2017年4月28日金曜日

3行レビュー: 前期教養の授業(3)

【2Sセメスター】
・月3,月4(S1): 基礎実験III(物理学)
可逆振り子で重力加速度の値を求めるなど、古典力学に関する実験が多かった印象。
得られたデータを半信半疑でプロットしていくとズバリ直線になった、といった瞬間は爽快だった。
しかし100回測定を繰り返したり手書きでプロットしたりする作業が面倒だった、とも思う。

・火2: 歴史と文化 <総合B>
古代ローマの資料の和訳を参照しつつ、ローマ法の変遷を紐解いていく授業。
ローマには憧れがあった上、どう歴史を語るかという考え方に触れられて興味深かった。
先生は暴走しがちで、良く言えば愛が伝わる授業だった。悪く言えばまとまりのない授業だった。

・火3, 金3(S1): 物性化学
この授業では、どうやら分子軌道・配位結合・結晶構造について学んだらしい。
久しぶりに教科書を出してきたが、永年方程式以外の内容を全然覚えていなかった。
当時は構造化学が全くわかっていなかったため、暗記でごり押しになって全体的にしんどかった。

・木1: 常微分方程式 <総合F>
一限なので3回くらいしか行かなかったが、多分その名の通り常微分方程式の解法を教えていたのだろう。自習としてそこそこ勉強したので単位を回収する分には問題なかったのだが、授業に行かなかったら試験範囲がわからず困ったのを覚えている。

・木2(S1): 生命科学
数理的・物理的観点から生命の特徴を捉える新しい試みの授業だが、理念先行・運用粗雑。
急造の教科書には大量の誤植があり使いにくい。更には先生もプログラミングのことがわかっていないにも関わらずRでプログラムを組む課題が出た。東大生の優秀さに甘えて無茶をいわないでくれ。

・金2: 美術論 <総合A>
中世までの西洋美術の鑑賞のポイントについて、テーマ別に解説する授業。
スライドに絵画を表示するため部屋を暗くするのだが、その結果私は授業のたび夢の国へ旅立ってしまい、やがて出席するのをやめてしまった。鑑賞レポートだけ出したら単位は来た。

・金5: 言語比較論 <総合A>
発音や文法などのテーマについて、様々な言語を取り上げ特徴を比較する授業。能格性など、マイナー言語の興味深い文法的特徴を知ることができ良い授業だった。駒場にレポート課題は数あれど、この授業の「先生が創作した言語の例文を分析して、言語現象を考察する」問題は名作。

・?: 基礎統計/ベクトル解析/解析学基礎 <全て総合F>
常微分方程式に賭けると総合Fの単位が足りなくなる恐れがあったため、保険として適当に履修登録しておいた。教員の顔も授業がある教室も把握していなかった。
試験だけ受けたところ、解析学基礎だけは単位が来た。

【2Aセメスター】
・水2: 電磁気学A(他クラス聴講)
昨年単位を落とした電磁気学A。二度目の履修はわかりやすいと評判の先生の授業を選んだ。
初めに数学的内容をまとめて学習するため見通しが良く、諸法則が数学的道具でMaxwell方程式へと洗練されていくドラマティックな展開がexcitingだった。しかし、初めからこう教わっていれば......。

・木2: アルゴリズム入門 <総合F>
Rubyのプログラミングを組み、より少ない計算量で欲しい値を計算させるための工夫を学ぶ。
主に一年生が履修する授業だが、プログラミングに関して何もわからないのはマズいと思い2Aでとった。コンピューターに無駄な計算をさせない「動的計画法」の考えが特に面白かった。

【集中講義】
・1年夏: 最先端メディカルゲノムサイエンスを体験する <主題>
RNAサイレンシングという現象をin vitroで再現し、遺伝情報の発現について実験で学ぶ授業。
溶液をピペットマンで取り、Vortexで混ぜ、遠心分離機でDNAを回収、アガロースゲル電気泳動で同定......教わった知識はもはや覚えていないが、ともかくも分子生物学者の気分は味わえた。

・1年冬: 自然科学ゼミナール(生命科学) <展開>
駒場キャンパスを歩き回って植物の葉や茎を採集し、それを薄く切って電子顕微鏡で観察し、特徴を調べた。高価な電子顕微鏡をおもちゃのごとく使って壁紙用の写真をたくさん手に入れた。電顕の使い方を説明するのにわざわざキーエンスの人を呼んでいたのはやたらに豪華だと思った。

・1年冬: 柏キャンパスサイエンスキャンプ <主題>
柏キャンパスで3泊4日の実習を行う。脂質二重膜内部でGFPを合成するin vitroのシステムを作成した。確か、GFPの作り方の情報が入ったDNAをPCRで増幅させた覚えがある。
院生が「やがて人工細胞を作りたい。そして人工彼女をも」と夢を語ってくれたのが印象的だった。

(終わり)

2017年4月26日水曜日

3行レビュー: 前期教養の授業(2)

【1Aセメスター】

・月2: 英語中級
New York Timesの記事を取り上げ、下手な英語(*)で解説する質の低い授業だった。
教材は良いので授業中に自習すれば良いのだが、いかんせん教員の発音と頻繁すぎる「えー」が耳障りである。教員がこの場に存在するのをやめてくれればもっと良い授業になるだろうに、と思った。

・月3,月4: 基礎実験I,II(化学)
理論化学、無機化学、有機化学の全体に渡って満遍なく設定された12のテーマについて実験する。
必修の構造化学や物性化学は量子力学的計算が多く化学反応はあまり扱われない。
ゆえに、必修で化学化学した授業は実はこれしかない。そういう意味では貴重な存在といえる。

・火1: イタリア語初級(演習) <総合L>
前期に引き続いてイタリア語の運用を学ぶ。
どうも履修者全員に100優を出したようだが、教務課に怒られなかったのだろうか。
先生はNHKテレビでイタリア語の講師もしていた。NHKのテキストを買ってサインしてもらった。

・火3(S1/S2): 英語一列/英語二列S(FLOW)
英語一列は前期と同様。FLOWは英語での討論と発表でスピーキングを練習する。FLOWでは、「何かモノの名前を紙に書いてください」と言われたとき、私がとっさに書いた単語が「urea(尿素)」だったため、「Which is useful, wine or urea?」という珍妙な討論をする羽目になった。

・火4: 微分積分学
前期に引き続いて、多変数関数の微積分を学んだ。
スタンダードな講義で特にコメントすることがない。
一度教員が段から落ちた時、同クラが「地面が不連続だった」と言ったのはfunnyだった。

・火5: 微分積分学演習/線型代数学演習
前期に引き続いて、一年生の数学の要点を解説してもらった。
T先生の授業でわからなかったところが整理され、単位を得る助けになった。
配布プリントは週を追うごとに分厚くなり、製作も運搬も大変そうだと思いながら受けていた。

・水1: 地域生態学 <総合D>
あまり授業に行かなかったが、試験に行ったら単位は来た。

・水2: イタリア語一列
接続法や条件法などのやや高度な文法を学び、文章の読解もした。
イタリア語の文章は音読すると大変気持ちが良かったのを覚えている。
同クラが製作したシケプリは非常に素晴らしいもので、授業内容の大変良い復習ができた。

・水3: 身体運動・健康科学実習II
卓球をした。

・水5: 微生物の科学 <総合E>
微生物を研究している農学部の様々な教員のオムニバス講義であった。
様々な微生物の様々な活用法を知ることができたのは面白かった。
試験は持ち込み可で、単位が楽に取れたあたり農学部らしいといえば農学部らしい。

・木2: 電磁気学A
教科書を開けばdivやrotが跋扈する、熱力学に並ぶ数式の森である。
私は熱力学の反省を踏まえ、教科書を着実に読み解いていきMaxwell方程式まで辿り着いた。
ところが理論を理解しても問題を解くことはできず、結局私は単位を落としてしまったのだった。

・木3: 構造化学
水素原子等の軌道を学ぶこの必修科目の実態は、学生が理解できるよう設計されていないキメラ的汚泥である。導入部は量子力学の一般論であり、天下り的な解説は私の理解を拒んだ。更に、表層に物理をまとった"化学"であるこの科目では、物理的意味を深く考えれば考えるほど泥沼にはまるのだ。

・金2: 人文科学ゼミナール(テクスト分析) <展開>
イタリア語の短編小説を題材にし、小説中の動詞の活用に注目して読み解く授業だった。
「なぜこの活用形がここで使われているのか?」を考えることで、文法をテクストの中で理解するとともに、イタリア語という言語の特性の一片を味わうことができ大変刺激的だった。

・金3: 線型代数学
この数式はどこから来たのか。この教員は何者か。この授業はどこへ行くのか。
ぐちゃぐちゃしていて読み解けない板書と解けない演習問題を前に、私はかのゴーギャンの絵を思い出した。そして東大を退学して京大へ行こうかと悩んだ。

・金5: 生物物理学 <総合E>
2人の教員が、それぞれの研究テーマであるタンパク質のフォールディング問題と粘菌の走化性について解説した。授業の一部として行われた研究室紹介を通じ、統合自然科学科で興味深い研究が行われていることを知ることができたのは大きな収穫だった。

(続く)

(*)あまりに日本語的な発音と、英語の得意そうな学生からの質問を度々聞き取ることができなかったという出来事は、英語の教員としての資質に関する疑念を私に抱かせるに十分だった。

3行レビュー: 前期教養の授業(1)

教養学部前期課程を修了した際、自分は前期教養で何を学んだのか、ALESS以外の授業についても振り返っておこうと思った。この一連の記事では、前期教養で受けた各授業について、3行でその概略と感想を述べていくこととする。
特記がないものは必修または事実上の必修である。必修以外は<総合E>などで科目区分を表した。それらは、いわゆる一般教養科目だと認識していただければ構わない。

【1Sセメスター】
・月2: 英語二列W(ALESS)
科学論文を分析しつつ、自分でも実験を行いその結果をオリジナルの論文にまとめる授業。
教員は優しく説明もわかりやすかったのだが、とにかく課題が多く学生を老化させる。
この授業で形成された夜型生活は今も尾を引いており、健康問題となっている。

・月3,水2: イタリア語一列・二列
イタリア語の文法を地道に学んでいく授業。教員の雰囲気が柔らかく親しみが持てた。
イタリア語の豊かな活用を問う毎週の小テストはやや大変だった。
"Siamo senza speranza.(私たちには希望がありません)" という教科書の例文が印象的だった。

・月4: 初年時ゼミナール理科(大陸を知る)
アメリカの地質に関する英文テキストをゼミ形式で読んでいく授業。
学生がまとめた発表に教員がたくさんツッコミを入れるという方法で進められた。
先生のツッコミは聞いてもよくわからず、ツッコミの数も多すぎてテンポが悪く大変眠かった。

・火3(S1): 英語一列
共通テキスト「教養英語読本I」の読解を行う授業。
テキストの英文は京大の入試問題のように硬く、読み応えがあって個人的には好きだった。
ただし、英文読解の授業は予習で読んで理解してしまえばおしまいなので、特に講義に用はない。

・火3(S2): 英語中級
予習では"TED talks"から一つ講演を選んで聴解し、授業ではその内容を英語で紹介する発表を行う。
発表後は討論を行うのだが、英語の得意な人が多く圧倒されがちだった。
みんな社会問題に関心があるようだったので、私は敢えてフィボナッチ数列の性質などを紹介した。

・火4(S1/S2):  数理科学基礎/微分積分学
ε-δ論法を使って1変数の微分積分をスタンダードに学んだ。
当時はよくわからなかったが、講義ノートは今見返すとすっきりとまとまっていてわかりやすい。
この先生は東大で授業を受けた数学者の中で一番変人でない、普通に近い方で、安心感があった。

・火5(S1/S2): 数理科学基礎演習/数学基礎理論演習
演習問題を解いて提出すれば単位が得られる授業。プリント資料の丁寧な解説が評判だった。
教員は単位認定の甘さで有名で、授業を聞いていた人は少なかったが、説明は相当わかりやすい。
瞑想が好きな先生で、授業の最初の5分くらいは毎回瞑想の時間とされた。

・水3: 身体運動・健康科学実習
バドミントンをした。
私のような運動音痴でもスポーツで勝負になるというのは、東京大学の利点の一つである。
「全力のx割出したつもりの握力」が実際にx割になっているかを調べるレポートが面白かった。

・木2: 熱力学
偏微分を駆使した熱力学の体系は、高校を出たばかりの私にとって数学を建材とした迷宮であった。
全微分等が数学の授業で解説され、ようやく数学に慣れてくる頃には授業が進みすぎて手遅れになっていた。全くわけがわからず不可だと思っていたが、成績はなぜか良だった。

・木3: 情報
論理回路、通信方式、情報量と圧縮方式、情報と社会など多岐にわたる内容を学んだ。
まさに教養のための科目といった内容の幅広さで、そして教養のための科目らしく授業はあまり面白くない。しかし先達のシケプリは偉大で、面白く、かつ簡潔で、かつ有用と素晴らしいものだった。

・金1: イタリア語初級(演習) <総合L>
イタリア人の先生から、イタリア語の運用について会話や作文を通じて学ぶ授業。
少人数でアットホームな雰囲気であるが、全てイタリア語で進み己の無能さを痛感する。
一方成績評価は甘く、必修イタリア語との相乗効果もあり履修してよかった授業の一つである。

・金2: 有機反応化学 <総合E>
取ったは良いが、教科書は高い上に先生はぼそぼそと話すという典型的なハズレ授業だった。
必修以外で自由に授業を選択できる貴重な枠の1つをこれで費やしてしまったことを後悔した。
一応シケタイを務め一応勉強したが結果は可。私は東大生でなく一応東大生なので仕方ない。

・金3(S1/S2): 数理科学基礎/線型代数学
駒場で最も有名な大鬼教員の一人、「陸の王者」「富山の汚点」ことT先生のワンマンライブ。
説明の理解が難しいため自習で学んでいくことになるのだが、教科書を無視しており教える順番もおかしいためいつまでたっても授業で習った内容にたどり着けない。一体どうしろというのか。

・金4: 力学A
高校では微積を使わなかったが、今度は微積を使ってニュートン力学を体系化する。
教員が初々しく、黒板への板書と口での説明が完全に分離していて大変退屈な授業だった。
教員は後に卓越研究員に指定された。教えるのは苦手でも研究は得意、ということか。

・金5: 自然現象とモデル <総合E>
演示実験とその解説を通し物性理論の考え方を学ぶ授業。
不思議な現象を間近に見ることができて面白かった一方、解説はよくわからなかった。「自然現象を一つ取り上げ、それをモデルによって説明せよ」という難しい最終レポートはトラウマである。

(続く)

2017年3月21日火曜日

奇跡を考える

 先日、次のようなツイートをした。
「あなたと僕が出会えたのは奇跡」とか「お父さんとお母さんが奇跡的確率で出会ったおかげで私がいるんだ」とか言いますけれど、それを奇跡といえるならこの部屋に空気分子たちが今この位置と運動量で存在していることが奇跡ですよ。
この世界には膨大な人がいるわけで、その中で父と母が出会って私が生まれるというのは確かに確率的には低いこと、すごい偶然には違いない。しかし私はそれを奇跡だとは認めない。確率的な低さをいうなら、空気分子たちが今この位置と運動量で存在していることも猛烈に低い確率である。あるいはトランプのカード53枚を適当に並べ替えてみてほしい。その並び方になる確率も1無量大数分の1くらいの確率だ。しかし1無量大数分の1の奇跡とは、普通言わない。
ある事象が珍しいと見なされるためには、実現される状態が確率的に低い状態なだけでは不足で、実現される状態が特別であることが必要である。例えば、部屋にいる空気分子たちが皆部屋の左半分に存在してしまって、右半分にいる人が窒息してしまえばこれは珍しいことだ(*1)。あるいは、トランプのカードを適当に並び替えたのに、マーク別に1~13まで綺麗に並んだとすればこれも珍しいことである。この理論でいけば、自分の存在が奇跡になるのは、自分が世界の歴史に名を残すほどの天才であるときくらいだと言えるだろう。したがって自分の存在を奇跡だと言って憚らないのは大抵の場合不遜である。

それでも「自分の存在が奇跡」だとよく言われるのは、実現される状態がある意味で「特別」であるからに他ならない。「特別」について、私は次のようなツイートをした。
この世界に客観的な価値はなく、主体たる自分が何かを特別視し、それに意味を与えることで価値が生じる。この世界で私は客観的な特別ではないが、私の世界の原点だという点で私は私にとって絶対的だ。この絶対性が全ての特別性の根源であり、私が見る世界の事物に価値を与えられるのは私しかいない。
 前の記事で考察したように、私が唯一信頼できるのは私の存在だけだ。したがって私にとっては私こそが全ての出発点となる。ツイートではこのことを「私は私の世界の原点だ」と表現した。客観的かつ物理的な存在としてのこの世界は、その中に価値を持たない。価値や意味が存在するのは、私を通してみた世界の中、私の主観世界の中だけである。
「私の存在が奇跡だ」と言うのは、その実「私にとってはこの私の存在が特別である」と表明することに他ならない(*2)。確率の高低、珍しいかありふれているか、は本質的でない。私の特別性こそが最も重要である。特別視ならどんなにありふれたものに対してもできる。私がどんなに凡庸な人間であろうとも、私が平凡以下の人間であろうとも、私にとっては私こそが特別だ。
「あなたと僕が出会えたのは奇跡」にしてもそうだ。確率が低いという余計な情報を付け足すと本当に重要なことがぼやけてしまう。ただ「あなたが僕の特別です、あなたのおかげで幸せです」といえばよいのだ。
ただ、問題は私に「あなた」がいないことである。

(*1)ただし、実現される状態が望ましくなければ、普通奇跡とは呼ばれない。
(*2)従って、ただトランプのカードが適当に並んだだけの人間に「僕の存在は奇跡なんだ」と言われたとしても、「そうですか」としか言いようがない。

2017年3月18日土曜日

砂漠で砂を売る23の方法

3月になり、「就活」という単語を目にする機会が増えた。説明会が解禁されたのだ。ここまで就活就活と言われると、どこにも就職せず高等遊民として暮らしていくことを第一希望としている私としても、どうしても就活のことを考えてしまう。
聞くところによると、面接では敢えて突飛なことを聞いて受験者の対応を見る、ということもあるそうだ。突飛なことというのは、例えば「砂漠(*1)で砂を売る方法を考えて下さい」といった問題である(*2)。
以下、この問題を(A)とおこう。本稿では、面接でいかに突飛なことを聞かれても動じないよう、採用試験の面接で(A)と言われた状況を想定して、多角的な視点から25通りの解答を提案してみたい(*3)。

さて、よく模範解答として挙げられるのは、1.砂時計にする ことである。砂漠の砂を砂時計として詰めればお土産として喜ばれるだろう、ということだ。なるほど面白い発想である。まずはこの方向で考えてみることにしよう。
身の回りで何か砂が役に立っているものはないかと考えて思いついたのが、2.土嚢 だった。砂漠といえども川はあるし、雨季になれば増水もする。ナイル川には洪水が多かった(*4)という話をさりげなく混ぜ込めば、面接官も教養の深さに感心してくれるはずだ。Wikipediaによると、土嚢は防弾にも使われているとのことだ(*5)。防弾用途まで思いついたなら、昨今の中東情勢と絡めて土嚢の有用性を主張することで、グローバルな視点を持っていることもアピールできそうだ。
砂の用途として、他に 3.公園の砂場、4.コンクリートの材料、5.埋め立て地、6.砂風呂 7.浄水場のろ過装置 を思いつくことができた。どれもB to Bを想定している。砂漠にある都市が発展する際には、きっと需要が見込めるだろう。ただし、砂漠にある浄水場がどういう仕組みなのか、私は知らない。

考えてみれば、何も砂漠で広がっているようなありふれた砂を売れとは言われていない。砂の種類を変えて売ることも検討してみよう。まず珍しくて売れそうな砂といえば、8.星の砂 である。しかし砂漠にいる人が他の土地のお土産物(*6)を欲しがるかと言われればイマイチかもしれない。
そこで提案したいのが  9.ペットのトイレ用の砂、 10.砂鉄実験キット、及び 11.砂金 を売ることだ。小学生の頃、砂鉄をスライムに混ぜて、磁石でスライムを遠隔操作する遊び(*7)をやったものだ。これは全世界の子供の心に訴求すると思う。
美しい砂があれば 12.枯山水 を作ることができる。砂漠ではきっと物珍らしがられるだろう。まずは石油王を龍安寺などに連れて行く。そこで駄々をこねて自宅にも欲しいと言い出せばしめたものだ。砂漠に戻って枯山水用の砂を売りつければ任務完了である。
珍しい砂で言えば、もっと珍しい砂を持ってきて 13.月の砂 を手に入れることができれば、コレクターが高値で買ってくれそうだ。いや、どうせならもっと大規模にいこう。探査機を飛ばし、採取した 14.小惑星の砂のサンプルを研究所に売る、というのはどうだろう。砂を売ると同時に、科学も発展させることができて一石二鳥だ。赤字になるだろうが、これは商売というよりフィランソロピーなので仕方がない。
ここまでで様々な砂を挙げてきたが、少し毛色の違う砂として 15.「一握の砂」 というものも考えられる。短歌の翻訳は難しいだろうから、砂漠に住んでいて日本語が恋しくなった日本人に売ってあげよう。それか、鳥取砂丘で売ってもよい(*8)。そういえば、東大法学部も砂漠の一種だと聞いたことがある。もし「一握の砂」が認められれば、16.セスナ でもいけるかもしれない。

ところで、(A)が問うているのは、砂を売る「方法」である。もっと(A)に忠実になって考えてみよう。砂を加工するのでもなく、特殊な砂を用意するのでもない。砂の「売り方」を変えて買わせるのだ。
最も単純かつ効果的なのは 17.脅迫 だろう。脅迫はモロに犯罪だが、犯罪スレスレでよければ 18.催眠商法 がある。悪徳商法にも色々あるが、砂を水とセットにして売るのは 19.抱き合わせ商法 と呼ばれる。あるいは、20.認知症の人に売る という手もある。これらは、意図的にやっているという証拠を掴みにくく立件が難しいと思われる。行政指導を受けるだけで済みそうな印象だ。
犯罪スレスレの手段の中では、21.健康効果を期待させる のが最近の流行りである。健康効果を標榜すれば薬事法違反(*9)であるが、消費者が勝手に健康効果を期待してしまっただけなら摘発されようがない。まずは、砂と触れ合うことによるリラックス効果を謳い、インテリアという名目で砂を売る。この際、パッケージを一目見て「この商品は健康に良さそうだ」と感じさせるようデザインすることが重要である。この商品名を、仮に「硅素砂」としよう。次に適当な第三者(*10)が噂を流すのを待つ。噂は「部屋に硅素砂を置く硅素健康法が流行中!天然ミネラルの力で波動が充満!」といったものがよい。噂が科学的事実に基づいている必要はない。噂が十分広まれば、信じ込みやすい人たちが硅素砂を購入してくれるだろう。
犯罪スレスレがNGになっても、22.同情を誘う という方法なら問題ない。ただ、商品がただの砂ではいくら可哀想でも家族くらいしか買わないだろうから、家族も砂漠に呼びつける必要がある。「砂漠で拘束されている。誰かが砂を買ってくれるまで砂漠から出ることができないのだ」と家族に伝えれば買いに来てくれるだろう。それは嘘かもしれないが、合法なのは確かである。

それにしても、砂を売るためには本当に砂を買ってもらう必要があるのだろうか?日本語の「売る」という言葉の用法を考えてみてほしい。あなたが、「あの店では野菜を売っている」と言うとき、何もあなたはその店で野菜を買う必要はない。その店が、商品として野菜を扱っていさえすればよいのだ。そう、砂を売るには、23.商品として店に砂を陳列する だけでよい。
もっと固定観念を疑ってみよう。そもそも、我々はどういう状況で(A)と言われたのだったのか。面接である。我々は、「サバクデスナヲウルホウホウヲカンガエテクダサイ」(これを(A')とおこう)という面接官の発音を聞いて、「砂漠で砂を売る方法を考えてください」のことだと解釈した。実は(A)は我々が作り上げた幻にすぎないのかもしれないのだ。こう考えれば、信頼に足るのは(A)よりむしろ(A')であると言える。そこで虚心に(A')を眺めていると、(A')は「砂漠で砂を得る方法を考えて下さい。」とも解釈できる(*11)ことがわかるだろう。かくして、24.砂を拾う という解答が出てくる。
我々が揺るぎないと信じ、議論の出発点としてきた(A)さえ信じられないとなると、もう何も信用できない気がしてくる。答えるべきは、砂を売る方法だったのか、得る方法だったのか?いや、どちらでもよい。面接官が我々に求めているのは、ただ 25.考える ことだけだったのだ。面接官は砂漠で砂を売る方法を挙げよとは言っていない(*12)。考えさえすればよかったのだ。
そもそも、本当に(A')に答えはあるのだろうか? 問題に必ず答えがあるという保証はどこにもないのだ。では、本当に問題は存在していたのだろうか? 考えるだけでよいということは、実は(A')は問題ではなかったのでは?もしかして、すべては幻だったのか?
私は考える。面接官に「考えて下さい」と言われたから。考えれば考えるほど、確かなことなど何もないと思えてくる。答えの存在も、問題の存在も、試験を受けている自分の存在すら疑わしい......ここまで考えて、私は気付く。それでも確かに言えることは、「自分の存在すら疑わしい」と自分は考えているということ。つまり、そう考えている自分が存在しているということ。
これは、(A')に代わる第一原理。人から与えられたのではない、自分で確かめた出発点。今となっては存在するかもわからない面接官に向かって、私は叫んだ。

0.「我思う、ゆえに我あり。」
一見突飛な問題を通して、面接官はこんなメッセージを伝えたかったのかもしれない。


(*1) 本稿では、ケッペンの気候区分で砂漠気候に分類される地域なら、全て砂漠とみなしている(逆は必ずしも真ならず)。例えば、ラスベガスの中心部も砂漠とする。
(*2)「砂漠で砂を売る方法を考えて下さい」で検索するとD通社に関連するWebページが出てくる。
(*3)何か別解が思いついたなら、是非コメント等で教えて欲しい。
(*4)アスワンハイダムの建設により、現在は洪水が減少しているそうだ。
(*5)https://ja.wikipedia.org/wiki/土嚢
(*6)海岸砂漠なら星の砂がある......のか?
(*7)何かを遠隔操作する遊びは幅広い世代に人気があり、模型自動車、ドローン、他人のコンピューターなど様々なものが遠隔操作されている。
(*8)鳥取砂丘は砂漠ではないため、よくない。
(*9)薬事法が砂漠の国にもあるのかはよく知らない。
(*10)ライターを大量に雇い低品質な記事を量産しているサイトが有力候補だ。
(*11)(文脈上明らかだとは思うが)この「得る」は「うる」と読んでほしい。
(*12)にもかかわらず「砂漠で砂を売る方法」を23通りも挙げるような人間には、決してなってはならない。

2017年1月20日金曜日

本日の日記

本日2017年1月20日の午後7時過ぎ、買い物を終え帰宅した私の胸に突然激痛が走った。
私はそのとき呼吸もうまくできず、また動悸もするようになり、とっさに「永眠するかもしれない(*1)」と考えた。
なんとか激痛のパルスは過ぎ去ったが、息を吸うと胸が痛むようになった。その場で永眠することはなかったものの、これを放置すると苦痛とともに永眠してしまう可能性もあると思った。私はまだ空いている循環器内科の病院を探し、タクシーを呼んで連れて行ってもらうことにした。
「入院するかもしれない」と思ったため、息が絶え絶えになりながらも、カバンに量子力学の教科書と常微分方程式の教科書とルーズリーフと筆箱を詰め込み、病院で勉強ができるようにした。暇になることがないように、ノートパソコンも荷物に足した。万全を期すため、用も足しておいた(*2)。

そうこうしているうちにタクシーが来て、病院まで着いた。
息を吸うと胸が痛いので、声はできるだけ出さず、持ってきたルーズリーフを使って筆談で問診してもらった。私は肺と心臓を検査されることになった。
まずは胸部レントゲンを撮った。息を大きく吸うように求められたので指示通り息を吸ったのだが、案の定胸が痛くなった。まさに胸が痛くなっている瞬間を撮られたというわけで、これはバッチリ異状が写っているに違いない。そう考えながらレントゲン室を後にした。
診察室に戻ると、すでにパソコンの画面に私のレントゲン写真が映っていた。見ると、白く映る心臓の影の中に何か黒い点があるではないか。私は、これは異状に違いないと確信し、先生の話を聞くため覚悟とともに着席した。すると、先生はその点を動かしながら説明を始めた。どうやら、ここではカーソルは黒い点として表示されているらしい。結局、レントゲンでは異状は見つからなかった(*3)。
しかし現に異常なのであるから、必ずやどこか異状が見つかるに違いないと思った。次は心電図検査である。私は横になり、胸に吸盤を貼ってもらって測定が終わるのを待った。ところが、寝そべっているうちに呼吸は少し楽になってしまい、痛みもほとんど感じられなくなっているのに気づいた。検査が始まるまでの強気な考えとは打って変わって、これでは異状が出なかったかもしれないな、と思いつつ診察室へ戻った。
先生によると、どうも電位が高く出ているらしい。これは異状かもしれないが、痩せ型の体型が原因かもしれないという。そこで、エコーで異状かどうか調べることになった。
私は、「もう痛みも治まってしまって、異常値を出せるかどうか自信がないなあ」と弱気になりながら再び横になった。先生はしばらく私の心臓を調べていたが、予感した通り異常値は出なかったとのことだった。心電図の異常値は、私の体型が原因(*4)ということで落ち着いた。
こうしていろいろ調べたものの、特に異常なところは見当たらず、その上痛みも治まってしまったため、消去法的に「肋間神経痛(*5)」とされた。一応薬も出たが、処方されたのは漢方薬であった。タクシー、検査、処方で合計6500円ほどかかってしまったが、私が入院まで覚悟したこととは裏腹に特に何もせず治ってしまったため、何となく損をしたような気持ちになった。

私は、「我が肉体よ、不要なシグナルはできるだけ出さないようにして、主であるこの私をむやみに驚かさないでくれたまえ」と思いながら、己の不運なのか幸運なのかよく分からない運を呪って帰途に就いた。病院から家までは結構近かったので、歩きで十分間に合った。まったく、検査することなく異状の有無を検査できる時代が早く来てほしいものである。

(*1) 例えば、死のノートに名前を書かれたなどの原因が考えられる。
(*2) 一見落ち着いているように見えるが、内心極めて動揺していた。その証拠に、私は充電器を忘れてしまったのである。タクシーに乗った後でそのことに気づいた私は、病院で充電が切れて外界と連絡が取れなくなることを憂慮し、深い後悔の念とともにタクシーを降りることとなった。
(*3) 突然の胸の痛みということで、私は気胸を疑っていたが、この検査によりその可能性は低いことが判明した。
(*4) 循環器科に来て体型が異常だと言われる身にもなってほしい。
(*5) Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/肋間神経痛