2021年7月10日土曜日

忙しさ

今月6日に修士論文の審査会があった。自分の限界近くまで頑張って準備したため、終わった後は数日抜け殻のような状態になっていた。しかし、修論の内容を進展させて雑誌に論文を投稿するためにはやらねばならないことが山積しており、いつまでもぼんやりしているわけにはいかない。忙しさが少し緩和されるだけで、結局忙しいことに変わりはない。
しかし、一体どうして私はこんなに忙しいのだろうか。何回留年してもいいのならこんなに忙しくはなかったわけで、忙しいのは留年を回避したかったためということになる。留年すると学費も余計にかかる上、奨学金も打ち切られて一気に生活が苦しくなるのだ。就職活動にも響くだろう。まとめると、私が忙しいのは金銭的問題、つまり資本主義のせいということになる。
一応現在の日本には生活保護という制度があるが、実際の運用としては働く気がなくても生活していけるようにはなっていない。働かないとお金が足りなくなる。お金が足りなくなると何に困るかというと、第一は衣食住だ。こうして資本主義は衣食住を人質に取り、我々を労働へと向かわせる。ここで私が思うのが、こんなに皆が皆働く必要はあるのだろうか、資本主義は我々を労働させて一体どこへ向かおうとしているのか、ということである。

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学部一年生の頃、微生物学の授業で寒天培地を使った微生物の培養について学んだ。微生物の数が少なく、コロニーに対して培地全体が十分に広い間は、微生物は指数的に増殖する。だが、この爆発的増殖はいつまでも続くわけではない。培地の広さや栄養の量には限界があり、コロニーの拡大はやがて止まる。
思うに、地球の人口もこのような力学で決まっているのだろう。すなわち、地球上にある住みやすい平地の広さや地球上で得られる食料の量には限界があり、その限界が地球の人口を決めている。いくら第二次産業や第三次産業が発達したとしても、人類には第一次産業の原理的限界という制約がある。そして、人類はこの制約の限界まで増え、今や地球を覆い尽くしている。
例えば、ハーバー=ボッシュ法の発明は農作物の収量の劇的な増大を実現し、人口の拡大をもたらした。このことは、人類の叡智の成果として誇らしげに語られる。しかし、この人口の拡大は本当に喜んでいいことだったのだろうか。食料が増えたなら、そうして増えた分だけ人口が増える。人口が増えれば、最初のうちは田畑を拡大して更に食料を増やせるかもしれない。ところが、人口が増えたからといって食料も線形に増えるわけではない。新しく開墾した土地は、以前からあった田畑よりもきっと条件が悪いはずだからだ。やがて食料の増加は人口の増加に追いつかなくなり、飢える人が出始める。人口の増加はこうして止まる。
限界まで産業が発展することは、資本主義の思し召しには叶うことだ。だが、それは人類を必ずしも幸福へと導かないだろう。少なくとも私は、飢えるような人を出してはいけない、そんな人を出すくらいなら初めからその人を産むべきではなかった、と考える。言い換えれば、農作物が増えても人口を増やさず、増えた農作物を皆で分け合って暮らすことができたなら、一人一人はもっと豊かに、そして幸福になれたのではないか、ということだ。
人口と産業規模が拡大することによるスケールメリットは存在し、それによって生まれた豊かさというものも勿論ある。社会がごく自然にスケールメリットを享受できるよう導く点が資本主義の利点だと言ってもいいだろう。しかし、資本主義が競争原理を通じて個々のプレイヤーに最適化を促す裏側で、人類に地球という制約が存在することは無視されてきた。昔話の老夫婦が柴刈りや洗濯をする程度の自然利用であれば、いくら自然を利用しても自然が回復してくれただろう。だが、人類の活動の規模が大きくなればなるほど、自然が自分を修復してくれるという仮定は成り立たなくなる。自分達の活動は地球全体で見れば微々たるものであり、資本主義の外側の世界からはいくらでも搾取できるはずだという誤った外挿が、公害を生み、環境問題を生み、動植物を絶滅ないし絶滅の危機へと追いやった。産業に使う資源は足りなくなり、限られた資源を巡って人類は戦争を繰り返した。
果たしてこれでよかったのだろうか。人類にはもっと別の道があったのではないか。

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私は、資本主義がある意味で自然なシステムであることも、こうして根付いたシステムを捨てるのは難しいということも十分承知しているつもりだ。それに、共産主義に移行すれば万事解決というものでもない。私は、資本主義を今すぐやめろとまでは主張できない。私がここで主張したいのは、人類は資本主義の限界をせめて自覚すべきだということ、そして私に非課税の5億円を給付することで私の生活を保障し、私を忙しさから解放すべきだということ、この2点である。

2021年7月8日木曜日

量理

フォロワーの人とZoomで会話した。相手を仮にAさんとしよう。
A「普段3食自炊してるんですか」
私「そうやね。僕のインスタ見てみる?僕のおばあちゃんが職場で見せ回っているせいでおばあちゃんの職場で局所的に有名になっている、僕のインスタ」
A「意外と美味しそう。この前ハンバーグがボロボロになっていたってツイートしてたから、もっとひどいのかと」
私「あー、あの豆腐ハンバーグに豆腐入れすぎたせいで崩壊して鶏そぼろみたいになったやつ」
A「分量量らないんですか?」
私「量らんなあ。カンで材料入れてる。分量量るのってめんどくさくない?分量なんて量りたくないわ」
A「めんどくさいですけど、そこを含めて料理ですよ。料理の半分は計量です」
私「なるほど!リョウリって漢字で書くと半分は「リョウ」やもんな。リョウリって材料の料にことわりと書いて"料理"じゃなくて、本当は分量の量にことわりと書いて"量理"なんやね!深いな......」
A「......よく即興でそんな意味不明なこと言えますね」

2021年6月12日土曜日

老爺とも老婆ともつかぬ人

街に出ると、ジジイなのかババアなのかよくわからない人に遭遇することがある。一方で、オッサンなのかオバサンなのかよくわからない人に遭遇したことは、私の経験上未だない。この観察事実は、一定数の人間は歳を重ねるに従って性別の境界が不分明になることを示唆している。
ところで、性別の境界が不分明なのは何もジジババに限ったことではない。第二次性徴を迎える前のガキどももまたそうである。更に言えば、妊娠数ヶ月目までの胎児には外性器がなく、超音波検査をもってしても胎児の性別を知ることができない。
プラトンの著作「饗宴」には、次のような主張をする詩人アリストパネスが登場する。曰く、男が女を、女が男を求めるのは元々一つの体だったからだと。我々は元々男女両性を兼ねた存在(アンドロギュノス)であり、失った半身を今も探し求めている、そしてそれが愛なのだと(*1)。
人は完全体・アンドロギュノスから出発した。思春期によって「不完全」な存在にさせられた我々は、しかし、死に接近するにつれて次第に完全体へと還っていく。それは、死とは肉体を世界に還す儀式だからだ。
人生とはウロボロスの蛇のようなものである。街で見かけた老爺とも老婆ともつかぬ人が、そう私に教えてくれた。

(*1)なお、アリストパネスは、男+女の組み合わせだけでなく男+男や女+女の組み合わせで一つの体だったこともあると言っている。ちゃんとポリティカルコレクトネスに対応している。

2021年6月1日火曜日

短歌3首

短歌を3首作った。

  • 糖質が気になる方におすすめです 春雨スープと「方法序説」
糖質制限中の人にデカルトの「方法序説」を読んでほしいという願いから生まれた句です。ちなみに私は「方法序説」を読んだことがありませんが、代わりに春雨スープを食べた経験ならあります。春雨スープ、美味しいですよね。春雨スープも「方法序説」と同じくらいおすすめです。なぜなら、春雨スープは美味しいからです。

  • 「静粛に」議長がいくら叫んでも 喘ぎをやめない洗濯機たち
洗濯のときにエッチな音がする洗濯機の動画が話題になったことがありますが、その洗濯機が何台も国会議事堂に並べられて会議中に喘ぎ声を出している、という状況を詠んだ句です。その様子はもちろん国会中継でNHKに中継されています。
議長は機械オンチなのでスイッチを切ると言う概念を知りません。議会の秩序を保とうと叫びますが、その必死の叫びは虚空へと消えてしまいました。

  • 遺伝子を組み換えながらやってきた 長いおひげのサンタクロース
皆さんはなぜサンタさんのひげがあんなに長いかご存知でしょうか?実は、自分で自分の遺伝子を組み換えているからなんです。サンタはクリスマスの夜でさえ夜空を飛び回りながら自分の遺伝子を組み換えていて、日々進化を怠ることがありません。近年では、より高速での飛行を可能にするべく、サンタ本人だけでなくサンタが連れているトナカイも遺伝子組み換えになってきています。オーガニック志向の人々からは不安の声も上がっていますが、科学者による綿密なテストの結果、安全性には問題がないとされています。

2021年5月9日日曜日

4次元と床屋

 「このスカートを見てください。傘の骨が折れたから、傘をスカートにしたんです」
黒いスカートを履いた女性が、私にそう話しかけた。女性は私のTwitterのフォロワーのなにがしを名乗った。そのとき私は喫茶店にいた。テーブルの上にアイスコーヒーがあった。
「これ、ワンタッチ傘なんです。このボタンを押すとスカートが開きます。ほら」
女性はベルトのボタンを押したが、何かが変わったようには見えない。怪訝な顔をする私に対して、女性は説明を続けた。
「開く向きは、4次元目の方向ですからね。あなたがいる3次元空間ではありません。これは4次元の傘、4次元のスカートなんですよ」
私は、初対面なのにずいぶん変なことを言う人だな、と思った。

「おじいさん、最近散髪に行かへんのよ。もう2ヶ月は行ってへん」
祖母が、私にそう話しかけた。そのとき私は祖父母の家にいた。テーブルの上に餃子の王将のオードブルがあった。
「おじいさんハゲてるし、別に散髪行く必要ないんちゃうん」
私がそう答えると、祖母は言った。
「それがな、おじいさん床屋じゃないと体操もせえへんし、着替えもせえへんねん」
「えっ!?2ヶ月も着替えてへんの?それは散髪行かなあかんわ。ちょっとおじいさんとこ行って説得してくる」
祖父の部屋に行ってみると、祖父は眠っていた。私は、起こすのも忍びないな、と思った。


ここで目が覚めた。私は昨日夕方5時半に入眠し、夜の3時半に起きたのだが、朝の10時半頃に眠くなってまた寝てしまったのだった。
フォロワーの人にせよ祖父にせよ、本当に変な奴だと思ったが、全部夢だったのか。私は、勝手に奇人にしてしまって申し訳ないな、と思った。変なのは私の脳だった。

2021年3月28日日曜日

オゾン

Y君と店に行った。

Y「あの窓のところ見てよ。「オゾン濃度が下がりますので触らないでください」やって」
私「なんか空間除菌しているらしいな。オゾンを出す機械があるんやろ。ホンマに出とったら有毒やと思うけど、まあ出てへんのちゃうか」
Y「張り紙するんはええけどオゾン出すのはやめてほしいな。張り紙だけしてくれ」
私「急にオゾンがめちゃめちゃ出てきてこの店いる客全員死んだら面白い」
Y「それは濃過ぎ」
私(そういえば武蔵小杉と武蔵小山って紛らわしいな......)「本当のバイキンは細菌じゃなくて人間ってな。社会のバイキンを掃除しました」
Y「シソウが出とる」
私「お、うまい!今、「思想」と「死相」でかかっとったな。敢えて言葉を省略することによって、「店に店主の思想が出ている」と「我々客側に死相が出ている」の二通りの解釈ができる。なるほどなあ、流石」

Y「あー......」

Y「うん」

2021年3月25日木曜日

卒業おめでとう

Zoomで何人かと話をしていた。

私「そうそう、これはTLで話題になっていた話なんやけど。一昨日の神戸新聞に、俺の母校の先生が横領で懲戒免職になったって記事が載っていて。しかも俺が実際に社会を教えてもらっていた先生っぽいんよね。卒業記念DVDの作成費から着服していたんやって」
私「教員不祥事あるあるで、「センセイ、性犯罪犯しがち」ってのあるやん。でも今回は横領ってところがいいよな。性犯罪による心の傷はお金で癒えるものではないけど、横領なら金で解決できるから、笑い話になる」
私「本当ようやったと思う。教員が横領で懲戒免職になる高校なんてなかなかないからな。レアな高校に通えてよかったー、思い出をありがとうって。お世話になった先生やし、同窓会長の友達も今度の同窓会に呼んであげたいって言うてたわ。是非お会いしたいな」
私「俺一回社会勉強として民事訴訟やってみたいなと思っていて。体験学習。横領されたお金って返ってくるんかな?せっかくやし訴訟にできたらおもろいのにな」

私「......あ!卒業で思い出した!◯◯さん、ご卒業おめでとうございます!」