誤解する危険性を高める」という教訓をもたらしたのである。

(*1)「ある年のクリスマスプレゼントとして私がハタハタを求めたところ、クリスマスツリーの下に魚の入った発泡スチロールの箱が置かれていた。祖父がしばしば魚介類を注文していた業者と箱に記された業者が同じであったことから、私はサンタさんの正体が家族だったことに気づいた」というエピソードに並ぶものとして、ある友人はこの話を高く評価している。曰く、これらは私の人となりをよく表しているそうだ。
(*2)2016年8月25日0時現在においても「彼女いない歴=年齢」である。
(*3)私が「もう一点の問題」に焦点を当てたのは、それが論理上の問題であるからだ。「同性愛者に対し差別的である」はジェンダー学上の論点であり、また、「私は自分を異性愛者として認識している」は私個人がどういう人であるかに関する論点である。一方、第三の問題は純粋に論理上の問題であり、より普遍的で、より根源的な問題であると思われたのだ。
(*4)書き言葉として再構成する上で訛りを取り除いた結果、堅苦しい印象を与えるものとなってしまった。
(*5) 彼女がいないどころか、彼女という概念(=「彼女」とはどういう意味の言葉なのか)がよく分からない。いや、それどころか、「いない」という概念の意味もよく分からない。「いない」がわからないどころか、「いる」も分からない。なぜ自分はここにいるのか。何かが「ある」とはどういうことをいうのか。そもそもなぜこの世界には何かが「ある」のか。私は一体何を認識しているのか。彼女がいないどころか、私がいない可能性もあると思う。
(*6)尤も、彼女がいたところでバイセクシャルである可能性は残る。
(*7)「大変な苦労」になってしまったことには、私の将来の夢が科学者であることも災いしている。というのも、科学者を志す者として、私は物事を控えめに記述する傾向があるのである。例えば、断定は極力避け、分からないことはきちんと分からないと言う、といった具合である。この性質がある以上、「えっ、男の子を好きになるんけ?」と聞かれても、私は「少なくとも、過去に女性以外を好きになったことはない。しかし未来のことは分からない」と答えるより他にないのだ。私のこの返答は母の混乱を長引かせることとなった。

2016年7月11日月曜日

成人に際して

成人した。今後は責任ある大人としての自覚を持って生きていきたい(*1)。

ここまでが本題で、以下は全て余談である。
2015年の駒場祭は多忙だった。サークルの企画で多くの仕事を任されていたからだ。そんな中でも、合間を縫って他の展示を見る時間を作り出すことができた。そこで私が向かった展示の一つが「駒場ビラ博」であった。
「駒場ビラ博」はビラ研究会というサークルが収集・研究したビラを解説(*2)と共に展示するという企画である。古い学生運動のビラなどは特徴的な字体・雰囲気を備えており面白いと感じていたため、この企画は前から気になっていたのだった。目論見通り古い学生運動のビラが展示されていたが、展示の中に私の度肝を抜いたビラがあった。トレンド研究会のビラだった。
トレンド研究会はかつて存在した東大のサークルで、新興宗教団体(テロ組織と言った方がよいかもしれない)の息がかかった組織であった。そのトレンド研究会は、1992年の駒場祭で教祖を呼んで講演会を開いたと聞いていた。しかしそのビラがまさか今も保管されているとは思わなかった。私が見たのは、保管されていたビラのコピーだった。そこには教祖の顔が描かれていた。
その後、ビラを展示していたサークルの方と会う機会があった。話してみると、PCの中にビラのスキャンデータを保有しているという。それを聞いた私は、データを送ってもらうよう頼んでそのスキャンデータを得ることに成功した。なぜそんなことを頼んだのか。ある友達の誕生日プレゼントとしてこれを贈るという企みを思いついたのだ。
彼とは中学校時代からの友人である。同じ教室で学んできた同学の志であり、「こころ」に出てくるセリフを暗記して「先生とK」ごっこをしたり、漢文でメールを送り合ったり、発表の際黒板に力強く板書していかに隣の教室に迷惑をかけられるか競い合ったりするほどの仲であった。長い付き合いなので彼の趣味もそれなりに把握しているつもりだ。まず、彼は戦国時代に造詣が深い。また、甘い物をこよなく愛している。さらに、女子大に入って喜ぶことも彼の楽しみである(*3)。そんな彼は、新興宗教をおもちゃにすることも好きであった。
宗教的なプレゼントはオリジナリティーがあって面白いだろう、そう私は考えた。特にビラは適している。印刷するだけでよいから、教祖の血などと違って格段に手に入りやすい。部屋に置いていても毒性は特にないため、VXガスや炭疽菌の培養地などと違って取り扱いが容易である。白装束をもらってもなかなか着ようという気にはなれないだろうが、ビラなら壁に飾ってポスターにすることができ、実用性も高い。実際、かつての彼の部屋にはアイドルのポスターが貼られており、気に入った人物のポスターを貼る習慣があることが推測できた。

そうと決まればやるべきことは印刷である。私のプリンターは壊れていたため、東大で印刷することにした。PCを立ち上げ、データを読み込み、プリント設定を確認し、プリンターのある部屋へ向かう。だが、印刷を注文する手前で、設定がモノクロになっていることが分かった。私はカラーで出したかったのだ。危うく10円損するところだった。PCの前に戻り、カラー設定になっていることを確かめてから、印刷室に再び行く。しかし、なおモノクロになったままだった。困った。そのままシステム相談員の人にどうすべきか伺ったところ、PCを見せてくれということになった。私は了承した。
ところが足を踏み出したその刹那、一つの事実に気がついた。このままPCのスリープを解除すると、画面に大々的に教祖の顔が表示されてしまう。この宗教が大好きなのは、私ではなく友人であるのに!画像を縮小する時間を稼ぐ方法はないだろうか。私は頭を素早く回転させながらPCの元へと歩いていった。しかし自然な言い訳は思いつかない。平成を装いつつスリープを解除し、大々的に教祖の顔をシステム相談員の方の眼前に示した。
果たして相談員の方は顔色一つ変えなかった。淡々と自分の仕事を済ませ、無口に持ち場へ戻っていってしまった。私は、なるほどこういうことは日常茶飯事なのだろうと納得した。プリンターが音を立て、教祖の顔が熱を帯びて印刷されて出てきた。カラー印刷には50円かかった。

友人はついこの前成人した。私は誕生日プレゼントを渡そうと思ったが、私の誕生日に会おう(*4)ということになった。私は、自分の誕生日に他人へ誕生日プレゼントを渡す羽目になった。彼には、予め「50円(*5)かけて得たプレゼント」と伝えておいたので、ほとんど期待をしていなかったはずだ。50円の割に大喜びしてくれたので、この企ては成功したといってよいだろう。


(*1)自覚は持ちたいが、できることなら責任は持ちたくない。「責任がある」という自覚があっても、責任を全うするとは限らないのである。本題部分は短いが、この短い文から私の繊細な心情を読み取ってほしい。
(*2)ふと思ったが、「解説」と「解脱」は似ている。
(*3)「女子大に入ることが楽しいのではない。女子大に入ってその非日常さにexcitedすることが楽しいのだ」とは彼の談である。
(*4)私は、結局成人するまで「不飲酒戒」を破らなかった。酒を飲むのはなんとなく怖いと思ったので、この友人と酒を飲むことにした。従って、会うのは私の誕生日である必要があった。
(*5)誕生日プレゼントはあげないか、あげても自作の問題などで10円程度しかかかっていないことが多かった。50円はお金をかけた方だろう。

2016年7月8日金曜日

如才の弁明(2)

前回の記事の続きである。「変人説」の根拠が果たして正当なのかどうか、順に検討していこう。今回は後半1/3ダースを扱う。


5. カラオケに行くとシューベルトの「魔王(Erlkönig)」を歌う(*1)。
私は最新の流行曲を知らないため、どうしても古い曲に偏ってしまいがちである。それにしたって「魔王」は古すぎだと思われるかもしれないが、「魔王」を選ぶのは「中学で学習するため多くの人が知っているだろう」との判断に基づいてのことである。歌詞もドイツ語で書かれているため、日本語(かせいぜい英語)の曲ばかりに偏りがちなカラオケに変化をもたせることもできる。このようにカラオケに好適な要素を備えた「魔王」が、なぜあまり人気でないのか私は不思議でならない。
曲自身の知名度は十分だと思われるが、カラオケに入っていると知られていないのかもしれない。あるいは人が死ぬ曲だからだろうか。もう少し人気が出れば「語り手・魔王・父・子」をそれぞれ別人が演じるという遊びも可能になる。普及に努めたいところだ。
なお、私はイタリア語選択のため、ドイツ語は解さない。先月ドイツ語の参考書を購入し、現在は鋭意背表紙を眺めているところである。ゲーテの詩の和訳は覚えた。

6. 一週間ほど京大生のふりをしてこっそり京大の授業に出席していた。
私は自由人であると思う。少なくともそうありたい(*2)。
さて、ご存知の通り京大は自由の学風で知られている。自由人たる私が、自由に憧れるのはある種の必然であろう。かくして私は京大を好きになった(*3)。
京大が好きなら、そこの授業を受けてみたいと思うのは自然な心理である。好きなアーティストがいれば、そのライブを見たくなるのと同じことだ(多分)。調べてみると、京大には教養教育の段階から「京都大学の歴史」「霊長類学」など独自の講義が開講されているようだ。一度受けてみたいと強く思った。
2015年入学の東大生は、2年前期の後半にかなり受ける授業が少なくなる(四学期制という妙な改革の結果だ)。このことから、京大の授業を受けるのに最適なのはこの2年の6月だと判断した。6月ならば、東大の授業を丸々一週間休んでも影響がかなり小さく抑えられる。2015年度入学者用のシステムは非常に不評だったようですぐに変えられてしまったが、京大の授業を受けたがる私のような学生にとっては非常に好都合だったわけだ。むしろどうして他の東大生が同様のことをして視野を広めないのか分からないくらいだが、あまり公に勧められた行為ではないため徹底した隠密行動をとっているのかもしれない。私だけ無用心にネットの世界に書いてしまって、とんだ間抜けである。自らのネットリテラシー向上に努めたい。
ともかく、私はこの千載一遇のチャンスを活かそうと、つてを頼って京大生に擬態していたわけだ。チャンスがあれば活かすのは人生の基本だろう。6月初頭にテストを終えた私は東京を出発し、一週間ほど滞在して帰った。知るカフェやカラオケの学割などでは学生証を示す必要があり、店員によっては驚きと困惑をもって私を迎えたが、ここに説明したような事情を知ればきっと納得してくれたに違いない。

7. スタバに行くときはビーカーを持ち込み、それにラテなどを入れてもらう。
下宿にビーカーがあるのは容量を量ることが可能な耐熱容器として便利なためである(*4)。スタバでは容器を持っていくと容器代を割り引いてくれる制度がある。下宿にある耐熱容器で最も液体物を入れて飲むのに適したものがビーカーだったため、それを使った。
折角ビーカーを使うのだからと、ラテをかき混ぜるのには薬さじ(*5)を使った。これはビーカーの醸し出す化学的な雰囲気を大切にする姿勢の表れである。
 化学的な雰囲気を大切にするあまり、一度白衣で入店してしまったこともあった。しかしこれは「白衣はスタバに入店する上で不適当」という知識が欠けていたためのこと、すなわち無知ゆえの誤りである。したがって、不適当との指摘を受けてからは実行していない。これも一応述べておくが、「無知ゆえの誤りを犯す」と「変人だ」は異なる概念である(*6)。例えば、日本の習俗を十分に知らなかったがために土足で部屋に上がってしまった外国人がいたとして、「あいつは変人だ。普通の人は土足で部屋に上がらない。」とはならないだろう。これと同じことである。

8. 教室に枕を持ってきて寝ている。寝袋で寝ていた日もあった。 
授業前の睡眠がパフォーマンスを向上するためである。とりわけALESSなどの授業が課す多量の課題は良質な睡眠の妨げとなるため、そのままでは十分な能力を発揮することができない。従って家に加えキャンパスでも眠ることが自然に要請されてくるわけである。独自の調査の結果、枕の使用は睡眠をより快適にし、起床後のすっきり感を増すことが判明している。
寝袋で寝ていたのは、徹夜明けでより熟睡が求められる日のことだった。夜通し課題を行った後に生じる睡眠欲求が、遅刻や欠席の原因となりうることは論を俟たない。それを思えば、欠席予防のため授業が行われる場所で眠ろう、と考えるのは合理的な発想といえる。私が眠っていたのは小さい教室であり、最低でも出席を取るときには教員が気づくはずだからだ。
普段のように机に突っ伏すのではなく、わざわざ寝袋を持参したのは、一日一度は横になって眠らなければパフォーマンスが非常に低下すると推測されたためだ。これは飛行機に乗ったときや寝落ちしてしまったときの経験を類推したものである。よりよい睡眠を確保するため努力を重ねるのは、勉学に努めることと同じ話であり、学生として当然のことである。
この眠りへのたゆまぬ努力の結果、授業中私は非常に集中している。極めて集中しているため授業中にTwitterをしてしまうほどだ。目をつむっていても先生の話が聞こえたことさえある(*7)。

このように、私の一見奇妙な行動は実は全く奇妙なものではなく、簡単な原理に従って行動しているだけのことだと分かって頂けただろう。ここまで読んでくださった方々は、私は生粋の常人であって(*8)決して変人でないと確信されているはずだ。これほど徹底的に論破してもまだ私が常人だと信じないならば、寧ろそれはあなたの方がひねくれた変人だという証拠である(*9)。
 人の行動は断片的にしか見えない以上、全体像は推測するしかない。誤解が生まれる素地というのはそこにある。今回の記事が皆様の誤解を晴らし、私という人間を正しく理解することにつながれば幸いである。


(*1)他によく選ぶ曲に「Dolly Song」「La Bamba」「信濃の国」「ラジオ体操第二」「さなだむし」などがある。曲を知らなくても楽しめる/有名である/変化がつけられる などの基準で、私の知っている数少ない曲の中からカラオケ向きだと判断したものである。機種にもよるが、すべてカラオケに入っている。参考になれば嬉しい。
(*2)無論、「自由人」と「変人」も異なる概念である。自由人であるためには、変なことをする必要はない。要は心の欲する所に従えども平凡の範囲を踰(こ)えない、ということだ。この記事を読めばわかるように、私はこれに当てはまっている。
(*3)京大が好きなのにどうして東大にいるのか、と聞かれたこともある。この辺りの事情は過去の記事(こことここ)に詳しい。
(*4)例えば、ビーカーに出汁入りみそを入れ、それに適量の水や具材を入れそのままレンジでチンすれば簡易の味噌汁ができる。あるいは、ホットココアを作るときも、牛乳の量をビーカーで量り、粉を入れチンしてそのまま飲む。このように、ビーカーの「量れて」「加熱してよい」という特長はなかなか便利である。
(*5)薬さじはNaClやスクロース(私は料理用の塩や砂糖の容器にこう書かれたラベルを貼っている. 薬さじに対応するものだからだ)などをすくい取るのに使っている。
(*6)変人が変人であるためには、常識の枠組みを認識した上でそこからはみださねばならないと考えられる。強調しておくが、これができていない点で私は常人と言わざるを得ない。
(*7)この段階を保ち続けると、いずれ教員の声も聞き取れなくなってしまう。集中の結果「心頭滅却すれば火もまた涼し」とでもいうべき悟りの域に達しているものと推測されるが、この状態に関する記憶はなく証明できない。実に不運なことである。
(*8)自由人として認識してもらっても構わない。
(*9)あなたの主張を仮に受け入れ、私が変人だと仮定してみよう。しかし、私はあなたと異なり、記事中で述べられている説明を虚心坦懐に受け入れている素直な人間である。よって、その分私はあなたより変人さやひねくれ度合いで劣るということになる。

2016年7月7日木曜日

如才の弁明(1)

私が変人であると主張する者がいる。実際、先日ある東大の友人と話をしたが、彼がその一人だった。

このような見解を前にして、一度「私よりも明らかに変な者がいるではないか。例えば、最新号の某キャンパスマガジンにはこれこれこういう記事があり、このような奇行をする東大生がいることが分かる。」と述べたことがあった。しかし、この方法による反論は有効ではないことがわかっている。「確かに君が彼らより変でないことは認めるが、彼らは大学全体でもトップクラスに変な集まりである。君が変であることに変わりはない」という具合に返されるのである。更には、「持っている変人基準までもが変」ということにされ、逆に私が変人であるという主張の根拠にされてしまう。
これならまだましな方で、変人の例として様々な友人を持ち出した暁には「類は友を呼ぶ」「朱に交われば赤くなる」と言わんばかりに「そのような変人ばかりの交友関係を持っているという事実が、君の変人さを示唆するものである」といった主張をされる始末である。大学生にもなると子供だましの詭弁は通用しないのだ。(ここで私が用いた詭弁は「論理のすりかえ」に分類される。) 

そこで、ここでは私が変人であるという主張に真正面から異議を唱えることにする。私が変人だというのは全くの誤解である。私はそんな優れた、あるいは特殊な者ではない。私はもっと平凡でありふれた存在だ。このことを分かっていただくため(*1)、自らの行動を弁明する記事の執筆を決意した次第である。
これから、私の「変人説」の根拠として代表的なもの2/3ダース(*2)を挙げ、その行動の背景を説明していく。この記事は前編として前半の4つ(つまり1/3ダース)を扱うこととする。なお、私のことを既に常人だとお考えの多くの一般的な方にとって、この記事を読むのは時間の無駄であることを断っておく(*3)。


1. 日本語で挨拶しない日がある。
単に、その日は日本語に飽きているだけである。飽きてはいても日本語くらいしかまともにしゃべれないため、挨拶以外は渋々ほぼ日本語で話している。もっと他の言語が上達したならば、この習慣を推し進めて気まぐれで話す言語を変えるつもりだ。
速やかに返事をしなければ不自然になってしまう会話と異なり、書き言葉なら考える時間がとれる。ゆえに、ネットを介してメッセージを送り合う際は英語・漢文・古文・モールス信号などでコミュニケーションを行うことも多い。しかしこれができる相手が限られてしまうのは残念である。大抵の場合異言語の導入を突発的に行ってしまうため、突然の出来事に戸惑いを覚えるのだろうか。相手によっては、異言語を徐々に織り交ぜていくよう心がけたい。

2. しばしば、数式がデザインされたTシャツを着ている。
数式は簡潔な表記の中に多くの意味が込められていてCOOLだと思う。或る人には「お前よくそれで渋谷歩けるな」とまで言われたが、もし客観的に見てCOOLでないならそれは私のファッションセンスが悪いだけである。一応述べておくが、無論「ファッションセンスがない」と「変人である」は異なる概念である。

3. ある日の自己紹介で「人間という生き物を19年間やらせていただいております」と述べた。
一見自明だが、自分でも時々不安になることだ。自己紹介で述べる全ての前提になるだけに、誤解の余地がないよう念には念を入れてはっきり自分の見解を表明しておいた。

4. 「東京大学キムワイプ卓球会」というサークルに入っている。
このサークルは「理系に広く知られているキムワイプ(*4)で卓球を行うことで、分野を越えた人材の交流を図る」という理念のもと設立された、大変まともなサークルである。要はサークル活動を通して人脈作りを行っているのであり、「意識が高い」と言われる理由はあっても「変人」と言われる理由はない。よって、所属サークルをもって私を変人とする指摘は全く的外れである。

いかがだっただろうか。後編では更に強力な説明を行うつもりであり、期待していてほしい。(続く)


(*1)今までこの手の私の主張を人に理解されたためしがないが、それは私の話が下手だったからと推測される。内容としては全く難しくない話であるため、記事にすれば他人にも容易に理解されることだろうと考えている。
(*2)思い出せたのが2/3ダースだっただけで、この2/3という数に意味はない。根拠はまだあるかもしれないが、大意に影響はないだろう。仮に全く変なところがない人がいたとして、その方が変ではないか。だから今回の私の説明に納得できない部分が多少あったところで、私は変人だということにならない。それでも何か意見があるようなら、コメントで受け付けるつもりだ。
(*3)せっかく記事を書いてもここで読者の大半を失ってしまうことになるのは不本意だが、致し方ない。この文は後で付け足したものだが、「あまりにも読者層を絞ってしまった。もっと読者を選ばないテーマで書くべきだった」と後悔している。
(*4)キムワイプとは、ビーカー等実験用具を拭くときに使われる紙の製品である。キムワイプは何かを拭く性能に優れており、家庭にも備えておくよう勧めておく。いうまでもなく、鑑賞用としても有用である。