2022年9月11日日曜日

発泡酒の逆襲

私は普段養命酒以外のお酒をあまり飲まない。アルコールは健康に悪いからだ。多量の飲酒は肝硬変や癌などのリスクを高める。従って、健康にさほど悪影響を及ぼさない範囲で飲酒しようと思えば、一ヶ月のうちに飲める量は自ずと限られてくることになる。
そうは言うものの、私は全くお酒を飲まないわけでも、お酒が嫌いなわけでもない。あくまで節制しているだけだ。私が一番好んでいる酒はビールである。あのホップの香りが好きだ。アルコール度数が低くて飲みやすいのも良い。
スーパーのビールの棚に行ってみると、発泡酒と呼ばれるお酒も隣で一緒に並べられている。値段こそビールより安いものの、買って飲んでみると味が薄くて物足りない。折角の限られた肝臓を使うなら、多少高くても発泡酒よりビールを選びたいと思ってしまう。
発泡酒の安さは酒税の安さだ。本来であれば、酒税はアルコールの度数に応じて決められるべきだろう。しかし、ビールは他の醸造酒と比べてアルコール度数の割に異様に高い酒税を課せられている。発泡酒は、この歪な税制によって生み出された。社会が「ビールのような味だがビールに分類されない酒」を求めたためだ。本来なら概念として存在しなかったはずなのに、日本社会のひずみ、人間のエゴによって生み出されてしまったミュータント。それが発泡酒なのである。もう一度スーパーの発泡酒の棚へ行ってみよう。このような声が聞こえてこないだろうか。


わたしは誰だ......?
ここはどこだ......?


この内なる苦悩を抱えた発泡酒たちに対して、誰が諭してあげることができようか。これがもう一段階進むとこうなる。


誰が生めと頼んだ!
誰が造ってくれと願った!


行き着くところはこうだ。


わたしはわたしを生んだ全てを恨む......

だからこれは

攻撃でもなく
宣戦布告でもなく

わたしを生み出したお前達への
 "逆襲" だ


今でこそ彼らは大人しく陳列されているが、こうなったらもう手出しできまい。人類滅亡の危機である。もしあなたが発泡酒を好んで飲んでいるのであれば、それはミュウツーを飲んでいるのと同じことだと自覚すべきだ。手遅れの事態を回避するためにも、我々は速やかに酒税法を改正する必要があるだろう。

2022年9月10日土曜日

マリンタワーというタワー

次のような会話をした。
「この前マリンタワーに行ってきたんですよ」
私「マリンタワー?何それ」
「マリンタワーというタワーがあって......これ全然説明になってないですね」
私「いやいやいや!マリンタワーがタワーやったなんて初めて知ったわ。ホンマ有益な情報で助かった。マリンタワーのこと今まで......えーっと.....魚の一種やと思っとったからな」
「それは......その、大変ですね......」

呆れられてしまった。しかし、これは私がアホだということで済ませてよい問題だろうか。確かにマリンタワーという名前は「タワー」で終わっている。だが、それがタワーであることは決して自明ではない。これを示す例を以下に挙げよう。
  1. シーチキンは鶏肉ではない。
  2. 自称進学校は進学校ではない。
  3. 消化不良は不良ではない。
  4. 海老チリはチリ共和国ではない。
  5. ブラインドはインド共和国ではない。
  6. プラトニックラブはクラブではないし、個人的にクラブはプラトニックラブから遠い場所だという偏見がある。
  7. 泣き虫は虫ではなく人である。
  8. 「銃・病原菌・鉄」は鉄ではなく紙でできている。
  9. イスラム国はテロ組織であり、国家とは認められない。
  10. Mr. Childrenは大人四人のグループである。
  11. 疑似乱数は乱数というが、決定論的に計算されているため、注意して使わないと周期の短さ等が問題になることがある。
  12. 足利義政は政治に関心がなく、慈照寺を建てて隠居してしまった。
  13. 奈良が良いかと言われると......微妙である。
  14. 東京都は都と付くものの一地方自治体に過ぎない。天皇陛下は東京に散歩に行っているだけだから、日本の首都は京都である。
  15. 河豚はブタではなく、魚である。
キリがないからこの辺りでやめておこう。ともかくも、このように考えれば私がマリンタワーと聞いて魚の一種だと勘違いしてしまったのも納得できる話ではないだろうか。フグみたいなものである。

2022年9月5日月曜日

脱衣所の謎

今日は銭湯に行ってきた。番台で回数券を出し、ロッカーの鍵を受け取って、脱衣所へ入った。私は尿意を催していた。脱衣所には一つの大便器から成るトイレがあった。私はそそくさとトイレに入り、鍵を閉め、放尿を開始した。そのとき私の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。

私は今何のため・・・・にトイレの鍵を閉めたのか?

今ここでトイレの鍵をピッキングか何かで開けられて、私の放尿シーンが脱衣所にいる人みなの前で晒されたとしたら、私はきっと恥ずかしい気持ちになるだろう。しかし一体何が恥ずかしいというのだろうか。ここは銭湯の更衣室なのだから、周りの人に性器を見られたとしても何も問題はない。普段小便器を平気で使っているのだから、放尿の様子を見られるのが恥ずかしいという理屈も成り立たない。
今の私は服を着ていて、トイレの外の人は裸なのだ。鍵によって守られた内部にいる私の方が露出度が低く、鍵の外側の人の方が露出度が高い。なぜ私が恥ずかしがらねばならないのか?恥ずかしがるべきは外側の彼らの方ではないか?これはパラドックスではないか?どうしてこのような現象が起きるのか?
浴槽に浸かりながら、そんなことを30分ずっと考えていた。湯温は42度だった。

私はすっかりのぼせてしまった。番台で冷たい牛乳を買って、銭湯の外でぐびぐびと飲んだ。夕方の空気が涼しかった。秋はすぐそこまで近づいていた。

2022年9月3日土曜日

会話は人生か?

スペースで志津さん(@Sea_Z6)と話していた。
私「文章を書くときって推敲を重ねて全体として一貫した内容になるようにするけど、話をするときってそういうことができないから、話しているうちに全然違う内容になることがあるんよな」
志津さん「でも、そうやってどこに行くか分からないことが会話の楽しさでもありますよね」
私「確かに。人生と一緒やな。会話って人生やわ」
志津さん「人生楽しいですか?」
私「いや、全然」
志津さん「じゃあ違うじゃないですか。会話はどこに行くか分からないから楽しいって話だったのに......」
私「確かに。全然違うわ。会話は人生ではない」