2017年5月6日土曜日

忘憂

タスクが多い。
常に多くのタスクがあるため、ほぼ全ての遊びは「タスクを放置してする遊び」となってしまう。従って、遊んでいる最中がいくら楽しかろうとも終わればつらい気持ちになるし、遊んでいる最中に急に楽しさが失われてしまうこともある。薬物は一時的に快楽を与えるが、効果が切れると苦痛を覚えるのと同様である。
憂いがあるため忘憂を必要とする一方で、憂いがあるために忘憂が妨げられる。忘憂は実にパラドキシカルな行為だと思う。忘憂とは止揚である。休憩の難しさとは、止揚の難しさに他ならない。

ここのところ常に焦燥を抱えていて、余裕に欠ける。もっと遊びや寄り道を大切にしたい。ゆったりと生きたいものだ。余裕の喪失は彩りの喪失である。
この記事も、こんなもの書く暇があればレポートを先に書くべきだろうに自分は何をやっているのだろうと思いながら書いている。

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