2017年6月の家計簿 |
家計簿をつけている間は、支出を意識するため緊縮的になる。これは、上の図では、例えば一ヶ月で牛乳を1L分しか買っていないことに顕著に表れている(*1)。そうして緊縮した翌月に家計簿をやめると、反動で支出が増加するのだ。つまり、家計簿をつけることそれ自体が家計にバイアスをかけるという構造がある。家計簿をつけることで知りたいのは私の平均的な支出であるのに、家計簿をつけるせいで支出が抑制され本来の支出を見ることができない。ちょうど、pHを調べるためにpH指示薬を加えるとそれによって水素イオン濃度が変化してしまう(*2)のと同じである。あるいは、細胞を観察するために細胞に入れた蛍光標識が細胞自身に影響してしまうのとも同じである。昔から科学者を悩ませてきた測定問題だ。
ともかく、現在の技術的限界を考えれば、これを克服するためには家計簿をつけ続けるしかない。それは分かっているのだが、家計簿をつけるのはとにかく面倒である。つけるべきだという理念と、つけるという実践の間には大きな隔たりがあるのだ。ちょうど、人類は世界平和を実現すべきであるのに、なかなか世界平和を実現できないのと同じである。
細胞の場合、蛍光観察をし続けるとそのダメージで死んでしまうこともあるという。今まで述べてきたように、家計簿はpH指示薬であって、かつ、細胞を光らせる標識でもあり、更には世界平和でもあった。その類推でいくと、私の場合も、家計簿をつけ続けるとそのダメージで死んでしまうかもしれない(少なくとも、100年くらいつけ続ければ死ぬだろう)。人類も、世界平和が実現されればそのショックで滅亡してしまうかもしれない。
こう考えれば、私が家計簿をつけないことは人類の滅亡を防いでいるといえるのではなかろうか。こうなってはやむをえない。大変不本意ではあるが、家計簿をつけるのは諦めるより他にない。
(*1) 緊縮というわりに娯楽費がかさんでいるが、教科書以外の本は全て娯楽扱いになっていることが大きい。その意味で、この月は"娯楽"が"必要"になったのだ。
(*2) pH指示薬は、ふつう、水素イオンと結合したり水素イオンを放出したりするpH依存的な構造変化によって色を変化させている。